ナナメの夕暮れ 読了


私の拗らせを面白がってくれる先輩が勧めて、なんなら贈ってくれた本。

先輩曰く"夕暮れ"がミソらしい。


ということは"ナナメのスタンス"に、夕暮れの終わりとか始まりとかが掛かっていて、年取って邪気抜けてきたって本だろうと予測。


私のひねくれ方がツボだと笑ってくれる先輩は、なんのつもりでこれを勧めてきたんだろうか。

そもそも若林さんの大ファンの先輩。ラジオも欠かさず聴いていて、人となりが好きらしい。

君も共感して楽になるかも、突破口が見えるかも、新しい考え方を得られるかも。

おそらくそんなふうに思ってくれたんだろうと思う。純粋な人だよな。善良。

結局、自分の大好きな若林の口を借りて私にアドバイスをしたかったんだろう。


先輩はわかってないが、「その人になりたければ効く」ものがアドバイスの本質だ。


私は若林正恭に対してなんの思い入れもないので、多分先輩が期待してくれていたほど響かなかった。


勝手に女に期待して落ち込んで投げやりになって攻撃的になる童貞の心理描写に普通にめっちゃドン引きしたし、間違いを認められるず店員に怒鳴る自分の父親を今ならわかると肯定していたのも引いた。


記憶に残ったのは空き巣に入る後輩の話と、精神科の先生の話くらい。どちらも若林ではない。


空き巣に入る話は嘘だったんだろうで締めてるが、「嘘乙」のノリがめちゃめちゃしらけるって分かってない。「面白いパチこくやつ」と「ただの嘘つき」とでは処理が全然違うだろと。そもそも面白いと感じる感覚が違うんだなとまた心が引く。


精神科の話は、先生が面白すぎて若林が食われてた。

医者なら応援しろよで唯一普通にふふっとなった。こういう本物っぽい人が登場するなら見る目変わるかもな、と思った矢先に先生退場。

度々ラジオのネタに〜とかいう割に、こんな面白い先生の病院には通わないんかい。毎回ネタになるだろ。もし「君面白いこと言わないじゃない」が効いてて、無意識か意識的にかこの先生を嫌ってるならあまりにも器小さすぎるしプライド高くてめんどくさ。とまた心が引く。


結果、人となりが好きになれなかったので、見せ場であろう過去の自分のとのやり取りポエム読むの恥ずかしくてしんどかった。冒頭と後書きでポエムサンドイッチ。


こういうのは、単に好きな人や尊敬している人、自分のロールモデルにしてる人なんかだとスッと受け入れられたりする。

後書きでは本当に価値のあるものを求めてしまう本質主義者と自己評価しているが、要はそれに自分が好感持ってるか持ってないかの2択だろうと。

「口角あげよう」「背筋を伸ばそう」をナナメに見るのは変わらないのに「いいところ探しノート」をつけられるのは、単に前者が嫌いで後者が好きだったからでしょう。


若い頃は上手くいかない自分に怒りすら湧いていて、犯罪を犯す心理がわかるほどだった。年取って自意識が薄くなり人の目を気にすることがなくなり楽になった。

そんなアラフォーのエッセイ本。

聖書じゃないし著者は聖人君子じゃない。


Amazonには、そもそもなんとなく好きな人(若林さん)が日常の中で感じたもの、打開策、それに共感して、客観視することで自分のもやもやが可視化されて楽になった人の高評価レビューが死ぬほどついていた。


まじか。

世の中の人って、私が思ってるより善人ばかりなのかもしれない。



私は著者に好感を持っているかもわからずに手に取ったが、普通エッセイなんてほんのりでも好きな人のじゃないと読まないもんね。

わたしだって星野源のエッセイ読んだもん。




好きになれないに理由もなにもないんだよね。でもただ嫌々言ってる人に見られたくなくて理由を探して語ってしまう。なんなら肩を叩いて聞いてくれって頼みたいまであるが、この欲求は本当によくわからない。