ダイジェスト:2006年7月22日より。(できれば日刊 hitorigotoより抜粋) | ブレブレタコラの逆襲

ダイジェスト:2006年7月22日より。(できれば日刊 hitorigotoより抜粋)

最近、涙もろい。
年とったか。
年とりゃ涙もろくなるっていうのも、普通の話として話していてどうかって。
みんながそうなのかは知らないけれど。
今日もニュースで泣けた。
介護をしていた認知症の母親を殺害した長男被告の裁判の話をニュースで聞いていただけで泣けた。
裁判の公判中にも、すすり泣きが聞こえたって。
そりゃ、そうだろ。
話は、作ったように泣ける話だ。
本当に、そのうちドラマか映画になるだろう。
タイトルの言葉は、その話のなかの被告の決断。
金があれば何とかなったって事を考えると、本当に金は重要だが。
金だけあっても何にもならないという事も確かだ。
ところで、タイトルにショッキングなワードを書いてしまって、また、暗いやつだと思われそうな気配。
やばいなぁ。
って、書いて楽しんでる訳じゃないんだけれど。

~以下、ニュースより~
介護疲れと生活の困窮から今年2月、合意の上で認知症の母親=当時(86)=を殺害したとして、承諾殺人などの罪に問われた長男=被告に対する判決公判が21日、京都地裁で開かれた。
裁判官は「結果は重大だが、被害者(母親)は決して恨みを抱いておらず、被告が幸せな人生を歩んでいけることを望んでいると推察される」として懲役2年6月、執行猶予3年(求刑・懲役3年)を言い渡した。
判決によると、被告は今年1月末、介護のために生活が困窮し心中を決意。2月1日早朝、伏見区の桂川河川敷で、合意を得た上で母親の首を絞めて殺害し、自分の首をナイフで切りつけ自殺を図った。
論告や供述によると、被告の母親は父親の死後の平成7年8月ごろに認知症の症状が出始め、昨年4月ごろに症状が悪化。夜に起き出す昼夜逆転の生活が始まった。
被告は休職し、介護と両立できる職を探したが見つからず、同年9月に退職。その後、失業保険で生活している際に、伏見区内の福祉事務所に生活保護について相談したが受給できないと誤解し、生活苦に追い込まれて心中を決意した。
殺害場所となった桂川河川敷では、家に帰りたがる母親に「ここで終わりやで」と心中をほのめかし、「おまえと一緒やで」と答えた母親の首を絞め、自らもナイフで首を切り自殺を図った。前日の1月31日には、母親を車いすに乗せ、京都市街の思い出の地を歩く“最後の親孝行”をしたという。
判決理由で裁判官は「相手方の承諾があろうとも、尊い命を奪う行為は強い非難を免れない」としながらも、「昼夜被害者を介護していた被告人の苦しみ、悩み、絶望感は言葉では言い尽くせない」と、追いつめられた被告の心理状態に理解を示した。
また、判決文を読み終えたあと、被告に「朝と夕、母を思いだし、自分をあやめず、母のためにも幸せに生きてください」と語りかけた。同被告は声を震わせながら「ありがとうございます」と頭を下げた。
     
※介護支える社会整備を
認知症の母親を殺害した被告に、京都地裁は執行猶予付きの“温情判決”を下した。裁判をめぐっては、検察側も「哀切きわまる母への思い。同情の余地がある」と、最高刑懲役7年に対して求刑は懲役3年と、被告の情状面に理解を示していた。
公判では、冒頭陳述や被告人質問で母子の強いきずなが浮かび上がり、聞き入る裁判官が目を赤くする場面すらあった。
「生まれ変わっても、また母の子に生まれたい」と母親への強い愛情を吐露した被告。公判では、介護のために仕事をやめざるを得なかった現実や、生活保護受給を相談した際に行政側の十分な説明がなく生じた誤解など、誰もがいつ陥ってもおかしくない介護をめぐる現実が浮き彫
りになった。「人に迷惑をかけずに生きようと思った」という被告の信条さえも“裏目”に出た。
介護をめぐり経済的、精神的に追いつめられ殺人や心中に至る事件は後を絶たない。160万~170万人ともいわれる認知症患者は、約10年後には250万人にまで増加するとの推計もある。反対に少子化のため介護者の減少は必至で、介護をめぐる問題は極めて現代的な課題といえる。
“母親思いの息子”が殺害を選んだ悲劇を繰り返さないために、法整備を含め、社会全体で介護を支える仕組みづくりが求められる。
     
※承諾殺人
加害者が被害者の承諾や同意を受けて殺人に至った場合に適用。殺人罪の量刑が死刑から3年以上までの懲役であるのに対し、承諾殺人罪は6月以上7年以下の懲役または禁固刑となっている。心中を図り、心中実行者が生き残ったケースに適用されることが多い。