すてきな先生・ズと神戸のフツーの人たち-3 | イッセー尾形・らBlog 高齢者職域開拓モデル事業「せめてしゅういち」

すてきな先生・ズと神戸のフツーの人たち-3


 

ここからは夫婦のシーンです。学校の先生が家庭訪問に来て、日常は気づかないようにしていた子どもの不祥事や不適応に直面させられます。そんな先生が訪れてきたその夜の家庭のシーンが中心になります。

 

「夫婦シーン1」 

小柄でくよくよした感じの母親と、体格は大柄なパジャマ姿の父。

最初にパジャマ姿の父親がその恰好のまま、役所でのグループ朝礼をやります。毎日のことだから、声は低調、一番の脅威は台風です。このところ、市役所と自衛隊は、日本の災害と戦い、そしてその処理をする係のようです。

 

リビング下手に母親。

母「もうええかげんにせなあかん。大事なところや。よう考えな。」とひとりごちます。

「先生が来てな、ケンジ、又学校のガラス割ったんやて。今週は35枚。どう思う、あんた?」

父 「ええやないか、元気あって。ガラスやろ。人とちゃうからええやん。」

もちろん、ええわけがありません。今が親としての踏ん張りどころだと主張する妻に、切迫した事態をできるだけ否認することに熱心な夫。ところが、このあたりから妻の言動も逸れていきます。

「ケンジがなんかするたびに、なんでやろ、新婚旅行のこと思いだすねん。」

「南半球いったやん。雲海がキラキラして、そこに夕日が落ちるって聞いてたから2人で見るの楽しみにしてたのに、あんた、すぐ寝たやろ。私、知らん新婚さんのカップルと夕日見たんやで。これが始まりやったんや。それからや。」

 

父「俺な、新婚旅行で覚えてるんわな。トイレ行ったらな、外人がなんか言うてきたんや。わからんから、ノーノーいうてトイレはいって。そしたら、金の両替をしてくれっていわれてたらしいんやな。応じてたら、トイレの中でぼこぼこにされてとられてたかもしれん。英語わからんでよかったな。」

母「あっちの人みんな金髪やったな。」

 

夜も更けて、きっかけは割れた教室のガラスですが、とにかく思い出した新婚旅行の光景。母がハミングして、とまどう父の手をとり、2人でダンスを踊り始めます。

 

 

「夫婦のシーン2」

下手に白いカーデガン姿の母親。父はシーンの始まる前に舞台前に立ち、とてもていねいに「ぞうさん」の歌を歌います。丁寧にのばされる「ぞーさん」の「-」に、のんびりとした象のながあい鼻がゆれるイメージがわいてきます。「落ち着け落ち着け」と言われているように。

母が先生がきて、タクヤがよその子を殴ったと言い置いた話しをします。ところが父は

 

父「昨日、会社のカウンセリングルームに行ってきた。」

なんだか、あやしい雲行きです。お父さん、奥さんの言ってることがわかっているのかな。

 

父「ちょっと会社休んだ方がいいんじゃないですか?って言われて」

 

母「うちら初めてデートしたん、天橋立やったな。覚えてる?今度タクヤと一緒に海行こか?広い海みたら、タクヤもあんたもワ~って、気分よくなるんちゃうんかな。」

 

父も会社で病んでいるようです。心配性な奥さんらしいしゃべり方が、実は息子と夫をなんとか一人で支えようとする健気さに見えてきます。

 

母「会社休めないかなあ」

父「もういろいろやってみたよ。無理だよ。」

母「だってさ」

父「だからさ、その言い方がいやなんだ。

母「私が仕事しようかな」

父「いつまでもしゃべり続けでないでよー。」

 

妻だって、夫が会社休めないし、部署も変われないし、自分が働いても大して稼げないことは承知しています。でも、夫を追い込まないギリギリの声音で言ってみる、そのいろいろが、夫の本音を出していくのに役立っています。このやさしさに、見ている方はホロリとしてしまう。

「家庭における児童生徒の問題行動の相対化」とでもいうべき現象が、実は家庭の平和を守っているのです。

 

 

「親子のシーン」

下手に、ツナギのガウチョパンツ姿の母親が、テレビを見ながら、ジャズダンスをしています。ア、とかウ、とかエ、とか、要所要所に顎をあげ、半眼にして声をあげるところがミソのようです。興が乗ってきたところに、となりに置物のように座っていた大柄で少し年齢も過ぎた息子が話しかけます。

別に居を構えている父親から連絡があったとのこと。母親は体を動かすことをやめ、聞こうとします。父から小遣いやろうと言われてもらっといた、そのときに、母親の昔の彼氏の話しを聞いたと、息子はうれしそう。父親から大人扱いされる話題を共有された小さい興奮をひきずっています。

 

結婚前、息子の父親と二股をかけた恋人がいたそうで。その恋人は、母親よりかなり年下の学生だったそうで。

一区切りずつ、母親の反応を待って、息子は母の昔の恋人、つまり父親の恋敵を描写していきます。母親は、息子が興に乗って話してくるなら、なんでもいいから聞いてやろうという構え。何気ない態度をとることで、息子が珍しく話しかけてくる時間をできるだけ延ばそうとしているようです。

母の恋人は、学生でした。若くてイケメン。でも、組織に入るのはいやで一匹オオカミ、見聞をひろめるために、いくつもアルバイトをし、と、どうやら、あまり外に出たがらない息子自身と重なってきます。

 

