センセーズ2007 世田谷パブリックシアター | イッセー尾形・らBlog 高齢者職域開拓モデル事業「せめてしゅういち」

センセーズ2007 世田谷パブリックシアター

ステキな先生たちin三茶 「毎日がライブ」

世田谷パブリックシアター 69

 

 

ピンクのジャケットにライオンヘアのイッセー校長が鳴らすチャイム。さっきまでの二人芝居の余韻を味わっている客が,そのくすぐりに心地よくなる世田谷夕方6時。口の端をのばして意味のないことをおかしそうに話すオイケ校長。実物は珍しく照れて上手側手前椅子でうつむいている。

 

そう,あの先生たちであります。兵庫県のほんものの小中学校教師たち。かつて,神戸新開地,3月31日という教育業界の限界の日に,堂々のアドリブ芝居2時間半で客を酔わせたあの先生たちが,三茶に集合しました。 そのときの様子は教育出版からDVD本になって出版されています。近頃珍しく抱腹絶倒の教育関係の本です。

芝居前,控え室で所在なく車座になっている先生たちを訪問。わたし自身がびっくりしたのは,会ったとたんなんとも言われぬうれしい気持ちがしたこと。あの舞台を見た人はみな,どうしようもなく先生たちに親しい関係性をもってしまうのです。1年ちょいの間,新人くんだったケダモト先生は貫禄を漂わせておとなの先生になっていますし,いかり肩コハマ先生なぜか,表情が溶けている感じ。ナカニシ先生は一層元気に。まったく変化がないのはもちろん,オイケ校長。

 

朝礼挨拶

舞台の上でイッセーオイケ校長自己紹介中です。

外国に視察に行きましてね。インドとパキスタンの間にある国。ほんとにあるんですかね,と一人つっこみ。仏教が根本にあるので,2×2もひとまずお釈迦様にうかがいをたてなければいけない,とあり得ない話し。すると,照れていた実物オイケ先生,なんと,小道具の紙にメモとってます。メモ取ったりすると,落ち着く習性なんでしょうね。もちろん舞台上のイッセーオイケ校長に注意されてます。

 

出席とり

暗転して,下手側だけが照明で浮かび上がります。タマダ先生です。 出席取りが始まります。あなん,あらた,西本,返事ちっちゃいなあ。

数人に一人,必ず先生からなんらかのコメントをもらいます。学校では優等生より,ちょい注意されるくらいの生徒の方が居心地がいいんだよな。と思わせる光景が続きます。しばらく続くと上手側に光が当たり,コハマ先生の肩いからせた姿が浮かびます。「テスト返しますよう」。最初はもったいぶってゆっくりなのに,どんどんスピードが速くなり,答案が指でめくられて生徒に次々と渡されていきます。よせばいいのに,一番後ろの答案,さっきから点が見えています。と指摘する子もあり,先生困惑。ああ,先生が千手観音に見えてきます。あっちにもこっちにも生徒がいて,あれもこれも眉に情けないしわを寄せながら誠実に対応しています。

 

新人ケダモト先生が出席を取ります。生徒に対して丁寧語で話しかけるところが新人先生。少しバランス崩れたら,すぐに生徒になめられそうです。窓際後ろの方に,多動の子がいるらしく,ケダモト先生,何度も,タナカくん,座っていてくださいね。と丁寧な言葉を同じトーンで繰り返します。そのあきらめとけなげさが混じった繰り返しにほろっとさせられます。

タマダ先生はいつのまにか,黒板の前に立っています。新人先生の指導役です。教室は実力のあるタマダ先生に向けて集中していきます。タマダ先生が教室内を立ち歩くタナカくんにいきり立つのをなだめつつ,ケダモト先生は,タナカくんにも誠実です。「タナカくん,鉛筆持ってるのは偉いですね」

実力派タマダ先生はいきり立ちますが,平成19年度から開始した特別支援教育の手引きには,多動で注意集中困難な子どもは,できるだけ誉めるところを探して自己効力感を増すように指導しようと,書いてあるはず。新米教員とベテラン教員が二人舞台にいるだけで,教育場面の裏表がくっきり浮かぶおもしろい構成です。

