Mws#51 京都ワークショップのこと ショッパーズ投稿 | イッセー尾形・らBlog 高齢者職域開拓モデル事業「せめてしゅういち」

Mws#51 京都ワークショップのこと ショッパーズ投稿

最初は2005年の滋賀県栗東でのワークショップに参加した川元博行さん。当時は歴史を研究する大学院生だったかな。その後、京都や大阪のワークショップに登場。最近では神戸北神での写真をプロ級の腕前と機材で撮ってくれています。京都編などについて思い出してもらいました。書いてみると、どんどん思い出すようです。 私もこのあと、京都編のレポートを投稿する予定です。

京都の思い出話。2回あって両方に参加してたせいで、色んな記憶が入り交じっているので、ところどころ覚え違いがあるかも。

 

 少し暗くて、湿った空間(雨だったかなぁ)。京都府文化芸術会館。

 初日の受付にはさかなさん一人。

 というか、私の方がかなり早く着いてしまっていた。

 「演劇ネットワーク」栗東編の明るい賑わいとは対照的な初日の印象が「京都WS」の大きなイメージのままだったりする。

 このころも、舞台上に椅子が円形に並べられて、雄三さんの「何かしゃべって」から。

あと、「嫌いな人の真似」。これ、京都ではとても実感のこもった人間が伝わってきた。これが京都1回目の時の舞台を作っていた気がする。

 実は、他の参加者や自分がどんな場面でどんな台詞を発したのかは、最初の栗東と、ここ最近の北神しか記憶していない。(たぶん、栗東で「やり残した楽しそうなこと」と思っていた音楽隊をやりたかったからだと思う。)でも、ステージ脇の参加者が徹頭徹尾空気を意図的に拵え上げていた芝居という印象が強く残っている。

 舞台に出てくるのは、たいていが家族や恋人みたいな近しい関係。かつ、必ず問題を抱えていて目をそらしている。その問題が人生に関わるものばかりかと言えば、隣の家に落ち葉がどうのこうのだとか、手土産を受け取ったことがあかんとか、どうでもよさそうなことまで。でも、そう見えても、何か奥深い悩みが見えそうな家族が出てきたり。これだけだと本当に沈みきった空気になるのだけれど、時々イッセーさんが出てきてくれたり、勉ちゃんのベースやギター、何よりも光が当たっていないとこに座っている参加者の「陰口」のあったことが救いになっていたような気がする。

 「借金あんねんて」「宗教にはまってるらしいわ」「旦那さんが若い子連れてて」「あそこのおばあちゃんな、ほんまは、」……

 悪意のない(と思われる)悪口が、ようもまぁ、次から次へと。ライトが当たってたら考えて詰まったり、他の人と被るのを恐れて声出さなかったり、となるのに、四方八方からのびのびとした言葉が重なって。これが、舞台中央で「間」ができたときに、すぅーっと入り込んでくる。それで、また会話が始まると、気付かんうちにフェードアウト。静かな言葉の作る渦のような空間。これほんまに「京都」の空気かもしれない、と思わせる。言葉だけを上げていたら、きっついもんやけれど、お客さんは楽しそうに笑っていたのを思い出す。ホールの舞台も観客席も関係なく「きついけど優しい」芝居やったのかと。ただ、これは京都で長く暮らしていたらそう思うだけかもしれない。他の地域(この言い方も「京都っぽい」と言われるかも知れない)の知人は、「しんどかった」みたいなことも言っていたので。イッセーさんのお芝居を観たあとに、この発表会があったはずだから、そりゃしんどかったやろなぁ、とは思う。

 で、2回目の京都。

 このWSも何となく「良い天気」のイメージがあまりない。雨の日が多かったのか、はたまた建物の中ばかりにいたからなのか。

 前回と大きく違うのは、「勝手に音楽隊」になったことだと、それこそ勝手に思っている。勝手にしすぎて参加者の半分くらいが音楽を奏でているというバランスに。「陰口」もなくなったし。

 最初の京都WSからしばらくして、プロのミュージシャンが帯同しなくなったらしいと耳にした。今でもなぜあんな事をしたのかわからないのだけれど、関東の親戚宅を訪れたついでにいきなりオフィスに行って「音楽隊楽しかったのに」みたいな愚痴のようなことを雄三さんに言いに行った。そのときはそれで終わったし、自分としては気持ちがおさまって忘れていたのだけれど、2回目の京都の初日に「音楽隊頼むよ」と言われて後に引けなくなった。まぁ、自分で「楽しい」って言ったし芝居がメインやから、芝居さえ壊さなければ大丈夫やろ、と思って周りの参加者(何度かWS参加している顔見知りの人を手始め)に声かけて練習を始めた。あ、楽譜がないわ、で、リズムを口ずさんで、音楽知ってる参加者が五線紙に書き込む、主旋律しかないから、リズムはドラム持ってきた人に丸投げ、あとは適当。これが楽しそうに見えたのか、あれよあれよという間に20人以上が音楽隊になって。でも、このとき思ったのは「追い詰められ切ったら、なにか浮かんでくるものだなぁ」ということ。あれこれ考えたり悩んだりしているうちは、まだ気持ちに余裕があって無駄な動きをするんではないか、ということ。

 それはそれとして、参加者は1回目のリピーターがそこそこいたんで、けっこう早いうちから場面や組が決まっていった気がする。

 雄三さんは「なに、その芝居口調!」と行っていたMさんという男性やけど、実は京都の商売してはる男の人の口調そのものやったんですね。で、本当にそのまま舞台で「立場の弱い夫」が出来上がって、奥さんなり義母と思われる女性から言葉で責められまくる。そのグループだけでなく、なんだか関係はわからへんのやけれど、とても近しい男女が脈絡のないタームで(キリンの絵柄ににハートがあるだの、上腕二頭筋だの)やりとりをしてたり、強気やけれど自分から折れない女子高生が、煮え切らんでおどおどしている男子にあれこれグチグチ言ったり。その展開を見ても「男は女々しく、女は芯が強く(図々しい、とも言う)」という暗黙の了解が劇場に満ち満ちていた気がする。

 1回目の時みたいな「陰口」がないぶん、ちょっと距離を置いて、気楽に観ることができた芝居だったのかも知れない。でも、ちょこっとでもそれ以上近づいたら、1回目の時のような「渦」に巻き込まれそうな雰囲気はあったようには思う。

 

 こう思い出してみると、この頃のWSって「地域」を意識させる組み立てやったのかなぁ、と思う。だとすると、1回目バージョンが、かなり近づいた「京都」のイメージなのやろうし、2回目バージョンは「よそ行き」の「京都」イメージかも知れない。レコードのA面とB面みたいなものかなぁ。

 2回目のDVDはあるのやけれど、1回目は記録があるのかな。吉村さんが文字で残してくれてたら、読み返したい。

 

 

以上