富山のステキな人々2015-4 | イッセー尾形・らBlog 高齢者職域開拓モデル事業「せめてしゅういち」

富山のステキな人々2015-4

 

シーン12 ストーカー夫

 

「結婚しなかったらストーカーになるって言われて、

警察が出入りするような家に嫁に行きたくなかったの。」

泣き続ける。

自分が働いた金を、夫だけでなく、義母も義父もねらってかすめていくと泣く。

結婚当時反対した母親は、帰ってこいと言う。ばあちゃんなら来月からホームに行くから、あんたの部屋はあくよと。

それでも、夫とリス園に行くのが楽しいと言いながら、娘はトルコ行進曲をカラピアノで弾き始める。付かれたように。

母は踊りだす。

 

そこへ、バイオリンが流れて、

貝殻節がかぶさる。出演者が、♪かわいやのう♪と唱和する。

 

 

 

同じような設定でいくつもの親子が登場して、大声で言いあう。それだけで、実は本当はありえないシーンじゃないかなと思った。北陸は概して人はおとなしい。

富山は3世代の家庭が多いだろうけれど、ここに登場した家庭は、単身親の世帯だ。親の世代ですでに夫婦の関係性を維持することができなかったと想像できる。

 

私自身、北陸の町で家庭を作り18年を過ごしたのち、東京に住んでいる。東京に比べると、若い人は早くに結婚して身を固めていたように思う。自身に経済的な基盤がなくても、どちらかの親が新居を用意するのもまれではなかった。土地が安いし、家の一軒持てないと一人前ではないとみなされる。永年住み着いた家ならば、空き家の一つや二つもっているのもめずらしくはない。北陸では、結婚して家をもち、子どもを持ち、車は大人の数だけあって、そうやって次の世代が形成されていく。いまだに結婚圧力が高い。

 

この芝居は、そんな北陸の保守的な風土の中で、大人になってやっと自己主張できる子ども世代の物語だ。親も若くて働き者だ。結婚して一家を構えて一人前とみなされるコミュニティであるが、残念北陸には、それほど仕事があるわけではない。家族を養える経済状況に達することは結構ハードルが高い。家は用意されてしまうのに、である。ところてんのように学校を出たら結婚して家を持ち、大人になるコースが準備されている。でも、世間から評価される職業や社会的な立場は、若い人の数に足りない。

都会の貧困とは異なる矛盾は、どこかで笑い飛ばすしかない。大真面目で、レスラーの覆面とか。もう、結婚をおちゃらけにしているとしか思えない。こんな滑稽でいいのか、と自分と親が視覚化できるようなシーンをこれでもか、と畳み込んだ。

 

親も子ども世代も、この芝居では大声で叫ぶ。主張する。滑稽な結婚が可視化されているから、声が大きくなる。主張する恰好を取る方がつり合いがとれる。でもって、最後はなんか大声で歌うとか、踊るとか、芸をするとか。昔の宴会で、誰かの剣舞や詩吟で締めた、あれの感じがする。やはり、古風だけれど。