それまで1年半以上学校に行かなかったハナコが学校に戻ろうとしていた、4年前の春。
当時小学5年生。
目立ちたくない気持ちから周りと違うスケジュールを嫌うハナコに短時間の登校の選択肢は無く、みんなと同じ時間で、同じレールに乗ろうと必死でした。
学校から遠ざかっていた1年半の間の知らないこと、やっていないこと、持っていない物、そういう自分と周囲の違いを感じながら、本当によくがんばっていたと思う。
そうして5月になる手前までがんばってから、ハナコは糸が切れたようにパタリと登校するのを辞めました。
糸を切ったのは、私。
目に見えて疲れが溜まって限界の様子のハナコに私が堪らなくなって、"もういいんじゃない?"と声を掛けました。
せっかくがんばって再開した登校だったから、声をかけることが水をさす行為にも思えて、とても迷ったし辛かった。それでも、真面目で周囲の顔色に敏感なハナコに私から声を掛けなければと思いました。
体験として深い傷になる前に、程々の疲れで一旦休もうという提案のつもりでした。
再び家で生活するようになり、しばらく活発にお菓子作りをしていたハナコの姿をよく覚えています。
まるで何かの帳尻合わせをしているようでした。
それから半年後の秋、ハナコは再び動き出しました。
確か運動会がきっかけだったと思う。
当時、友達にも先生にも恵まれていました。
丸一日の登校を週に一度のペースから始め、先生とハナコと私の3人4脚みたいな空気感でたくさん相談し調整しながら、少しずつ登校日数を増やして行きました。
幸いそこから卒業まで、相性のよかった担任の先生が持ち上がりで見て下さり、1年半の間に慎重に少しずつ、最後は週4〜5日登校できるようになりました。
穴あき登校だったこともあり、宿題は基本的には免除にしてもらっていました。
みんなと机を並べながら、どこまで授業についていけていたのか…
開き直ってマイペースにしていたのか、学校でどの程度にフォローして下さっていたのか、ハナコはどんな気持ちでいたのか、想像はするけど本当のところは私にはわかりません。
そうして迎えた卒業と、中学への入学。
入学前に学校と私とで面談の機会を設け、状況を共有していただきました。
そうして入学後1か月を猛烈にがんばって、またまた切れた糸…。
以降、学校との関わりがほとんど無いまま、ハナコはこの春に中学3年生になります。
直後しばらくは、なんとか少しでも学校と継続して関わる術はないものかと、私からたまに小さく提案をしてみたりもしましたが、学校の名の元に有る人やものに対してハナコは、思考も身体も硬直状態になるようでした。
中2の春を迎えても、学校に戻るイメージがさっぱり持てない状況が続きました。
目の前の学校より、卒業後の進路を含めたに未来に目を向けることができるようにしていこうと私が思考を切り替えたのはこの頃です。
自己決定の原則に従い、ハナコ自身で環境は自ら選べるということに気づいて欲が持てるようにしたいと思いました。
今現在もこのスタンスで試行錯誤、継続中です。
性格的に消耗しやすいのだとは思いますが…、所属する学校と継続して関わりを持つことができなかった春の記憶は、ずっとモヤモヤと私の心の内にあります。
当時から塾の先生が、登校と同時に塾へも通えるようにと、一生懸命声を掛けて下さっていました。だけど学校だけでいっぱいいっぱいのハナコだったから、とてもそれ以上がんばれとは私から言えませんでした。
もう少し学習面や学校生活のフォローができていたなら、マイペースにでももう少し学校にいることができたんじゃないかと思ったりもします。
たらればを言えば、キリが有りません。
正解のわからない、長くて時に苦しい戦い。
苦しいことばかりでは無い、子どもらしく当たり前の楽しい時間も沢山有ったはずと思いながら、こういう試練がなぜ娘に、とも思う。
春を迎え、新年度の始まりと共にがんばろうとする子ども達の姿を思うと、胸が熱くなります。
がんばろうとする子ども達が、適切な支援の元で、どんな経験も糧にして、それぞれ無理なく成長して行けますように。
願って止みません。
おまけ
我が家で子育て中の母がもう1人、否、1匹。去年捕まえたクロオオアリのお母さん。春を迎えて、動き出しました!愛おしいんです…。