清子インタビュー地方公演のころ したいことに向かえば、力発揮できるんだと思う。 | イッセー尾形・らBlog 高齢者職域開拓モデル事業「せめてしゅういち」

清子インタビュー地方公演のころ したいことに向かえば、力発揮できるんだと思う。

清子インタビュー地方公演のころ

雄三が健康だったころは、まだイッセーさんも雄三も現場に出てた。でも、雄三が病気になって、生業のためもあり、公演を自分たちでやるようなシステムが作れないかなと思った。雄三のインタビューにもあったけれど、お笑いスター誕生のあと、大阪の人で、広告会社の人が呼んでくれた。阪急デパートのオレンジルームってとこ。200名満席にしてくれたのよ。始めるまえに雄三が、空間が芝居にはもう一つなんだよなって言ったの。私デパガで寝具売り場にもいたから、「じゃあ、シーツ2枚買ってきて、背景と床に貼ったら?」って言ったの。その通りにしたら、音が柔らかくなった。ピーター・ブルックの何もない空間を真似したんだけど、それが、一人芝居のその後の白いついたての空間の始まり。


興行に関してはまったく素人だったし、雄三が病気だから、いつ何時公演をキャンセルしてもいいように、じぶんたちで手売りすることにしたの。会場を押さえて、手売りして、キャンセルありで。そのころ、もうダイレクトメールで
1000くらいのお客様にお知らせしていた。一回でも見てくれて、アンケート書いて住所書いてくれた方にね。で、東京の公演なわけだけれど、進学で上京してるとか、新卒で仕事は東京でやってるけど、やがてUターンして故郷に帰るというような方も結構いたの。で、DMに「イッセ尾形の一人芝居をあなたのふるさとでも見て貰いたいって方がいらしたら、紹介していただけませんか?」って載せたの。9通くらい返事があった。大阪、長野、札幌とか。一番乗りがその後も一緒に活動したりしたSさん。彼は東京生まれだけど、ビジネスのシステム構築が仕事で、その時大阪に赴任していた。


S
さんの情報はとてもよかった。それからもそれをモデルにして情報をチェックすることにしたくらい。つまりね、200人くらい収容のハコが大阪にいくつあって、地の利、住民の数、文化などを詳細にレポートしてあった。で、大阪の天王寺はこれから発展するだろうと予測されていた。すると、近鉄百貨店にアート館ってのがオープンするということもわかった。その付近はレンタルビデオの回転率が高いという情報もくれた。それが、大阪でアート館の興行の始まり。この間しばらくぶり(2014年3月)に、アート館が復活して、ハルカスに組み込まれて、センセーズ公演に上田正樹さんが客演してくださったでしょ。


他にも、地方の情報をくださる方は、地元に帰って書店を継ぐとか、お寺の蓮がきれいです、とかいろいろな情報をいただいた。その後、地方公演はあっという間にひろがっていったのね。最初に
Sさんがくれた情報をモデルにして、私が日帰りで候補になっている土地に出向いて、自分で歩いて下見するようにした。子供は保育園にあずけていた頃だったから、お迎えに間に合うようにとんぼ返りだったけれど。


イッセーさんも、がんばってくれた。雄三の病気を抱えて、みんなで何とかしなきゃっていう中で、仕事や興行を開拓していくのは活力があったわね。あのころのイッセーさんのネタ作りでは、なんか跳ね上がるような生命力のある作品ができていた。子供たちも、親がくたくたになるのを見ていたら、何とかしなきゃと思うんでしょうね。低学年から次男はご飯つくってた。
2人の兄弟で自立しなきゃと思ってたみたい。


だからね、今回、いろいろな仕事をつくろうとしたけれど、やればなんとかなるっていうのは、その時の自分の生活の在りようから来てると思う。


でもね、活力を失っていくのもあっという間。金銭的余裕って、活力を失わせるなと思う。裸からやるっていうのはあの時も素敵だったし、今も素敵なことだと思う。


80歳になった演劇の恩師の東京の住まいを雄三と片付けに行ったら、そしたら事務机の真ん前にね、昭和63年の私たちがだした年賀状が貼ってあったの。長男の「初富士」って書き初めを持って息子2人と雄三が写ってる写真の年賀状。感極まったわ。そういう縁を絶やさずにここまできた。それは力だと思う。


それでね、地方公演やりだして、まあ、知り合いの知り合いみたいな人がちょっとおもしろそうだから、って手伝ってくれるでしょう。で、私たち、素人であっても丸投げでどうぞよろしく、ってまかせちゃう。そうすると、専門家でなくても仕事としてできてしまうのね。

経歴とか学歴とか、キャリアとかに頼らないで、したいことに向かえば、力発揮できるんだと思う。


舞台の仕事を一旦閉めるときに、会社も閉めようかって話になったけど、そのとき、みな事務所を辞めなかったのよね。次男はその後のミーティングで、あのときに、みんなやめたらよかった。でもやめなかったから苦労してるんでしょ、なら、がんばろうて言う。そう、あらゆる困難って、人を活かしていくと思う。

「せめてしゅういち」って事業もね、私たちがこれまで困ったときにとってきたやり方で、60歳以上の方に、できることを仕事にするって、やれるんじゃないかと思うの。