学校に行かない2人について私が思うこと。


学校に行ってくれたらなぁと思います。
日本の社会で生きていく以上、だいたいの場合において楽だからです。本人も、親も。


我が家は共働きでどうにか家計をやり繰りしていて、教育にかけられる時間もお金も限られていますから。



たまに、周りから体験談として「学校は当たり前に行く場所だから選択肢を与えず行かせる」とか、「雑に育てているから疑いもせず行く」とか、悪気無く話してくれる人もいますが…


裏を返すとまるで我が家の教育が甘いから行かせることができないんじゃないか、過保護な育て方をしているんじゃないか、という風にも取れてしまい、話を続けることがしんどくなることがあります。



また、最近は娘に加えて息子が春から不登校になり、なかなか周囲に説明がしづらいと感じるようになりました。かと言って上っ面の会話で済ませるのも、それはそれでしんどいのです。




行けないのだから仕方がない。




不登校児の対応で第一番に優先しなければいけないのは、なにより子どもの心身の健康を守ること。


これもたまに耳にする「家庭の居心地が良すぎて…」という話。いいと思います!何より大事なこと、守らねばならないことだと思います。







私は、子ども自身の育つ力を信じています。




我が家の子ども達の利用した保育園で、そういう信念を持った保育者の方々と出会い、そのような環境で我が子に限らず子ども達が伸び伸びと育つ姿を見て、確信を持ってそう感じるようになりました。




学校は成長の過程で利用する場所です。
学びの場は、選ぶことができる。

(現実は厳しい部分も有りますが、そうあるべきだと思う。)




心身の成長と共に、いずれ必ず学びたい欲求、向上したい欲求が強く現れる瞬間がくるはずです。 



 
子ども自身がそこに気づいた時に、選択肢を広く持てるようにしておきたい。消去法で苦しい選択を余儀なくされるような事にはしたくない。




その為に今、子ども自身が主体性を持ち伸び伸びと生活できるようサポートする。子どもの育ちを妨げるような、余計な害を与えない。

ゆくゆくは、2人が自力して幸せな生活が送れるようになること、そういう大人に育つことを私は望んでいます。




現状、我が家では学習面での習慣づけがうまくできていないところが私の悩みの種では有りますが、それ以外の部分については大雑把に言ってしまうと、特に心配はしていません。




2人の不登校児を支える生活を重く感じることも有りますが、私から見て2人はそれぞれ可能性に満ちたとても魅力的な子どもです。


不登校の2人が揃うことで、私が負の部分について×2というように感じることがある一方で、正の部分、良いことについても×2となる場面も有ります。


もしかしたら隣の誰かより悩みは少し多いことも有るかもしれないけど、それなりに幸せな子どもでも有るはずで、外でいろいろあっても家庭内では親として精一杯、正負のバランスは守るように努力してきました。



『人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見ると喜劇だ』


いつか2人が、今の試練を乗り越えて成長した姿を見せてくれた時、今のジタバタ試行錯誤の日々が笑い話になる。


その日をとっても楽しみにしています!




それまで根気強く、なるべく丁寧に、日々積み重ねていけたらいいな。




子育てに正解、不正解は無く、誰もそれを教えてはくれませんが、以上が私が正しいと信じて目指すところです。

また、同じような感性で我が家の子ども達の成長について話すことのできる人が、私の身近にいつも複数人いて下さることは、本当に心強くありがたいことです。




今では珍しく無いはずの不登校。


数年前、不登校の子どもに関する国の方針が新しくなりましたが、その文言に反して現場はまだまだ整備されていない状況だと感じています。


私の身近に何人もいますが、同じ不登校という呼び名でも皆全く状況が違います。それぞれ孤立と隣合わせで悩みながら試行錯誤の日を暮らす。受け皿が質量共に不足していると思います。


子も親ももっと楽に対応できる環境が当たり前の仕組みとして整うことを、切に願います!