『ザ・コーブ』「日本限定」上映阻止運動のバカバカしさ(その3)
(前項から続く)例えば『ザ・コーヴ』でヤクザ・マフィア扱いされた漁師たちの家を一軒一軒訪ね、
その素顔を明らかにすると共にその名誉を回復させる。
彼らが盗撮した現場を一つ一つ実地に検証し、
単なる日本の田舎町にすぎない太地町を
いかにして「不気味な秘め事が行われている悪魔の場所」に仕立て上げたか、
その演出の手口を明らかにする。
問題のイルカ漁についても、数年前まで実際に行われていたとおり、
余計な演出は一切加えずに、事実ありのままを淡々と、しかし全てを洗いざらいに公開する……。
こうした映像を、彼らのあからさまな嘘
(例えば「日本政府はイルカ肉に含まれる水銀値の高さについて隠蔽している」など。
事実はずっと昔から、厚生労働省HPなどで当たり前のように公表している)を
事実によって反証していく映像なども交えながら編集していき、
例えば『refutation from cove(入り江からの反論)』といったようなタイトルでも付ければ、
相当に高度な教養系ドキュメンタリーとして完成させられるでしょう。
それは勿論、煽情性とか娯楽性においては
『ザ・コーヴ』の足元にも及ばない退屈な作品になるかもしれません。
アカデミー賞など、夢のまた夢と言うしかないでしょう。
しかし、たとえどんなに迂遠な行動に思えようと、
こうした「上品で理性的な教養系ドキュメンタリー」作品を
例えば『ザ・コーヴ』を絶賛した『ニューヨーク・タイムズ』紙等に送りつけるなどの、
地道な活動を繰り返していけば、
両作品の「品格」の差から、やがては「『ザ・コーヴ』なんかを真に受けてる奴は、
タブロイド紙の『私は宇宙人にさらわれた!!』式の記事を真に受ける奴と同程度のアフォ」
という認識を世界の、特にインテリ層を中心に広げていくこともできるでしょう。
気の長い話に聞こえるかもしれませんが、世界を相手に言論戦を展開するからには、
結局これくらいの長丁場にも耐える覚悟を決めておかないと、
これからはやっていけない時代がきたのではないでしょうか(この項終わり)。