富山のステキな人々2015-1
とやまのステキな人々
2015年9月12日
富山県民小劇場オルビス
昼夜2回公演
以下のレポートは夜公演による
富山弁って、金沢弁とも違う、もちろん新潟の言葉とも全く違う。出身者以外のだれも富山の方言は知らないだろう。江戸時代から薬売りで全国の情報を収集し、商品開発にも精を出し、話術を磨いた。おまけ商法だって富山が発明したのじゃないかしらね。薬売りについてくる紙風船にゴム風船。
富山は独立国だ。自分たちの気質を目立たぬように守り、富山出身者が帰ってきたくなる自然と文化とそして大きな声では言えないが、裕福さも維持している。なあんてね。富山は豊かなところです。
ここは10年ほど前に、魚津で最初のワークショップが開かれた。このあと、富山の駅前の県民小劇場でワークショップ公演が何度か開かれた。それと並行して、ラジオ番組の作成も継続的に行われた。地元のラジオ局で流れたはずだ。そのときに常連となった人たちがワークショップにも参加し、去年富山イクシルという劇団を旗揚げした。「イクシル」というのは、いやー、驚いた!という意味だそう。富山は町の西と東でも言葉が少し異なるらしく、富山県民でもイクシルを使う人とそうでない人に分かれるらしい。ワークショップも手慣れたものだった。今回の芝居は元気がよかった。大声で自分の言いたいことを叫んだ感じ。演じ手も見ている人も気持ちよかったんじゃないかな。テーマは結婚。子ども世代が新たに自分の家庭をもつ。しかし、親世代に対して何か反抗してやりたい気持ちを結婚相手の存在を通じて行う。結果、誰から見ても、その相手だけはやめなさいという、情けない相手を選んで親にかみついてしまう。いまどき、親の意にそまぬ相手と結婚すると言って反抗する子世代はまれだとは思うが、次々登場するとんでも婚約に、大笑いさせられた。まだまだトラディショナルな考え方が強いこの町。それだけに、親に歯向かう子どもたちのありようも結構類似してくる。反抗そのものが新しいということか。
シーン1 老人施設のレク
幕開けは、老人施設のシーンである。舞台上に立つ4人はいずれも「富山市民劇団イクソル」の重鎮。といって、ワークショップ以外に芝居をしている人たちではない。落語家や詩人や、歌わせるとプロ級という技に覚えはある人。ただし、森田雄三ワークショップでは、そんな普段の芸達者はしばらく脇に置いてナイーブな素人として毎回台詞を作っている。
4人の老人に、舞台下手袖からナース豊子が各人に声をかける。結構辛口である。後ろに控えている白衣の医師らしい人物が鷹揚に声をあげるやいなや、ナースに制止される。
ナースが引っ込むと、舞台上の老人がひとりごちる。
「きょうびの若いもんなあ、ものを持たんとすぐ機械にたよってしまって。」
「めだまやき的な、ってわたしらばばあ的なではありません。」
と、舞台下に控える演じ手たちが、口々に各家庭での高齢者とのやりとりを叫ぶ。
「どこにでも入れ歯おいて」
「2つだよ2つ、貸金庫のかぎなくして」
今回、舞台下に控える出演を待つ間の演じ手は、背景音として、鶏の鳴き声や、虫の鳴き声を出し続ける。それによって、繰り広げられるシーンが、町中でもなく、かといって田舎すぎる場所でもないらしいとイメージがわく。
リハビリの先生が変わるがわる登場。
老人たちに、平泳ぎの水かきを教えたり、ボーリングの球を投げさせたあとに右足を左足の後ろに流す動作をくりかえさせる。やがて、白衣の男性が登場、老人たちは口々に院長先生、と呼ぶが、遅れてやってきたナースが、部屋に帰ろうねと連れて帰ってしまう。院長はニックネームかもしれないが、入居者からすれば、社会的な役柄を負っている人の方が親しみやすい。ここでは「魚やさん」とか「社長さん」とか、「先生」と呼んではもらえない。
最後にバリ舞踊の実習もあり、首を左右にありえないような動かしようをしたり、目を剥いて顎だけを動かすよう指示されて、みな、目を白黒させる。老人施設のプログラムが、老人の日常としてはちょっと浮いているのを滑稽に見せている。
バイオリンが優しく鳴り、ミュージカルナンバーか、公園の鳩餌売りの歌が何かをいやしてくれる。
コココっと舞台下で鶏の声がする。シャーシャーと走る車の音ではなく、鶏の音が聞こえることから、家と家が少し離れている空間を感じさせる。
シーン2 落語指南
小噺を口伝えで教わっている女の子。
教えているのは祖父のよう。
「最近、耳が遠て、自分のおならの音も聞こえんがやと言ったら、医者がこの薬のんでみられっていうから、
この薬のんだら、耳ようなるが?
