「明治節」と葦津珍彦先生の生誕百年
十一月三日は「明治節」です。そもそもは、明治天皇のご生誕を祝う日ですが、
戦後「文化の日」となりました。祝日法の変更によって決められましたが、
声を大にして、「明治節」あるいは「明治の日」と呼びたいものです。
今年は、今上陛下ご在位二十年にあたり、いつにも増してご皇室について考えることが多いのですが、
こうしてご皇室について考えておりますと、ある人物を思い浮かべます。
戦後、民族派の理論的支柱であり、野村秋介先生をして「日本の脊骨」といわしめた葦津珍彦先生です。
今年が、生誕百年となります。

葦津先生は、明治四十二年に福岡に生まれ、東京府立五中を経て、福岡高商に進みますが、
在学中、左翼運動に走り退学となります。しかし、その後、
玄洋社の頭山満翁、戦前の皇道学の権威今泉定助翁に師事し、尊皇攘夷主義に開眼。
しかし、父葦津耕次郎氏とともに神社建築に従事。敬神思想高揚に尽力しました。
一方、戦時下の軍部独裁には反対で、日独伊三国軍事同盟の締結に批判を表明し、
東條英機政権下では、戦時刑事特別法改正に反対し、国会で文書を配布して検挙されたこともあります。
また、アジアの亡命活動家を支援し、道義を実践した活動家でもありました。
戦後は神社新報社創立とともに入社し、主筆として占領軍による神道指令に抗議して神道の防衛に尽力し、
思想界では、戦後風潮の勢いから変わり身の早い天皇批判論者と論理的に対抗し、
その理論は「実証的で筋道の通ったもの」と評されました。
しかも、神社新報を退社して一線を退いても、
憲法論、外交、靖国神社問題、大嘗祭についてもしばしば発言し、
民族派のイデオローグとして存在を示しましたが、平成四年に死去されました。
生涯をかけてご皇室と日本のために尽した、心より尊敬すべき人物であり、
その生き方には深い感銘を受けます。
先日、ジャーナリストの田原総一朗氏と会談したおりにも、
「葦津さんの考え方は、ブレがない。頭山満翁に関する著作は大変勉強になる。いい本だ」、
と絶賛しておりました。
そんな葦津先生の日本を憂うる真剣な眼差は、相手にコビを売って迎合するのでなく、
一本筋の通った理論として定評があり、
「保守反動思想家に学ぶ本」といった左翼陣営からの視点でも反面教師として評価されています。
多数の著作があります。「天皇~日本人の精神史~」「時の流れ」
「大アジア主義と頭山満」「国家神道とはなんだったのか」など、
優れた著作を発表しています。
それは今だに色あせることなく、我々が学ぶべき多くの思想、哲学、指針が行間にぎっしりつまっています。
今後も民族派ならずとも、思想、哲学、ひいては人間の生き方などを考えるうえで、
上ついた軽い言語空間ではない、葦津論文を読み解かねばならないと思います。
晩年は、「月刊レコンキスタ」でも木村代表が三回インタビューをしています。
「神社新報」などに、遅ればせながら、葦津珍彦先生の生誕百年を記し、向学の励みにしたいと思います。