森田雄三Mws#45 神戸アバンギャルズ松尾さんがWSと出会ったとき | イッセー尾形・らBlog 高齢者職域開拓モデル事業「せめてしゅういち」

森田雄三Mws#45 神戸アバンギャルズ松尾さんがWSと出会ったとき

 
1月16日投稿、神戸での震災後実施され、今日に続く神戸アバンギャルズの中心メンバーの1人松尾忠さんが、初めてワークショップに参加したときの様子を克明にレポートしてくれています。少し長いので、吉村の責任で構成させていただきました。



1996年 神戸アート・ヴィレッジ・センター(
KAVC

 

どうして、僕が20年近く関わり続けているのか?関わり続けて来れたのか?

明確な理由というものは僕自身わかりません。

ワークショップや、稽古には行くのは辞めようと思い、考えたことは何度となくあったと思います。確実に。それは、芝居が出来ない、芝居が面白くない、つまらない、仕事が忙しくなった、疲れているから。その時はそれらが理由なのでしょう、今言えることは、真実の理由ではない、ということですね。

森田雄三の芝居、舞台、ワークショップでは、一度距離を置いた人がまた、姿を現すという摩訶不思議な現象が起きることも事実です。森田雄三という人の人間性がそうさせるのか?森田雄三の芝居に対する誠実さがそうさせるのか?僕には知り得ないことです。

 

 雄三さんの芝居、ワークショップに参加する度にどうして自分は参加をしているのだろうか?考えます。考えます。自分のことを考えても何も見えてこないので、他の参加者がどうして参加しているのか?そのことを考えます。遠いところから数時間かけて参加をしている人、仕事が忙しく、数十分の稽古のために参加する人、本番の前夜に東京にいて、車で早朝神戸に戻り、その足で自宅に帰り、そのまま、本番が行われる劇場に向かう人もいてますから、アホですわ、好きですけどね、ほんまに、アホですわ。松尾もそのアホの中の一人ですけどね。その価値は他人には理解し難いことですよね、理解して欲しいとも思っていないし、本人もわからないし。

1996年の9月の15日前後の連休だったと思います。

ワークショップが行われた場所は新開地という当時の僕には行ったこともなければ、聞いたこともない場所でしたね。

 

どうして、ワークショップに参加したのか?

今となっても不思議ですよね、

その当時は引越し屋の仕事をしていましたが、本当に暇でしたね。

暇であったからワークショップに参加したのかもしれませんが、

それが理由のひとつではあるけれど、確信的な理由ではないでしょうね、

今、こうして20年近く昔の事を振り返り、考えてみても分からないですね。

 

劇場の方から動きやすい服装を用意して来て下さいという話だったので、ジャージを用意して持って行ったと思います、リハーサル室と同じフロアーにあるトイレでジャージに着替えたと思います。

この時には今日だけの参加にしておこうと思っていましたね。居心地の悪さと言えばいいのか、場違いであることは否が応でも認めなければならない場所でしたからね、

僕にとってみれば。

作業着にドカジャン、手にはヘルメット、足下は鉄が顔を覗かせている安全靴姿で、一流ホテルのランチを食べる、あの感覚。誰も悪くはないのに。ランチに誘ってくれた営業マン、ランチを食べている、サラリーマン、OL,ファミリー。誰も悪くない、そういうことがわかるからこそ、誰よりも自分で自分を否定し蔑まないといられない状態ですよね。

悔しさ、惨めさ、悲しさ、そういう感情よりも己の生を抹消したい感覚ですかね。

本当にワークショップ初日、嫌でしたね、もう一度書きますが、嫌でしたね。

3日間分の参加費を払ったのだから、3日間は出ないと損だ、そんな貧乏根性が同時に働いとことも事実ですね。

 

先に進みましょう。

病院で見かけるような木の松葉杖ではなく、あまり目にすることのない黄緑色でステンレス製の松葉杖を付いた男性と、黒っぽいジャケットを着た男性がリハーサル室に入って来ました。どっちが森田雄三という人なんだ?ということを考えていました。どちらの男性が森田雄三かはすぐにわかることになるのですが、「あー、森田です」ぐらいの挨拶で続けて、雄三さんは「始める前に体を動かしておいて」みたいなことを言ったと思います。

 

「じゃあ、始めようか、ちょっと、歩いてみてよ」ということから始まったと思います。

参加者で円を作り、参加者が歩く、いつしか、雄三さんが円の中に入り、歩いている参加者に声を掛けます、「リラックスして、歩いて、緊張しているのは良く分かるから、もっと、リラックスして歩いて、歩きながら、自分の重心がどこにかかっているか?感じて。どこでリズムをとっているのか?足が踵から地面に着くのか?つま先から地面に着くのか?色々感じてね」、当然のように参加者は何を言われているのかさっぱりわからない。