そういえば新興住宅地の小さな小学校でのこと。卒業式に呼ばれたら,壇上に日章旗。でもって,その後ろに舞台全体にわたるほど大きな子どもの貼り絵が掲げられています。

国旗を尊ぶのはいいことだけれど,お辞儀を強制されるのには違和感をもっていたので,どうなるのかなあと思っていました。地域や他校からの来賓のお母さんたち,また,以前勤務した女性の先生たち,みな壇上にあがるときに深々とお辞儀をするのです。が,その向きが日章旗を微妙に避けしかししっかり子どもの絵の方には向いているのです。なんか,そのとき教育という人間的な営為の深さと本質的なユーモアを感じました。先生たちみんな現場では裏表どっちも心底大事にしているのでしょう。

 

次は伝説の英語教師。

イッセーです。黒板に英文を書きながら,顔も身体も生徒の方にしっかり向いています。イッセーさんの顔,英語教師のときの顔をまねしてみました。眉と目を思い切り上に向かって引き上げ,下あごは同じくうんと下の方に一直線にひきむすばれます。この顔で,教師は教室内におこることをくまなく把握しようとするのですが,どうも,どうでもいいことの方が気になるようです。眠気のある生徒に,おもしろい話しをしようとして結局,ささやかな自分の自慢話になってしまいます。生徒は一瞬耳をそばだてて,また眠りについてしまうようなそんな話し。だって,先生がビデオ主任に選ばれた,とかオリエンテーリング地域なんとか事務所長になってしまった,って名刺を生徒に回覧してしまうんです。でも,こんな先生が生徒に小さく生きるコツを教えてくれてるんですよね。

 

次は「実は先生・・・」編です。

 

走れメロス

中学2年だったでしょうか。だれもが知っているあの人間を信頼するかどうかの物語。タマダ先生は目メロスが恐ろしく大きなもののために走っている,その大きなものとはなにやったか,宿題やったやろ,と質問します。板書された「恐ろしく大きなもの」とは,に,山,富士山,くじら,と答えるのは,考えていないのか先生をからかっているのか。ここだけ見て考えるな。お話があるやろう,と声を張り上げながらも,急に潜めた声は「先生ねえ、神戸大学の付属病院で働いてた。医者?違うよ。看護婦?看護婦やないよ。嫌がる仕事があんねん。いい線いってるね。死体関係。わかる。死体沈め。実験に死体がいるの。残りの遺体をホルマリンの水槽にいれておくの、ところが夜中になるとふーーんと浮いてくる。空気にふれるといたむから、長い棒でしずめるの。まだ、ふううんと浮いてくるねん。」と,上背のある先生自身がふううんとゆらゆら伸び上がると,教室ほとんどお化け屋敷です。

 

 

静かさや岩にしみいるせみの声

そう、有名な松雄芭蕉の俳句。先生と同じ速さで写しましょう。板書のときの決まり文句のようです。季語がある。せみ。そうですね。季節は夏ですね。せみという言葉から思い浮かぶことをたくさん書いてください。押し寄せる子どもたち。

いいですねえ。教師の言葉にちゃんと反応。

えーとね,泣くという言葉を使わないで言うとどうなりますか。

あ,間違えました。静かという言葉を使わないで説明するとどうなりますか。

どうやら,舞台上でほんとに間違えてしまったコハマ先生。やるせない表情はみせるものの,このくらいのことは人間教師にはあるものです。そういえば,さっき,二人芝居でも小松さんがみみずと黒ヒョウを間違えてましたっけ。

ところでせみは何せみ?つくつくぼうし。くまぜみ。にいにいぜみ 進験ゼミ、のどちらか。もう,苦笑するしかありませんね。でも,これは舞台用ではなく,教室ジョークです。

ところで,松尾芭蕉の出身地があるとこ知っとう?伊賀上野。わかる。「忍者」

先生,思い出すことがあるんだよね。あんまりほかでは言うなよ。この教室だけ。履歴書に描いたんですけどね。先生,空白の2年間がある。その間、内閣調査室。わが国に存在するスパイ機関。小泉潤一郎とは友達だったんよ。先生携帯を二つもってます。どこにも売ってません。小泉さんの訪朝のシナリオ書いたんは私なんですね。

 

 

文法ソング

ツジ先生,声はりあげて,何を言うか。「あれほど言うたのに、バレーボールを蹴っとったやつがいる。蹴っていいのはサッカーボール」

先生は国語の時間にも教えたはずやろ。「バレーボールが泣いている」こんな表現を先生は教えました。♪擬人法。ボールが泣いてる擬人法♪ 好き好き好き好き 反復法♪。

先生はシンガーソングライターになるか迷ったんよ。武道館をわかせるより教室の40人をわかせようと思てんや。

用言。形容詞と形容動詞やったな。そやけど,こんなややこしいこと言ったら寝てしまうから、♪形容詞さわやかだ♪