お日様を浴びると、考え方が前向きになりますね。
太陽のエネルギー、すごいなぁ(*μ_μ)
今まで居た人が、居なくなる…
この世に生まれた以上、誰しもが経験していかなくちゃいけない事
アメ限にしていたので、わからなかった人も みえますね。ごめんなさい。
7日から8日に日付が替わる頃、伯母が亡くなりました。86歳でした。
母の姉で、母とは、一回り違い。
伯母ちゃんの旦那様は父の兄。
兄弟、姉妹同士の結婚だったので
余計に近い存在でした。
伯父ちゃん伯母ちゃんが栃木から名古屋へ来て、裸一貫で始めた魚屋。
いきなり有り難い忙しさ、猫の手も借りたいぐらいで、そこで東京で仕事に就いてた母を呼んだらしいです。
そして、伯父ちゃんより17歳下の父をこれまた名古屋へ呼んで、大学に行かせてくれました。
父は勉強が好きだったので…
父と母は、そこで愛が生まれるわけで(*^^*)
まっ、この話は あっちに置いておいて~
父や母にとって兄姉は親みたいなもんですよね。
私にとっては、おじいちゃんおばあちゃんみたいな存在でした。
名古屋へ出てきて並大抵の努力じゃなかった伯父ちゃんと伯母ちゃん。
頑張ったかいがあり、少し有名な魚屋になり
新聞にも取り上げられたり、テレビにも出ました。
毎日すごい繁盛していました。
私も魚の名前(^^;を覚えなくちゃ!なんて結婚前、軽い気持ちでお手伝いに行ったら…
げっ(゜ロ゜;ノ)ノ
凄すぎるお客さんたち!
『よしの!前に出て売り子やってくれ!』
私『え?みんな(従業員)にお茶だしと、魚の名前覚えにキタだけなのにぃ(^^;??』
『やってくれ!』
私『あいあいさ~(^.^)ゝ』
と軽く前に出たら
お客さんに、押されるおされる…
昔は、順番なんてなく囲まれるかこまれる
有り難い悲鳴です。
伯父ちゃんは17年前に他界。
伯母ちゃんは、伯父ちゃんが居なくなってから寂しそうでした。
私の家の向かえなので、ちょこちょこ出入りしていましたが
三男家族と同居していましたが
伯母ちゃんは、昔の話をしたいようで
行くと必ず話しだす苦労話。
あぁ、もう何十回も聞いたなぁ
と思いながらも、ホントに過酷だったんだな~
と聞いていると、お嫁さんに
昔はみんな苦労してきたの(#`皿´)
と鬼のような形相でものを言うから
伯母ちゃんも、だんだん喋らなくなっていっていました。
あぁ、こんな事書くつもりじゃなかったのに…
なんか、なんか、なんか、悔しい…
私が見てたわけじゃないから何も言ってはダメだよね。
伯母ちゃん、ずっとショートスティとデーサービスに行く毎日で家にいなかった…
だから、最期ぐらいは家に長くいたかったんだね。
友引が入り延びて、混んでるからと
また延び、家で三日間も寝ることが出来ました。
だから、斎場には行けないからと、ご近所のお年寄りの方は会いに来てくれました。
あと、栃木にいる伯母ちゃんの妹。
圧迫骨折、胆石で入院したりしてたので来れないと思っていたけど…
行く!
と。
親戚のお姉ちゃんたちが、いいわよ!しっかりサポートしていくから!
って。
でも、朝9時から始まる告別式。
始発で栃木を出ても名古屋に着くのが9時ちょい過ぎ。
タクシーの運転手さんに、斎場まで かっ飛ばしてもらってきてね!
焼香は、一回でいいところ三回やったり
ゆっくり歩いたりして時間を稼ぐ
でも、時間が…
司会の人が
これで、終わらせてもらいます
とマイクを持って話し出した…
あぁ、間に合わない
あぁ、今どこだろ!?
焦る私たち
電話してくるわ!と母が席を立とうとした時、三人が現れた(T▽T)
よかった~と思った瞬間、号泣。
姉妹会えた。
最期のサイゴに会えた。
栃木に行きたいって言ってたもんね。
それは、姉妹やみんなに会いたかったって事だもんね。
おばちゃん、突然いってしまったから綺麗なまんま。
色白の美人さんだったから、化粧はしませんね。
と言われ、全く化粧はしませんでした。
本当に綺麗でした。鼻筋が通っていて
綺麗な口元。唇は時間が経って赤くなっていくのが不思議。
美人さんのまんま。
パパが、時代が終わったな
と。
あの楽しかった伯父ちゃん伯母ちゃんの全盛期時代、忘れません。
おばちゃんの、たくましかった姿も忘れない。
いっぱいいっぱい幸せをありがとうございました。
おばちゃん。
心配してくれたブロ友ちゃん、ありがとうございました。
もう、こころは落ち着きました。
一日、一日を大事に頑張っていきますp(^-^)q
Android携帯からの投稿