Mワークショップ#58  3月21日生きてるだけでみんな合格 レポート5 終わり | イッセー尾形・らBlog 高齢者職域開拓モデル事業「せめてしゅういち」

Mワークショップ#58  3月21日生きてるだけでみんな合格 レポート5 終わり

5フラガール

カイマナヒラー 

3人のフラダンスを踊る女性。

音楽が終わると、一番若く、のんびりしている感じの女性を真ん中にはさみ、柱にもたれるような姿勢で、おばちゃん2人がまくしたてていく。中の女性はただ、頷くのみ。

一人は、早く子どもを生むように言う。その後も繋がるようなつながらないような話題をとぎらせずに繰り出す。息を吸い込む間を奪い、もう一人のなぜか赤ん坊を抱いた後ろ側の女性が、東北弁でまくしたてる。嫁に行った娘の姑が、もう10年も経つのに、息子の学費を返せと言ったとのこと。早口で思い切り東北弁の抑揚をつけて話す。

500万やよ、はあーどこにあるの?

と、間にいる若い女性はただ聞いているのみ、挟んだ2人の女性はさらに猛然と話す。何かに似ていると考えたが、銃火器のようとしか思い出せない。銃火器?

休憩も終わったのか、またひとしきり上手側の女性がリードして3人が踊りだす。

 

7会長の葬儀

奥方を真ん中に一族や部下が並び、会長の葬儀シーン。黒衣で並ぶ人から見た会場は人もまばら。奥方が、そのかんさんとした状態を言葉にしながら、つい、微笑んでしまう。実際の観客も少ない状況と重なる笑いもおこる。会長は心臓の発作を起こして急死したのである。

と、上手舞台の外に会長がたつ。死者の一人語りである。

 

わたし、家族に殺されましたんや。階段の下で倒れて、ああ、苦しい、心臓や、救急車。そしたら妻が来てくれて、ああ、助かるとおもたら、まあ、あなた!と言って様子を伺いよってそのまま、台所へ朝飯作りにいきよったんですわ。

そしたら、チズ子が来て、おじいちゃんおじいちゃん!いうから、ああ、助かると思ったら、そのままわー、言うて外に出て帰りよらんかったんですわ。

まあ、こういうとき一番頼りになるのは、婿のただしくんで。

冷静に私の脈をとって、脈がありません、と言って、そっと黙礼して行ってしまいよりました。いや、わし、どっくんどっくん、脈してましたんや。

終幕

 

それぞれのシーンでは、登場している人の切羽詰まった必然が描かれています。切羽詰まっているけれども、奥方と愛人のシーンにおいてさえ、お互いが相手を支えることによって事態は作られるという共有感が浮き彫りにされたと思います。

最初のシーンは、出来の悪い社員に会長が説教をします。その突出した具体。口角の下げ方まで指導します。鈴木部長とのやりとりでも、営業実演を見た上での次の就職斡旋。会長が昭和の人情と現場主義で会社を大きくしてきたことがわかります。

この作品の気持ちのよさというのは、どのシーンでも、相手の存在と五分五分に渡り合おうとする誠実さにあると思いました。対立するシーンが多いけれど、お互いが大切にしているのは、2人の間にある、何かであることを疑っていないというか。

 

おわかりのように、大塚家具の父娘の内紛を題材にとった作品です。今回の稽古は土曜日の本番につき、前夜の稽古にはほとんどだれも参加できませんでした。それまで切れ切れに作っていたシーンをその朝に発展させていったのですが、何を利用したというと、まあ、火事場の馬鹿力というか、ようするに、その場で前のシーンをよく見るということ。3時に開演でしたが、1時半の休憩のときには、自分たちのシーンを通して稽古することもおぼつかなかった。その休憩のあと、シーンを連ねていきました。最後のところもどのように終わるか、開演の直前にみな、「今、明かされた、本番の秘密」という感じで受け止めました。

稽古のやり方が質的に変わっていました。雄三さんは、細かい駄目だしをあまりしません。そして、このシーンで何を見せたいのかを、最初に言うのでなく、7分目くらいできあがった時点で、告げていました。計算していたようには見えないけれど、うまくいったんじゃないかな。大体シーンができあがって、せりふもスムーズに紡げるな、と演じ手が思い始めた時点で、その2人がせりふのやりとりをすることが、作品全体の中でどういうポジションをもつか。それが、なんの抵抗もなく、するっとな、と伝わっていきました。

 

ワークショップが次の段階にどのようにして上がるのかが、興味の対象となりました。つまり、今回は、できるだけ、作品そのものに触れる時間を減らして、そのとっさのナマの感じでみんながつながってつくり上げるという手法。雄三さんの演出力は、発進する力をあたえ、参加者の推進力を信じたのです。もっとおもしろくなるとしたら、もっと稽古を少なくするのでしょうか?それとも、みなが稽古の段階でやったことを本番に禁じ手にして、相手とのライブを楽しむのか。いずれにしてもワークショップは20年で地味に変容してきました。その変容が、社会全体の変化によるものなのか、ワークショップ自体のポジティブな変容によるものなのか、もう少しお時間をいただき、そこのところを考察してみたいと思っています。