Mws センセーズ タマダ先生の記憶-2 | イッセー尾形・らBlog 高齢者職域開拓モデル事業「せめてしゅういち」

Mws センセーズ タマダ先生の記憶-2

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大湊の夜から一ヶ月くらいたって稽古が始まったように記憶している。

月に一度、土日の夜の18時~21時。高砂市の鹿島中学校の図書室でおこなわれた。1年間ケイコを続け200511月の研究会で発表しようということだった。

研究会について説明しよう。正式名称は兵庫県中学校教育研究会国語部会という。兵庫県を8つくらいのエリアに分けて毎年持ち回りで開催され、各地区を代表する先生たちの研究授業と文科系著名人たちの講演の2本立てで構成される。これは全ての教科でおこなわれ、おそらく全国どこの県でも同様に実施されていることだと思う。

当日は兵庫県中の国語の教師が4、500名ほど集まる。この時の講演者の顔ぶれがすごい。金田一春彦、壇一雄、幸田文、阿川弘之、犬養孝、川崎洋、吉野弘、井上ひさし、桂枝雀、大村はま、野坂昭如、なだいなだ、別役実、藤本義一、佐々木幸綱、立松和平、CW・ニコル、ねじめ正一、今江祥智、重松清、工藤直子、養老孟司、平田オリザ、谷川俊太郎…少しだけ書こうと思ったけれど、キラ星のごとく並ぶ豪華な顔ぶれ、省略できない。最近は教科書に出た人たちの中から選ばれるようで、教育出版の教科書にイッセーさんが出たことから尾池先生が目をつけたようだ。尾池先生というのはどうしようもない俗物根性に時折辟易させられることもあるが、しばしば常識を超えた行動力に驚かされる。常人にはありえないパワーで前進する姿には爽快感すらある。尾池先生なくして僕たちのWSは成立しなかった。こればかりは間違いない事実である。この時のいきさつについてもイロイロあったようだが、森田さんが語られると思うので割愛する。

 

あまりよく覚えていないが、最初は、「何かしゃべって。」「二つの言葉を言って。」みたいなWSだった。尾池先生が精力的に人集めをしていて、鹿島中学校の職員はみんな動員されていたし、他の中学校からも教科を問わずに集められたため、毎回12,3人が来ていたと思う。のべて100人くらいの人が来て、ほとんどの人が二度と現れなかった。まるでバブルのようにはじけて消えた。そのときのメンバーで今も残っているのは養父、小濱、慶田元、玉田くらい。3回目くらいに辻ちゃんがきて、辻ちゃんが中西さんを呼んできたのかな。

 

僕には最初からすごく魅力的な集いだった。生まれて初めてコカコーラを飲んだ子供のように刺激的だった。今まで動いていなかった紙粘土のような脳細胞に、血が通って動き出すのがわかった。森田さんが語る言葉の一つ一つが新鮮で面白かった。

 

「本当に言葉を聞いてる人は、うなずいたりしないのね。うなずくのは私は聞いていますという記号なのね。」

「退屈だからあくびをするとか、考えてるから腕を組むとか、分からないから首をひねるとか、つまらない芝居をするのはやめてくれる。あなたたちは芝居なんてできないんだよ。そんな訓練を受けてないんだから。」

「ほら見てごらん、この人ゆがんでいるでしょ。まっすぐ立てないだろ。つらい労働を長時間しているとゆがみが体に出て来るんだよ。それが仕事をするということね。外圧に合わせて自分の身体を変形させているんだよ。」

「いちいち、僕に聞かないで。あなたのセリフはあなたの中にあるんだよ。考えないでね。考えたってたいしたものは入っていないんだから。あなたは現実の世界で実際に使っているはずなのね。思い出せばいいだけなのね。」

「分からなかったら困ればいいだけなのね。困ってる姿ほど面白いものはないんだから。自分が何を言うか分からなければ、見ている人にはまったくわからないだろ。大丈夫、本当にとまってしまったら誰かが助けてくれるから。」

「自分の中でダメでどうしようもないと思い込んでいるところこそが、その人の魅力になるんだよ。一番チャーミングなところなのね。あなたが見せたいと思っている自分なんて誰も見たくないんだよ。」

 

残念ながら、というか今考えてみると当然というか、これを面白いと思える人は実際にはあまりいなかった。誰でもそうなのか、いや、やはり教師とモリタWSとは相性が悪いと思われる。なぜだろう。

 

教師と言う人種は、日ごろ上からモノを言っているので、雄三さんに理不尽に怒られたり、からかわれたりすることに耐えられないのだろうか。いやむしろ、こんなところで、よく知らない人の前で自分を開いたり、さらけ出すリスクに耐えられないのだろうか。

自分で考えていてもイマイチ腑に落ちないので、WS仲間であるカウンセラーの中村さんに聞いてみた。森田WSと教師の相性が悪いのはなぜか?

 

中村さんによると「①教える人は教わることが苦手である。②教師は自分を開くことに抵抗がある人が多い。③教師は準備したことをしゃべるのはうまいが、即興は苦手である。」とのことだった。

 

なるほど、確かにいえてる。かくいうタマダも自分を開くことは抵抗ないのだけれど、即興は苦手である。いつも結構ネタを繰ってやってしまう。で怒られる。あなたたちレベルの人間が考えてできることはタカが知れてる。それよりも豊かな無意識に頼りなさい。

でもね真っ白になって立ち尽くしているとき、カカシの気持ちがよく分かるんだ。とりあえず頭の中にはワラクズしかない。あるいは空っぽのプールの気持ちとかな。

とりあえず、少数派であることは間違いのない事実だけれども、養父、小濱、辻、中西、タマダ・・・この辺は見事にはまった人たちだね。慶田元ははまってないけどイヤイヤきていた。やがて、ケイコは芝居の形になり始める。・・・続く