鳩山総理のあいまい演説と国民の衆愚性
1月29日、鳩山総理は施政方針演説を行ないました。

「いのち」「いのち」とやたら連発する妙に詩的な修辞というか、
理念型で具体性が乏しい演説でした。
我々がこの演説に対し抱いた印象は、概ね各新聞社の社説で批評しているとおりですが、
国家のグランドデザインが余りにも希薄であるという点です。
たとえば、「医療と年金の再生」にせよ。「雇用対策」にせよ。「教育・少子化対策」にせよ。
これらは一応触れられてはいるものの、
「では財源をどうするのか?」と、一言返すだけであっさり言葉に詰まってしまいそうなものばかりだからです。
「地域主権」や「政治主導」にしても同様で、幅が大き過ぎて、
鳩山政権の国家戦略のなさを物語るように、具体的な話は演説中では触れられていません。
意図的なものを感じるのは「夫婦別姓」「在日外国人地方参政権」という、
今国会に提出が予定されていた二大国家解体法案について、
言及することを一切避けていることです。
先の総選挙でも、この両法案について民主党は、
マニフェストには一切載せずに国民の目から遠ざけていました。
しかし、選挙に大勝した途端、まっ先にこれを打ち出すということに、本性を顕にして、
優先順位を明確にすることを行っているのです。
今度の施政方針演説でもどうやら同じことをやろうとしているのか。
それを感知できないほど国民が油断をしていると考えているのかもしれません。
「国民が生活第一」ということだけに関心を払っている間に、
この両法案を成立させてしまおうという魂胆も考えられます。自民党も腐敗堕落しきっておりますし、
既成ポツダム政党は戦後民主主義の申し子でしかありません。
この様な状況下でも危機意識を持たず無関心を決め込んでいるのは、
戦後体性に洗脳された衆愚性に一番の原因があると思います。