最近何かと話題の「あおり運転」ですが、ツイッターのトレンドワードに「顔面殴打」という物騒なワードがあり、ディーラの代車であおり運転したあの人?でもあの衝撃映像から何日か経ってるし…と思って気になって見てみると、常磐道であおった43歳の容疑者とは別の42歳の容疑者が、岐阜県であおり運転の末に被害者の顔面を殴打したとのこと。
「またか(実際の事件発生は42歳の方が8/3、ガラケー彼女同伴の方は8/10なので、時系列でいえば「またか」は生野警察署推しの方なんだけど、ニュースになったタイミングは逆)、歳も近いな…」と思って見ていると、こんなツイートを目にした。
要約すると「人をゆとり呼ばわりする世代の彼らを【あおり世代】と呼ぼう」とのこと。

「えっ?なんであおり運転の話題から急に【ゆとり】ってワードが出てきたの?」

「犯人が「このゆとりが!」とか言いながら暴行したなら分かるけど、完全に被害妄想じゃない?」

「年齢とかで勝手に【ゆとり】とか分類してレッテル貼るのは良くないけど、やってること同じだよね?」

と思えるこのツイートに対して、「相手と同レベルになってどうする」とたしなめる返信もあるが、ゆとり世代というレッテルに余程の苦汁をなめさせられた人が多いのか賛同する声も多い。


レッテルの貼り合いはさておき、別の視点から【あおり世代】というワードを考察してみると、恐らく【あおり世代】とやらは「ゆとり教育世代」の対語となる「詰め込み教育世代」が該当すると思われるが、実際に「詰め込み教育世代」にあおり運転が多ければ、レッテル貼りの善し悪しは別として【詰め込み教育世代=あおり世代】は成立する事になるし、同時に失敗だったように語られるゆとり教育が人格形成において一定の成果を上げていたということになる。

実に面白い(ガリレオ風)

ということで検証してみることにした。

検証
詰め込み教育世代はあおり運転するヤツが多い[説]

 

基本的に「詰め込み教育」は、「なぜそうなるのか」という「過程」は軽視して、とにかく知識を詰め込んで良い成績を目指す「結果」重視。

それに対して「ゆとり教育世代」は、「結果」には表れにくいが「なぜそうなるのか」を大切にして想像力を養う「過程」重視と言えます。

これを「あおり運転」で考えた場合、ゆとり教育は過程を大事にするため、あおり運転という結果にならないように過程をコントロールして自制することが出来るのに対して、詰め込み教育は過程を飛ばしているのであおり運転という結果に短絡的に辿り着いてしまうと仮定すると、【詰め込み教育世代=あおり世代】というのは単なるレッテル貼りのように見えて、実は理にかなった説と考えられなくもないわけです。

 

検証方法は、あおり運転が大きくクローズアップされる切っ掛けとなった、東名高速での事件が発生した2017年6月から現在までの、容疑者、被告の年齢※1が判明しているあおり運転のニュース記事をGoogleにて検索してカウント。
ゆとり教育世代は2002年度施行(高等学校は2003年度)の学習指導要領による教育を受けた世代(1987年4月2日~2004年4月1日生まれ)とし、現時点で15~32歳と定義。※2
詰め込み教育世代は33歳以上※3として、どちらの世代にあおり運転が多いか比較します。


補足

※1 参考にした記事により、年齢が犯行時のものや検挙時のもの、報道時のものなど、+1~2歳程度のバラツキがあります。

※2 ゆとり教育世代の定義付けには諸説有りますが、検証のきっかけとなったツイートでは42、43歳は「ゆとり世代」ではないとの認識のためそれに則り、ゆとり教育が本格的にスタートしたとされる2002年度施行の学習指導要領を基準にゆとり教育世代を32歳以下としました。

※3 詰め込み教育世代は、ゆとり教育がスタートしたとされる1980年度より前の教育を受けた世代(1965年度生まれ以前)のため、42、43歳を含む53歳以下は厳密には詰め込み教育世代ではありませんが、今回はゆとり教育世代の対語として詰め込み教育世代という表現を用いるため、ゆとり教育世代の定義から外れる年齢は詰め込み教育世代に分類します。

 

検索の結果、20件のあおり運転を確認。
現在の推定年齢で若い順に並べると下記の通り。
21 25 25 26 28 29 31 31 32
37 41 42 43 44 47 47 58 59 61 83

