クレーマーティーチャー
3月も既に29日、年度末であります。もう今年の1/4が過ぎてしまいました。
小学生の砌、校長が3学期の全校朝会で、「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」と
毎年のように言っていたことを思い出します。
閲覧者の皆様の中にも、卒業やら転職・転任など何らかの離別があったことと思いますが、
その卒業式にまつわる本日の話題。
NEWSポストセブン 「君が代」問題か 『仰げば尊し』を問題視する意見も
J-CAST 「『仰げば尊し』に異論」 「教師への尊敬を強要」しているのか
「君が代」より「仰げば尊し」に教職員から異論を挟まれたと云うニュース。
まあ、これは橋下市長と盟友である中原校長の学校だから出た、“難癖”とも思えますが……。
実際に文中のような、「もう別の歌に替えてもいいのでは」「教師が『我が師の恩』と歌うよう
強制するのはおかしい」「『身を立て』は、時代錯誤の立身出世主義だ」との批判が
昔から全国的にあるのか、年々「仰げば尊し」を歌う学校は減っているそうです。
私個人も、卒業式で歌った定番の歌としては小学校での「蛍の光」くらいで、
「仰げば尊し」を歌う機会には遭遇しませんでした。

(昨年のオリコン「卒業ソング特集」より)
無論、別に「仰げば尊し」を歌わねばならない訳ではありません。
各学校で伝統的に歌う、世代を超えて共感を得る歌があるなら、それに越したことはありませんが、
わざわざ様式美的なもの、儀礼的なものに逐一難癖をつける様には、溜息もつけません。
挙句、「尊敬を強要するのはおかしい」とまで言うとなると、己が生徒に見せた姿に尊厳は無いのか、
教え子に蔑まれたいのか、とさえ勘繰ってしまいそうです。
以前、中学校の教員をやっている友人から、平成19年より始まった全国学力・学習状況調査、
所謂「全国学力テスト」に対して日教組が組合員に配布したパンフレットを見せてもらったことが
あるのですが、とにかく頭を抱えたくなる内容でした。
例えば、国語の問題で、唱歌「こいのぼり」についてのエッセイを使った問題に対して、
「何故、『こいのぼり』なんかを題材に使ったのか。もっと取り上げるべき歌がある」
「鯉のぼり自体が旧来の封建社会の儀式を歌ったもの」「男尊女卑・家父長制度を助長する」などと。
算数の問題で、「日曜の夜、Aくんは家族で外食に行くことになりました」と云う文章問題に対して、
「“外食”と云うぜいたく行為を問題文に入れ、児童一人ひとりの家計状況を慮っていない」
「両親が揃って居る設定が、多様な家庭環境を慮っていない」と……。
以下、国語算数理科社会の全科目全問題に、“いちゃもん”と名状すべき注釈が振られていました。
私はそのような、所謂“日教組的な物言い”をする教師に当たったことはなかった為、
寧ろ、それが実在することに対して感嘆すらしてしまいました。
今にして思えばサヨクだったと推定できる担当教師にさえ、私は恩を感じています。
それは別に思想の問題ではなく、先生がきちんと先生として振る舞い、教えを受けたからです。
しかし儀礼的な敬意さえ拒み、形振り構わぬ難癖をつけて回る教師とは一体どんな先生なのか、
己の思い出が幸せなことを噛み締めつつ、学校教育の先行きを案じてしまう春の夜でした。
(世田)
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■第125回 一水会フォーラムのお知らせ
日時・平成24年4月11日(水)/18時30分開場・19時00分開会
演題・ミャンマーに見る植民地支配の傷跡
講師・伊波新之助先生(ジャーナリスト・元朝日新聞編集委員)
場所・ホテルサンルート高田馬場 3階会議室
小学生の砌、校長が3学期の全校朝会で、「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」と
毎年のように言っていたことを思い出します。
閲覧者の皆様の中にも、卒業やら転職・転任など何らかの離別があったことと思いますが、
その卒業式にまつわる本日の話題。
NEWSポストセブン 「君が代」問題か 『仰げば尊し』を問題視する意見も
J-CAST 「『仰げば尊し』に異論」 「教師への尊敬を強要」しているのか
「君が代」より「仰げば尊し」に教職員から異論を挟まれたと云うニュース。
まあ、これは橋下市長と盟友である中原校長の学校だから出た、“難癖”とも思えますが……。
実際に文中のような、「もう別の歌に替えてもいいのでは」「教師が『我が師の恩』と歌うよう
強制するのはおかしい」「『身を立て』は、時代錯誤の立身出世主義だ」との批判が
昔から全国的にあるのか、年々「仰げば尊し」を歌う学校は減っているそうです。
私個人も、卒業式で歌った定番の歌としては小学校での「蛍の光」くらいで、
「仰げば尊し」を歌う機会には遭遇しませんでした。

(昨年のオリコン「卒業ソング特集」より)
無論、別に「仰げば尊し」を歌わねばならない訳ではありません。
各学校で伝統的に歌う、世代を超えて共感を得る歌があるなら、それに越したことはありませんが、
わざわざ様式美的なもの、儀礼的なものに逐一難癖をつける様には、溜息もつけません。
挙句、「尊敬を強要するのはおかしい」とまで言うとなると、己が生徒に見せた姿に尊厳は無いのか、
教え子に蔑まれたいのか、とさえ勘繰ってしまいそうです。
以前、中学校の教員をやっている友人から、平成19年より始まった全国学力・学習状況調査、
所謂「全国学力テスト」に対して日教組が組合員に配布したパンフレットを見せてもらったことが
あるのですが、とにかく頭を抱えたくなる内容でした。
例えば、国語の問題で、唱歌「こいのぼり」についてのエッセイを使った問題に対して、
「何故、『こいのぼり』なんかを題材に使ったのか。もっと取り上げるべき歌がある」
「鯉のぼり自体が旧来の封建社会の儀式を歌ったもの」「男尊女卑・家父長制度を助長する」などと。
算数の問題で、「日曜の夜、Aくんは家族で外食に行くことになりました」と云う文章問題に対して、
「“外食”と云うぜいたく行為を問題文に入れ、児童一人ひとりの家計状況を慮っていない」
「両親が揃って居る設定が、多様な家庭環境を慮っていない」と……。
以下、国語算数理科社会の全科目全問題に、“いちゃもん”と名状すべき注釈が振られていました。
私はそのような、所謂“日教組的な物言い”をする教師に当たったことはなかった為、
寧ろ、それが実在することに対して感嘆すらしてしまいました。
今にして思えばサヨクだったと推定できる担当教師にさえ、私は恩を感じています。
それは別に思想の問題ではなく、先生がきちんと先生として振る舞い、教えを受けたからです。
しかし儀礼的な敬意さえ拒み、形振り構わぬ難癖をつけて回る教師とは一体どんな先生なのか、
己の思い出が幸せなことを噛み締めつつ、学校教育の先行きを案じてしまう春の夜でした。
(世田)
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■第125回 一水会フォーラムのお知らせ
日時・平成24年4月11日(水)/18時30分開場・19時00分開会
演題・ミャンマーに見る植民地支配の傷跡
講師・伊波新之助先生(ジャーナリスト・元朝日新聞編集委員)
場所・ホテルサンルート高田馬場 3階会議室