エディプスコンプレックスを地でいく話。父親と息子が母親を無意識に争うけれど、4,5歳の息子は争う相手の父親の大きさに圧倒され、戦う主体としての自分をあきらめて、父に同一化していくというプロセス。どうも、この息子は父との闘いをあきらめずに、自分のイメージの中だけで勝ち続けようとしたのかもしれません。社会に出たら、自分の負けを認めざるを得ない。その準備ができていないので、家の中にいます。でも、父が小遣いやりながら話してきかせた息子にそっくりな母の元恋人イメージは、引きこもり気味の息子がモデルにするにふさわしい優男。どうやら、息子が家庭の外へと出て行くのも間近なようです。

と、母は、あ、「セクシージャズダンス2が始まるわ!」とテレビを見てさらに激しく踊り始めます。やや後ろで、息子は盆踊りのように不器用に楽し気に踊っています。

 

 

「福祉のシーン」

次は、生活保護受給相談のシーンが続きます。お役所の窓口です。相手の状況に肩入れしていたら、仕事は進みません。どうやってそこに回されたのか、手入れのされた長い髪、公務員試験でいかにも文句無しに合格しそうな女性が黒いスーツ姿で登場。まず、舞台前で、歌います。

 

♪真っ赤だな

真っ赤だな、

彼岸花が真っ赤だな

 

高い音程で、「真っ赤な頬っぺたの君と僕」まで歌い切り、かといって、客席になんの媚もないところが味です。着席し、相談者の名前を呼びます。

 

「松尾さーんのシーン」

ご存知、アバンギャルズの松尾が呼ばれて、舞台下遠くから体をやや左右に揺らしながらやってきます。この揺らし加減が絶妙。本気でビビらすような揺らし方でなく、かといって、急ぎ足に見えたら負けると思っている歩き方。

さて、今回のワークショップはなにを隠そう、アバンギャルズ20周年記念、かつ、センセーズ10周年記念、大興行なのです。

 

松「今日も来させてもらいましたわ。福祉課やね、福祉課って、生活保護どうやってきめるの?」

担当「規則ですから」

この芝居、初めてワークショップにやってきたこの女性参加者の笑顔と真面目できちんとした態度そのものを素材に組み込む演出です。ですから、要所、要所で、「規則ですから」

「そうですか」などの決まり文句を控えめな笑顔で繰り出すしくみです。また、時折、相手の服装や健康状態をほめることもあります。で、生活に困っている相談者は、自分の持っているボキャブラリーの限りを尽くして、自分がいかに困っているかを担当者に語り続け、結構勢いにノッテいくことになります。

言ってもしかたのないことだし、聞いてもやりようもないことなので、松尾の繰り出す、危ない系の「戸籍買ってくれる人おらへん?」とか、「下の名前教えて」とかにも、担当者は動じません。どうもならへんとわかっていても、結構、このやりとり、笑えます。

 

 

「イヌイさーんのシーン」

北神戸ワークショップ連続参加組のイヌイさん。

呼ばれて、ぷんぷん起こりながら舞台に上がります。

昨日も書類作ってきたのに、あっち回れこっち行けと言われて時間切れと言います。そりゃ、腹が立つ。結構感情移入しながら客は見入ります。でも、どうしようもないだろうな。そうです。市役所はえこひいきはしません。

規則ですから。

担当「おきれいなお洋服ですね」

と、上は赤い柄物、下は紫のタイかマレーシア方面の絣柄のスカート姿をほめます。

イヌイ「あんた、ばかにしとるやろー。これ、上下そろってないから、って近所の人がくれたんや」と怒ります。

イヌイ「うちの子、8時になったら家おれへん。スーパーいくのん。シールようさん貼ってあるやつ買ってきて、で、それはがしてうちもってかえってくんねんで。」

木で鼻をくくったように、規則ですからを繰り出し続ける担当者ですが、規則以外のところで、受給者がよそでは言えない、家族のあれやこれやを聞くかかりも勤めていることがわかります。

 

 

「石田さーんのシーン」

母「うちな、旦那がブリーダーと不倫しててん。トイプードルだけおいて家出て行って。養育費はらわへんのに、ドッグフードだけもってくるねん。生保の調査にきたとき、うちの子、ドッグフードたべて、これ、栄養なるねん。ていうたんやで。」

この話しはどうやらもう何度も担当者が聞いた受給者の「おはこ」のようです。担当と受給者はすでに5年の付き合い。笑顔で「規則ですから」を武器に関係をつないできたのだから、大したものです。「絆」ってこういうことかな、と思ってしまいます。

 

 

「借金のシーン」

踊っている女性。エキセントリック。それを脇で腕組みするようにして見ている女性。少し大人。おもむろに口を開き

年長「いつになったらお金返してくれるん?」

「わかった。もう、あんたの旦那に言うわ。全部ばらすから。それでかえしてもらおうか。」

年少「え、ダンナ、に言うの?だんな?。」

おののきながらも、旦那に言っても平気だと強がる借り手。借り手は、バレーやらダンスやらが趣味。いわば、キリギリスです。貸し手は金にこまっているわけではないけれど、人の金で踊っている相手を少しキューと言わせたい。すると、貸し手も脂肪吸引してみようか、とかプチ整形するからとか、金持ちらしく踊ってみようかとか、返して欲しい理由をあげます。その理由は貸し手が決してお金を費やそうとはしない遣い途。なんだ、結局借り手と同一視したい気分が助けてみえてきます。謡曲に「山姥」という名曲があります。みやこで名前を馳せた遊女が富山あたりの山の中で、老婆といきあい、請われて京都で評判をとった山姥の舞を踊ります。すると、いつのまにか老婆は遊女と隣り合って連れ舞いに、むしろ自分がリードして山姥の舞を舞うのです。山中の2人舞。それは、やがて年齢を重ねる遊女の幻影なのか、それとも昔美しかった老女が山中に山姥となって観客もなく舞うのか、そんな光景が重なってきます。