ゆとり教育世代:9人(45%)
詰め込み教育世代:11人(55%)


僅かですが詰め込み教育世代の方が多いので、【詰め込み教育世代=あおり世代】と言えないこともないのですが、補足でも書いた通り、ゆとり教育世代には諸説有り、定義を見直すと結果が逆転する可能性があることと、警視庁発表の平成30年版運転免許証統計によると、年齢別運転免許保有者数は34歳以下は20.8%、35歳以上は79.2%のため、分母に対してゆとり教育世代は多く、詰め込み教育世代は少ないとの見方も出来るため、

[説立証ならず]
とさせて頂きます。


検証結果
【あおり世代】なんて存在しなかった

 

 

 

 


まとめ

あおり運転と年齢は相関なしという結果になりましたが、「ゆとり世代」とレッテルを貼る行為そのものが「あおり」と言えますので、「あおり世代」は正しいのかも知れません。

しかし、ゆとり教育世代の人が他の世代にレッテル貼ってしまえば、それもまた「あおり世代」となるため、詰め込み教育世代のみが「あおり世代」とは言えず、特定の世代に限定できないのであれば、やはり「あおり世代」は存在しなかったと言えます。

 

ただ、今回「あおり世代」とやらの検証とは言ってますが、本当はそのことはどうでも良くって、「あおり世代」とか「ゆとり世代」とか「そういうレッテル貼りってどうなの?」ってことを考えるきっかけになればと思って書きました。

 

実際、マスメディアは人様のことを勝手に分類するのがお好きなようで、「○○系男子(女子)」とか「若者の○○離れ」とか「今年の新入社員は○○型」とか、よく分からない権威ある風の専門家様がマナー講師ヨロシクでっちあげた胡散臭い情報を屁理屈でそれっぽく見せかけて垂れ流していますが、視聴者はネタでちょっと話題にするくらいで鼻で笑って相手にしないか、「人を勝手に分類するレッテル貼りは失礼」という常識で鵜呑みにしないように歯止めをかけます。

 

しかし、「ゆとり」「ゆとり世代」に関しては、元になった言葉が政府主導の教育方針である「ゆとり教育」から来ているので、でっちあげでも胡散臭くもない、鼻で笑えない的を射た分類だと勘違いしてしまったのか、

実施前から「授業時間大幅削減って…大丈夫?」とか、「完全週休二日?いっぱい休めて良いですね(白目」とか、「円周率を『3』で指導www」とか、学力低下を危惧する体で妬みも含んでいそうな批判的な意見が多く、実施後はなんとか学力低下に結びつけて鬼の首を取ってやりたい人が待ち構えていたのか、

「実際、学力低下したって情報もあるし」とか「政府も間違いを認めて方針転換したし」ということが、『「ゆとり」はレッテルを貼っても許される』という免罪符になると思い込んで、歯止めがきかなくなってしまったのか、

そういうのが重なって、悲しいことにレッテル貼りがしつこく残ってしまっているという印象です。

 

私はレッテル貼りという行為は好きではないので、「ゆとり」や「ゆとり世代」と揶揄することは絶対しませんし、やっている人を見ると悲しくなります。

そのため、今回の記事で特に注意したのが、『「ゆとり教育」と「ゆとり教育世代」、本来の意味である名詞としての「ゆとり」は、他意は無い一般的な言葉』として、『「ゆとり世代」、代名詞としての「ゆとり」は蔑称』として使い分けることです。

辞書によっては【「ゆとり世代」=「ゆとり教育世代」、ゆとり教育を受けた世代を指す】となっていますが、「ゆとり世代」は蔑称と捉えている人が多いと思われるため、蔑称としてではなく「ゆとり教育を受けた世代」を表す言葉として「ゆとり教育世代」という使い分けをしました。

 

ゆとり教育の対語とされる詰め込み教育は、良い成績という「結果」を求めすぎて、「結果」のために暗記が主流となり「なぜそうなるのか」という「過程」を考える余裕がなく、テストが終わると忘れてしまう身にならない教育方針だとの批判があり、また、受験戦争、校内暴力、非行、いじめ、体罰、不登校、落ちこぼれ、自殺などは人の心に重きを置かない詰め込み教育が原因とされ、ゆとり教育が生まれました。
「なぜそうなるのか」という「過程」を大切にして想像力を養い、身になる教育を目指したゆとり教育は、教育の本来あるべき姿であり理想的と言えますが、ゆとり教育が本格的にスタートしたとされる2002年度施行の学習指導要領について、マスメディアは学力低下を危惧する体で「完全週休二日制の導入」「大幅な授業時間の削減」「円周率をそれまでの3.14から3で指導する」といった一部分をまるでゆとり教育の本質かのように切り取って面白半分に報道したことで話題が独り歩きしてしまい、また、一部の学力テストにおいて学力低下が見られたという報道も有り、一部の心無い者達から「ゆとり世代はレベルが低い」等の間違ったレッテルを貼られてしまったのが「ゆとり世代」の正体だと思います。