いや、おならの音が大きくなる。」
みたいな話も、照れずに女子らしく語ってみる。かわいい。
「マユカよ。いい男できたがか?マユカ、じいちゃんに似ておとなしいからなあ。」
と、じいちゃんも中学生のとき、学年で一番かわいかった女生徒に声をかけようと思うと顔は赤くなり、上ずってしまったという。それが、何十年も経って整骨院でばったりと出会い思い切って声かけて整骨院友達に。やがて花の栽培が共通の趣味とわかり、と孫のボーイフレンドの話をするんじゃなかったのかな、と心配になるほど、自分の老い楽の恋バナにふける。そんなじいちゃんの思い出話を遮るでなく、楽しそうに聞いている孫娘も、この夏浴衣姿でデートに行った話をする。
「花火大会のとき、浴衣きて、駅で待ち合わせしたんね。最近富山駅きれいになったでしょ。で、ようわからんで、走ったわ」
じいちゃん、ハーモニカをふく。フォスターの曲かな。孫娘はじいちゃんのハーモニカをバックに、彼氏とのエピソードを話し続ける。
「あのね、タイ焼きの横顔がカレにそっくりなん。」
と、鯛の受け口をまねて笑わせる。
平和な祖父と孫娘の色恋のお話。孫娘の思いやりだろうか、話して聞かせるボーイフレンドとのエピソードはかわいらしく、お嫁に行くのはまだまだみたい。祖父は心配なような、安堵するような。
バイオリン
♪もしもあなたが雨にぬれ、いいわけさえもできないほどに、なにかに深く傷ついたなら、せめて、私は手をむすび、風にほころびるはなになりたい。
はなのように、ただそこに咲くだけでうつくしくあれ♪
シーン3 モテ期の孫と祖母
ちんとんしゃん、ちんとんしゃんと枯れ木のような老婆が日舞を踊っている。
「まあちゃん、好きな女の子はおるがか」と、日舞の所作につられて新派芝居のような言い方で言う。
「ついにね、おれにもモテ期がきたよ。」
「松のみどりはかわらねどいとしいあの人のこころはどこに、はらはらはら」
「これは手紙なんやぞ」と、巻紙の文をはらはらと落としながら読む仕草を解説する。
「いかないで、いかないでもどってきてよ、ねえねえねえ。これが女の人が恋に狂うって日舞や。」
「おれを好きだっていう女がいてさ。
毎日2,3行の手紙をよこすわけ。
秋ですね。わたしの心はあなたにはあきません。
あなたの笑顔をみてると私のこころは猛暑日です。
意味わかんねええ。」
「昔、二十歳のころやった。市場行ってええ、ばったりアラガキくんに会うたんや。美大生で彫刻やっとるがや、西瓜こうとるねん。夏やもんねえ言うたら、ちごうがと。西瓜をほうりなげて、割れたがを彫刻にするがやと、見にくる?ていうから、行くうっ言ったがや、アラガキくんその西瓜もちあげて、振り下ろそうとするときに筋肉がぷくぴくと動いたんや。真っ赤な西瓜がとびちって、あっらあ、これがきれいなんかなあと見とったら、
好きです、告白されたがや。」
色気の残り香たっぷりの祖母は、孫の様子を見ながら、また「月が」と踊りだす。
孫は炭坑節をかぶせて歌い、祖母をからかう。
この2つのシーンは、祖父母と孫の関係ならば、若い青年たちは、直に自分の恋の話をするし、祖父母とて、墓に持っていくわけにもいかない恋愛の経験は、からかわれても平気な孫にしてみる。孫からすれば、御伽草子の中のお話のような気分で聞いているのだろう。大体祖父母が若かったころって、本当にあったのか想像もできない。携帯やネット環境がなく、テレビすらなかったころの青春を想像するのは無理だろう。この2つのシーンからは、若者の性が結構保守的で、用心深いことが推測できる。ところが、次のシーンから事情は一変する。