言論と放言の違い
今回は、言論と放言の違いについて考えてみたいと思います。
言論には責任を持たねばなません。放言は、その点言いっ放しですので、無責任なものです。
言論は、責任を持つので信用されます。ところが、放言は無責任なものですから信用される訳もありません。
言論は信頼を生みます。しかし、放言には信頼性も無く、言ってることがすぐに変ります。
言論は状況にに左右されません「芯」を持つからです。放言はその時々の状況に迎合してしまいます。
普天間問題などに見られるは鳩山政権の態度は、放言の繰り返しに思えます。

「日米問題」の見直しは、米国防長官の一声で揺らぎ、
首相と閣僚の意見が違って、責任の所在が分かりません。

普天間問題では、一貫した主張ができず、国外移転のポーズをとっていたかと思えば、
辺野古移転の線も残しておくなどと、ころころ情勢によって政策姿勢が変ります。
民族派とは所詮立場がちがうということでしょうか。
民族派は、己の言説に責任を負います。そうでなくては、信用を失ってしまいます。
発言に信用が無ければ、言論の場を失ってしまいます。
したがって、発言の内容を毎度のように変えてはなりませんし、たとえ、自分達にとって状況が劣勢でも、
原則を変えない芯の強さこそが必要となります。