 

しかし、JOJO5部のテーマにもなっていますが、「結果」だけでなく「過程」も重要です。

レッテル貼りの話題から脱線しますが、ここで視点を変えて「結果」と「過程」について考えてみます。

企業では「ISO9001」などの品質マネジメントシステムが重要視され、認証取得していないと取引できない企業や、入札できない現場があるくらい重要ですが、これは「過程」を重視した品質管理です。

過程を疎かにすれば結果にバラツキが出てしまう。

過程を重視すれば結果のバラツキが少ない。

品質管理では後者が重宝されまますし、顧客やエンドユーザーも後者を求める場合が多いと思います。

スポーツでもジャンルによっては1回の好成績より、アベレージが高い選手の方が高い評価を得ることが多いです。

勉強に置き換えると、結果を重視して今回100点を取れても、過程を忘れてしまって次回は50点かも知れない勉強方法と、過程を重視して今回も次回も80点を取れる勉強方法ではどちらが良いかという考え方も出来ます。

そのため、学力テストの結果が良くても、過程が身になっていないのであれば勉強方法としては失敗と言えるため、単純にどちらの教育が上か下か、正しいか間違っているかの判断はできないと言えます。

 

それに、もし「ゆとり教育」に何らかの問題があったとしても、そのことで攻められるのはゆとり教育を実施した人達であって、教育を受けた側に落ち度はないし、ゆとり教育世代と詰め込み教育世代で違う部分があったとしても、それはゆとり教育とは関係なくただのジェネレーションギャップの可能性が高いわけですし、それぞれの違いを否定するのではなく、尊重して認め合えば良い話です。

 

ただ、「結果と過程の話」や「ゆとり教育の論点」は、レッテル貼りの問題と切り離す必要があるため、そのことを熱く語ったところであまり意味は無いと思います。

もし、「ゆとり教育は悪くない」、「過程も重要」ということを、レッテル貼りが良くない理由にしてしまうと、「じゃあ『ゆとり教育』が失敗で結果が全てだと証明できればレッテルを貼って良いんだ」という話になります。

そうなると「学力テストがー」とか「政府も間違いを認めたし」とか言い出して面倒なことになりますし、論点はそこではありません。

大事なのは、どんな理由があってもレッテルを貼ること自体が良くないということです。


そのことは分かっているはずなのですが…

「ゆとり世代」というレッテルを貼られて散々嫌な思いをして苦しんで、レッテルを貼ること自体が愚かで良くないと身にしみて分かっているはずなのに、「あおり世代」というレッテルを貼っている人達がいる…

こんな悲しくて虚しいことはありません。
「やられたから今度はやり返してやる。様見ろ!」「散々苦しめられたんだから自分たちにはやり返す権利がある!」という短絡的な行為を見て、自分たちが嫌だったはずのレッテル貼りという愚行を真似て欲しくないという気持ちもあって、それに気付いて欲しくてそのきっかけになればと今回検証をしてみました。
もし、ゆとり教育世代の方が多いという結果であれば、【詰め込み教育世代≠あおり世代】となり、間違ったレッテルを貼ってしまったことを反省してもらうことで冷静になってもらいたい。

逆に詰め込み教育世代が圧倒的に多ければ「ゆとり世代とか人の事バカに出来ないよね?」と、ゆとり世代というレッテル貼りを牽制することで、レッテル貼り自体が良くないことと考え直すきっかけになって、「あおり世代」という短絡的なレッテル貼りも良くないと気付いてもらえるかなと。


遠回しですが、直接言って聞かせるという「結果」を求めるやり方より、自ら気付いてもらう「過程」を重視してみました。
あおり運転と教育方針は相関なしというどちらでもない結果になりましたが、それはそれで気付きのきっかけになるかな?なれば良いなと思います。