吉田沙保里選手の熱い涙に「誠」の心を見た
八月五日より開催されている第三十一回リオデジャネイロ五輪競技大会で、連日日本選手の活躍が報じられています。
八月十九日現在で日本の獲得メダルは銅メダル十八個、銀メダル六個、金メダル十二個の計三十六個であり、これは日本スポーツ史において五輪大会獲得メダル数が最多であった前回二〇一二年のロンドン五輪の三十八個という記録や、
それ以前の最多記録であった二〇〇四年アテネ五輪大会の三十七個に迫る成績です。
その内訳において、ロンドン五輪では七個であった金メダルが今回のリオ五輪では十二個となっている点を考えれば、日本人アスリートの躍進を感じます。
その内訳において、ロンドン五輪では七個であった金メダルが今回のリオ五輪では十二個となっている点を考えれば、日本人アスリートの躍進を感じます。
また、初めて日本人選手が金メダルを獲得したと報じられる種目も多く、各種スポーツの世界的な勢力図の変遷とそのなかにある日本の新たな存在感を認識するということもありました。
しかし、伝統的な強さと厚い選手層を誇る女子レスリングにおいて、フリースタイル53キロ級で、04年アテネ五輪、08年北京五輪、2012年ロンドン五輪に続く、四度目の金メダルを期待された吉田沙保里選手が決勝戦で敗れ、銀メダルに終わるという波乱がありました。
またマル―リス選手の指導者は吉田選手のかつての好敵手山本聖子さんです。
これらの逸話と因縁に、実在の人物がその人生を懸けて挑むスポーツというものののドラマチックさを感じます。
決勝戦直後の取材に応えた吉田選手は涙を流しながら敗れたことを詫びました。
ここには、金メダルをとれなかったことが失敗であるという、吉田選手の圧倒的な強さが逆説的に表れ、応援してくれた方々と、自分をレスリングに導いてくれた今は亡き父に詫びる、一種「日本的」ともいえる想いがありました。
長年このような感覚は、伸び伸びと個人のパフォーマンスを発揮して活躍するかに見える、アメリカをはじめとする外国人選手の競技姿勢と比してみっともないものであるとか、日本人選手の本番での弱さ、メンタルの弱さだと言われてきました。
ですが、今回の吉田選手の涙はこれとは決定的に違います。
長らく最強王者として君臨してきた吉田選手は、余人には想像のつかない孤独のなかで、重圧を背負って戦ってきたことと思われます。
そのことが、たった一度最後に敗れたことで、我々が気づくようなかたちで表れたのです。
日本選手団の主将の役割もこなしつつ、勝つのだと公言したうえで五輪を戦ってきた吉田沙保里選手。お疲れさまでした。ありがとうございました。
日本選手団の主将の役割もこなしつつ、勝つのだと公言したうえで五輪を戦ってきた吉田沙保里選手。お疲れさまでした。ありがとうございました。
「誠」という字は「言を成す」と書きますが、ひたすらにそれを目指し、為し得なかったときに詫びた彼女にこそ、「誠」の心を感じました。
ここに、多くの学ぶべきもの、見習いたいものを見出します。
ここに、多くの学ぶべきもの、見習いたいものを見出します。