私がWsレポートを書く千の理由 | イッセー尾形・らBlog 高齢者職域開拓モデル事業「せめてしゅういち」

私がWsレポートを書く千の理由

3月27日の雄三さん語録から引用。

20年の付き合いがある、芝居の仲間が、突然、小説を書き始めた。本を読んだこともないと思っていた人だったからちょっとびっくり。大阪市営バスの運転手であるマッチャンは、運転手控室の会話のみで、物語を創っている。保険のセールスレディーのかおりさんは「盗作だろう」と疑うほどの完成度のあるものを書いてきた。後の何人かも、書こうとする意欲が見て取れる。

 

この突然変異は吉村順子さんの「雄三WS」のレポートにあるのは間違いない。今年の一月一日から「イッセー尾形・ら(株)のブログ」で、20年に渡る「雄三WS」のレーポートの連載を始めたのだ。

吉村順子さんは、10数年の付き合いで、残らず「雄三WS」に立ち会って下さり、そのレポートを書いてくださった。大学の心理学の教授という専門職の立場で「雄三WS」に興味を持ったのだろうが、この長い年月とレポートの膨大さは、興味の枠を超えていると思う。だからといって専門職の延長でもないだろう。むろんこれは逆の言い方もできて「熱烈な興味と、専門的な野心」ともあらわせる。

以下 吉村の投稿です。
なんで私がこんなに長くWSのレポートを書いているのか。
たくさん理由があって、雄三さんが「そうだろう、そう思ってたよ」ってにやにやしたとたんに、「うそでした」って言いたくなるような気もします。どれも本当でどれも大した理由ではない。つまり、板に乗って滑るのが楽しくて、滑らないよりは滑って行く方が楽しいから。変化していくものに、乗っかっていくのがおもしろかったんだろうな。大学の教員には、そういう楽しみ方はなかったかもしれない。

1998年の暮れのワークショップ身体文学の1回めに出たときに、これはずっと追っていきたいと私が思ったのは、ワークショップの中身よりもスタッフの存在でしたね。
業界の人の専門家ぶった投げやり感とも違ってました。かったるいなという空気をまとってないと不安になりそう、でもなんでも必死という二面性。平気で人に字の書き方聞いてきたり、言ったことと違った進み行きに、ごめんなさいってするのも、にこにこして言ってしまうし。そのうち、清子さんが来て、本人の目の前で、「この子たち、学校行ってないからね、失敗するのよ」と大声で言ってしまう。でもって、わずかな成功もまた、自分のスタッフなのに人前で褒めてしまう。その場でうろうろしている、たぶん学校行きたくないし、居場所もないって人を見つけると、積極的にスカウトしてしまう。
どう考えても10代だろうってスタッフもいるし、うんこ頭のポチオがもっとも立派な顔立ちだし。

その頃は、バブルもはじけて、みんなが大学に進学しないと就職できないぞ、ッて感じで進学していたころです。学歴とも能力とも無縁にスタッフを集める。というか、むしろ、適応の悪い人に声掛けして仕事をしてもらう。あちこち、齟齬はあるけれど。でも、イッセー尾形の一人芝居はプラチナチケットだし、来場したお客さんはみなピカピカした顔をして帰っていく。おもしろいなあと思ったんですね。このスタッフがどうやってもっと大人になっていくのか、成人になっていくのか。見届けたかったというのが一つの理由。

もう一つの理由は、たくさん人を集めて、その人の欠点をその場で指摘したりする乱暴なやり方なのに、雄三さんがものすごく清潔で、道徳的な人だったので、このギャップのダイナミズムを言語化してみたかった。そして、そんな無茶な指摘に対して、逆ギレしたり、ひっそり泣いたりしている参加者が、終わり頃には見事にふてぶてしく楽しそうに大声で笑うように変容していくという、短期間でお芝居ができることと同時進行している、強引なのにしっかりした自己受容のシステムがおもしろかったんですね。

これは、カウンセリングという仕事とはまったく反対のアプローチでもあります。侵入的にならず、相手のペースに添って話を聴き、相手が準備ができたときに控えめに解釈をして、理解を共有していく。その結果、症状も少しずつとれていく。というのが、私の仕事だったはず。

でも、すごく共通点があるような気がする。うまくいえないけれど、それがどういうところか、言葉にしてみないと気持ちが悪かった。同じ専門分野の人にいくら話しても、吉村さん余計なことにかまけてるよ、っていう感じの反応ではありました。科学研究費に応募しようとしても、自分のやりたいことが演劇分野なのか、心理学なのかどうしても区切れない。ししかし、評価されないってことは、このワークショップの面白さに気づいている専門家はいないってことか。じゃ、ジブン、おもろいやん。ジブン、やったらええやん。

このジブン、っていうのは、あんたってこと。つまり、私はもう一人のジブンに、やりつづけなはれ、と号令をかけたのですね。
こうワークショップ記録を書くことで本来の仕事が大きく変化して困ったことはありませんでした。むしろ、このワークショップで起こっていることを言語化すると、そこから照射されて臨床心理の仕事が理解できるような気がしたこともあります。

一回では言い切れないな。もっと違うことも言ってみたい。そんなはっきりした一面的なことではおさまらないのよね。理由なんてない、コレクションよ!というのが納得できる理由の気もする。この項、また続きを書くかもしれません。

目立たないけれど、続きを3月30日に書いています。
3つ目の理由は、私が臨床心理士であるということと関係します。臨床の場でお目にかかる方のことは守秘義務で堅く秘密を守ります。しかし、ヒトは困っているときに、本当に深い知恵を出したり、尊い犠牲的行為をしたり、また、ひどい裏切りに木津ついたりします。人というものへの興味はつきないなと思います。でも、話すことはできない。ところが、Mワークショップでのことは、書くことができます。その人の生き方や、生活の情報を共有することもおおいにあります。そこから、臨床で得た人の知恵を再確認することもしばしば。ワークショップを書くことで、私は自分の専門の活動から得た知見を書き留めて発表することができるのです。
4つ目の理由は、最初に私がこのワークショップに参加しようとした動機です。私は20年ほど前、物書きになりたくてしかたがなかったんです。もともと10代のころから、物書きになりたかった。でも、臆病な長女性格で、やりたいことより、とにかく資格や学歴を確保しようとしました。結果、継続的な仕事をもつことができたのですから、何も問題はありませんが。でも、物書きなりたいなあ。ということで、金沢で初めて行われた身体文学「1週間でシナリオが書ける」というお知らせに応募したんですね。まあ、そこからこのレポート書きの作業が始まりました。ここで書くレポートは、まず森田雄三、清子が読んでくれます。さらに、スタッフの手によって、たくさんのアクセスをもつHPに掲載してもらいました。これだけで物書き、と呼べなくもない。ありがたいですね。そして、この1月1日から、しばらく更新がとだえていた このBlogの管理人兼ライターとしてデビュー。
1日のアクセス数は1000を超える日がおおいです。その中から何十人の方が、読んでくださる。これはもう、私の夢が実現したとも言えます。ありがとうございます。18年の年月をMワークショップとともに過ごしてきたことで、夢がかないました。物書きで食べることはできなかったですけれど。だから、私の夢を実現するためには、ともかく学歴と資格で食い扶持を確保することが第一でした。そのおかげと、Mワークショップで夢が実ったのです。なんで吉村がずっと興味を持ち続けてレポートを書くか、と雄三さんがつぶやいた疑問への答え、1000は嘘ですが、3つよりはおおい4つ理由はありました。