学校に行かないタロウ(小4)の口からから出た、最近の気になる発言のひとつに、

 

「強制的に何かをさせられるのは嫌だ」

 

というものが有ります。

 

 

 

薄々伝わってくるのは…

 

学校での体験が、保育園と比較して割とそういう認識なのだということ。

 

(またしても…、保育園の呪いですか…泣)

 

 

 

タロウ自身が遠足などを例に挙げて、個人の興味より集団行動が優先されることなんかをよく、”つまらない”と言っていました。


保育園の遠足だって、集団行動だと思うんですけどね。仲間意識や、主体的に取り組む空気の濃さの違いかなぁ、と想像しています。

 

私としては単純に理解できる部分と、全て言葉通りには受け取る必要の無い幼い表現も含んでいると思っている。

 

 

 

そうして私、この発言について何が一番心に引っかかったかというと、タロウがそれを何度も私に向かって口に出すことで、それをこの先タロウ自身が家に居続ける理由にしてしまうことは避けたいということ。

 

 

約2年もの間、本来なら社会の中で自然に学んで身につけていたであろう経験値が、タロウには(ハナコにも)圧倒的に不足していることが、悔しい。

  

この2年、得たものより失ったもの、奪われたようにも感じる事の方が圧倒的に多いと思っているから。

 

 

 

何に奪われた?

 

 

 

何でそんなことになった?

 

 

 

地域の学校環境について私が求めることを、先日身近な立ち話のような場でついつい口にしたところ、「それは私立に行くしかないよね」と簡単に言われてしまった。

 

まぁ、現実がそうであることは、私も理解しているのですけど。

 

 

 

(私の思う)本質はそうじゃない!!!!!

 

やり取りの後で、心がギュッとなりました。

 

地域の子どもが当たり前に地域の学校を居場所にしようと思った時に、それが叶わないことへの危機感や納得のいかなさが、私の中には強くあるからです。

 

 

 

不登校の急激な増加。

統計に表れていない子も含めたら数字以上にいるはず。

 

 

先生の厳しい労働環境と人材不足。

不登校の立場の保護者目線で見ても、伝わってくる。

大人でさえも学校に居心地の悪さを感じているということではないかと思うと胸が痛い。


 

昨年、現状の学校の仕組みが障がい者の分離教育に繋がると国連から指摘されたことの意味。

 

 

先進国の子どもの精神的幸福度のランキング、日本はワースト2位だという。

 

 

運動会を楽しめない人の声。

ブラック校則を指摘する声。

 

給食費の公会計化の動き、

各地で見られる学校の"目的を見直す"取り組み、

改革の提案をするたくさんの人の声。 

 

 

今の子どもを取り巻く環境に危機感を抱いている人は、決して少なくは無いのだと感じる。

 

 

繊細で感じやすい子、凸凹の有る子に特にしわ寄せがいっている。

 

 

 

不登校の理由を考えることに空しさも感じながら、

 

例え愚かな親だと思われても私は

 

子ども達の大事な体験を”奪われた”という気持ちが拭えないでいます。

 

 

 

毎日細切れの時間に追われながら、今何をすべきなのかを常に考え続けながら、こういう感情が頭に沸き上がってくる。

 

忙しい程沸き上がる感情を、いつもグッと内側に押し込めている。

 

 

 

すみません、愚痴っぽくて…!

 

 

 

 

おまけ



嫌な気持ちは、いつも元気なかわい子ちゃんに癒やしてもらっています…!これは、ご飯がもらえると思っている顔 笑