入試問題投稿事件にみる軽薄さ
京都大学の入試問題を質問サイトに投稿したとして、
仙台市の予備校生が偽計業務妨害で逮捕された事件で、
予備校生は合格していた早稲田大学の受験結果を無効とされました。
こういうことは行われているのだろう、ぐらいに思っていましたが、
意外に大きな波紋を呼んだことは驚きでした。
まず逮捕という処置がやりすぎではないかという意見から、
大学の自治を忘れ警察を学内に入れてしまった、などという意見まで飛び出しているように、
世間でも、この事件に対する思いは様々なようです。
この予備校生は、不正が発覚した以上、潔く裁きを受けるのが筋です。
それにしても、道義の退廃が叫ばれて久しいとはいえ、
まずこの予備校生はモラルを期待できる人物ではなかったことは明らかとなりましたが、
カンニングの手段についても、ネット上に公開するわけですから、己の所業を天下にさらす行為です。
ネット上の膨大な情報量の中の一つに過ぎない自分の投稿など分かる訳がない、と踏んだのでしょうが、
ネットはむしろ、その情報を掲載する以上、いつ誰に見られてもおかしくないのであり、
そのことを覚悟すべきなのです。つまり、「いや、やはりマズイのでは…」という警戒感も欠如していた訳です。
ここに、なんだか大きな軽薄さを感じてしまいます。
現に、2月26日には、すでに京大内の学生新聞のツイッターで、
試験問題の流出がツイートされていたことが分かっています。
予備校生の行いは、存外に早く察知されていた訳です。
この予備校生の世代で、自分に破滅をもたらしうる危機が突然訪れるかもしれない、
という感覚を持ち合わせて生きている人はどれくらいいるのでしょうか?
不況とは言っても、あまり社会に関心を持たず、自分の目先のことだけみていれば、
永遠に生きていられるような錯覚に陥りかねないほど恵まれた時代です。
こうした、危機意識の欠如は、我が国全体の危機意識の欠如と同一であるとみなすことができると思います。