不信について考えてみた。


誰かを信じられない

ということはとても悲しいことだ。

そしてそれはゆくゆく誰からも信じてもらえない

というもっと悲しい事態を招き、

どんどん人は独りになってしまう。


ただ、そんな中でも自分を信じてくれる人、

温かい言葉をかけてくれる人がいないわけではない。

それでも「誰からも信じてもらえない」と感じるのは

「相手が自分を信じている」ということを自分が信じていないからで、

結局私が蒔いた不信の種が芽を出しツタを伸ばして

私自身を縛っているだけだったりもする。


結局どれだけ私が周りの環境を悲観したところで、

全ては私に起因しており、

また、全ては私の思い込みが織り成す妄想なのかもしれない。


そう。

これは全て私の頭の中で起こっていること。


この日記は誰に宛てたものでもない。

予定


というものが苦手だ。

その予定があるということに対して自分が構えてしまうから

前日くらいには大体そのことを考えすぎて疲れきってしまって

当日は早くその予定が終わることだけを考えてしまう。


知り合いのバンドの企画とか

○○さんの歓迎会!送別会!とか

入学式とか卒業式とか

3日前くらいまでだったら多分楽しみにできるけど、

当日は絶対テンションが落ちるから

最近は先の予定はできるだけ決めないようにしている。


義務


ということばが重い。

きっとそこまで考える必要はないのに、

予定に対して行かなければいけない。とか

空気を乱してはいけない。とか

いろんな部分で自分で自分の言動に制限をかけてしまう。


全部は自分の思い込みで背負い込み過ぎなだけなんだろうけど

考え始めてしまったらとまらない。

こないだ高円寺でDJをやったときも当日行くのがものすごくいやだった

DJやらせてもらえる!という状況が、

日が経つにつれて「DJをやらなければならない」

という義務へと変わってしまった。


目下の問題は10/10のYellow Studsワンマン@渋谷デセオ

バンドが自分でワンマン打って

お客さんが勝手に集まるところに

自分も勝手に行くだけなのに、

なぜかもう「行かなければならない」という義務感にかられている。

この重さで結局家から出られなくなるのだろうか。


ひねくれた自分を直すタイミングはもう見失った


この日記は誰に宛てたものでもない。