ミノル・ヤマサキ事務所でのワールド・トレード・センターの実施設計が終わり、引続き設計監理に従事するため、永住ビザを申請中だったが、ヤマサキ事務所の情報で、次ぎのベトナム戦争のための徴兵にひっかかるとのことで、急遽帰国した。DETRIT ARTS & CRAFTSの工業ザイン学科で学んでいた婚約者の紀美代の卒業を待ち、11月に結婚をきめ、新居を探すことになった。

 私の結婚を期に父親が老後住宅を、隣町の氷川町(現、渋谷区東)の長男の家の隣の土地に、私の設計で新築し、姉が両親に替わり1Fに移り、私達が姉の後の4Fに住むという家族の大移動がきまった。
 姉の住んでいた羽沢ハウス4Fの住居は約100㎡のごく一般的な3LDKであったが、新婚生活を送るには充分だった。しかし築後6年経過しており、経年劣化も出始めていたので部分的に改装することにした。予算の関係と、アメリカに戻る可能性もあったので、間取りは変えず、仕上げ材と細部の変更に止め、後は製作家具等で自分しさを演出することにした。
 
リフォームの概要
○ LIV

 当時の分譲住宅の平面は、公団住宅の影響が残り個室には必ず和室があった。この家にも和室があったためLIVが狭かったが、良い和室だったので、将来子供室が必要になるまで残すことにした。南の連双窓は日照が強すぎるため、カーテンの変わりに障子を設置した。

 

○ KIT・ユーティリティー
 KITは当時の日本の平均的な構成だったが、フランク・ロイド・ライトが提唱するKIT とユーティリティーを合わせた主婦のWORK SPACEとして大幅に手直しした。

 

○ 書斎
 義兄が教育学の学者だった関係上、書棚は完備されていたため、製図と模型製作のための製図台・他を追加し、妻と共用のデザインスタジオにした。

 

○ 主寝室
 ダブルベットがやっとの広さだったので、そこに必要家具を吟味して置くに留めた。

 

○ 浴室・便所
 浴室には、日本で最初のポリバスが設置されており、床・壁もタイル貼りだったので、劣化もなくそのまま使った。