日米安保50年
明日1月19日は、日米安保条約締結から50年目を迎えます。
昭和35年1月19日に、ワシントン D.C.で締結され、対米従属構造の根幹となっています。

昭和26年9月8日に、サンフランシスコ講和条約と同日に、
日米間で締結された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧安保条約)を形式的には失効させ、
その上で成立させたものですが、旧安保条約に基づくアメリカ軍の駐留を引き続き認めており、
実態的には改定とみなされ、これにより50年安保条約ともいわれます。
昨年の鳩山政権成立以来、沖縄県の普天間基地移転問題での対米交渉が暗礁に乗り上げたこともあり、
この50年目の節目の年にして、日米同盟の危機が叫ばれ始めています。
しかし、叫ばれる声は、「米国との対等な同盟関係を築けるような軍備が必要だ」、
ならばまだ話は分かりますが、
「アメリカにそっぽを向かれたら、誰が日本を守ってくれるんだ?」というものが大半です。
そうした親米派は、鳩山政権の対米姿勢に苛立ちをみせており、
アジアに目を向ける外交を見て、尚更、同盟の危機を騒ぎ立てます。
戦後の風潮とあいまって、防衛問題にも「甘えの構造」が根深く存在するようで、
「自分の国は、自分で守る」という考えは及びもつかないことのようです。
この50年の間に、我が国は実に多くのものを失ったのではないでしょうか。
伝統・文化の他に誇りや大和心といったものです。
同盟の名の下で、何をするにも米国の顔色を窺わねばならず、
米軍基地の軍人が犯罪を犯しても、我が国が可及的速やかに裁くことができない。
こんなことが「同盟」ならば、明らかに欺瞞であり、
屈辱の実態として日米安保が続けられることを評価など出来ないのが、ナショナリズムではないでしょうか。
むしろ、後世のために、こんなものは破棄し自主防衛体制を構築する努力をすべきです。
日本政府は、この50年の節目の年をどの様に総括して次の展望を打ち出せるか関心の高いところです。
我が国が誇りを持って世界に顔を示せるようにしなければなりません。