「砂川事件伊達判決」についての大使会談文書が判明 | 一水会活動最新情報!

「砂川事件伊達判決」についての大使会談文書が判明

 4月8日、東京都砂川町(現立川市)にあった米軍立川基地をめぐる「砂川事件」で、


米軍駐留を違憲とした1959年の東京地裁判決(伊達判決)直後に、


当時のマッカーサー駐日米大使が藤山愛一郎外相と会談した際の、


記録文書の詳細が明らかになりました。


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 砂川事件は、1957年7月8日、当時の東京調達局が、


東京都砂川町の米軍立川基地拡張のため測量を始めた際、


反対するデモ隊の一部が基地に立ち入り、うち7人が刑事特別法違反の罪で起訴された事件です。


東京地裁(伊達秋雄裁判長)は59年3月30日、


駐留米軍は憲法9条に違反するとして無罪判決を言い渡しましたが、検察側は最高裁に跳躍上告し、


最高裁は同年12月16日、


「安保条約は一見極めて明白に違憲無効と認められない限り司法審査の対象外」として、


一審判決を破棄し、差し戻しとなり、後に有罪確定となりました。


 この事件について、2008年4月、東京地裁の「米軍駐留は憲法違反」との判決を受けて、


当時の駐日大使ダグラス・マッカーサー2世が、


同判決の破棄を狙って外務大臣藤山愛一郎に最高裁への跳躍上告を促す外交圧力をかけたり、


最高裁長官・田中と密談したりするなどの介入を行なっていたことが、


機密指定を解除されたアメリカの公文書の調査から判明しました。


 同事件の元被告らの情報公開請求に対し、外務省はこれまで「記録がない」としていましたが、


政権交代により、従来の姿勢を転換し、文章を開示しました。


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今回、この判読作業を続けていた元被告らが東京都内で公表したものです。


 元被告らは「米公文書の電報の内容と多くの部分で一致し、


伊達判決に関する密談があった事実自体は明らかにできたと思う」と話しました。


一方で「外務省は、公開しやすい分だけ公開したのではないか。


最重要な部分は形に残したくなくて記録していないとも推測される」と批判しています。


 またしても、対米従属を示す資料が発掘されました。憲法9条の妥当性は一先ず置くとしても、


裁判の判決について、外国から上告するよう圧力をかけられたり、


判決内容についての国民の反応について注視し、


外国の思惑に沿う形で事態を収集するように取り計らうなど、主権を持つ国家のやることではありません。


 米軍基地問題と安保については、米国との関係を見直すことなしには解決することがありません。


現在でも、普天間基地移転問題で、鳩山政権は迷走を続けています。


移転先について、米国への回答を5月に引き伸ばして見たものの、どうやら実現出来そうにありません。


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 徳之島への移転案などが出ていますが、徳之島ではいち早く反対の声があがっています。


そもそも、徳之島へは政府から移転を巡って正式な打診があったわけではなく、


行き当たりばったりの移転案に終止しています。


 徳之島案はもしかするとダミーで、本当の狙いは別にあるのかもしれませんが、


いずれにしても十分な根回しも無く、5月での決着は極めて困難と見るべきでしょう。


お坊ちゃん気質の政治では、やはり、国の舵取りは荷が重過ぎたということが、近くはっきりすることでしょう。