雄三さんが一人の参加者を示して

「みんなさあ、歩きながらでいいから、この人の歩き方を見てよ、この人は肩でリズムをとっているのがわかるよね、みんなでこの人の歩き方をやってみてよ」、

歩きながら雄三さんが指名した人の歩き方をみんなでやってみる。

歩いていると、雄三さんが、

「いいねー」、「君、いいよ」

「君、違うよ、もっと肩甲骨を意識して、ほらっ、もっとよく見てごらん」

「肩でリズムをとるの」

「君は肩でリズムを取りすぎ、もっと楽に歩いて」

「歩き辛いっていうことは良くわかるよ」

「どうして、こういう事をしているかと言うと、自分にとっての普通が他人にとっては普通じゃないの、他人にとっての普通が自分にとっては普通じゃないの」

「じゃあ、今度は自分の歩き方に戻って」

「さっきやった他人の歩き方と自分の歩き方の違いを意識してね」

「今度はあの人の歩き方をみんなでやってみようか、あの人は腰でリズムを取っているよね、モデルさんってあんな感じだよね、さあ、みんな、あの人の歩き方して」

歩くという日常の動作に時間を掛けていた時期でしたね、僕の記憶ではワークショップで歩くということをしたのはこの時のワークショップだけだったと思います。

 

 声というか音も丁寧にやっていましたね。丁寧と言えば響きはとても良いですが、今考えると、バカバカしいですね。

「人間が発する音は普段無意識に発している、そして芝居で使える音は極端に言えば、高い音と低い音、普段無意識に使っている高い音と低い音を意識的に出してみよう」と雄三さん、「やかんを火にかけていて水が沸騰したから、コンロからやかんを取ろうとした時にやかんの取っ手も熱くなっていて、その時に発する音の「あちっ」という音が高い音、これをやってみようよ」という雄三さんの指導のもと、今度は参加者が車座になり、自分の目の前に熱々のやかんがある設定で、パントマイムでやかんに触った、そして、脳で考えるよりも先に体が反応して発せられた音「あちっ」を40人程の参加者がやってみる、至るところで「あちっ」、「あちっ」、「あちっ」、今考えると本当にバカバカしいですよね。

 

人を順番に並べるということもしましたね。これだけを書いても何のことかわかりませんよね、ワークショップの参加者が横一列に並び、並ばされ、ですよね。

参加者が一人ずつ並んでいる参加者の前に立ち、並んでいる参加者を芝居の出来る順番に並べる、そして並べた本人がどの位置に自分が入るのかをする。誰より芝居が出来て、誰より芝居が出来ないかを並べた本人、並べられた本人を目の前にして実践させるという、心では思っていても、やってはいけない、口に出してはいけない、そういうことをやったりしていましたね、道徳的危険なことを。ワークショップでの芝居の稽古というよりかは、参加者の緊張の開放と頭と体のリフレッシュが狙いだったのかもしれませんね。だから並べた人の中に並べた人が謙遜して芝居が出来ない位置に自分を置く人がいると、雄三さんは、「これは、嘘だよねー、みんな思うでしょ、この人は偽善者だよねー」そんなことを言っていたのだと思いますよ。だから、何度かやっているうちに笑いが起こり、人を並べている段階で、それを見ている参加者は「ええっ!」、「そう?」、「違うんじゃない?」みたいな事もあったと思いますよ。参加者全員はしなかったんじゃないかな、途中で止めちゃったんじゃないかな。

 

ワークショップ3日目には発表会になっていました。僕は自分が何をしたのかは覚えていませんが、僕が覚えている唯一の発表会作品は、女性3人組でお互いの肩が触れるぐらいの距離で、舞台はなかったのですが、舞台を用いて説明をした方が伝わり易いかもしれないので、舞台という設定で説明をします。女性3人は下手側の客席の方に顔と体を向け、舞台の手前から奥に向かって、上手の方に少し弧を描きながら女性3人が並んでいます。時折、女性は周りを見回したり、少しだけ前方に動いたりしているだけ、腕時計を見たりしていましたね。見ている側としては始まっているのか?まだ、何かの準備段階なのか?わからない。雄三さんもそう感じていたのでしょう、ある程度時間が過ぎたところで、雄三さんが「今何をやってたの?わかんなかったなあ」、女性3人の中の一人が「列に並んでいる場面です、行列にならんでいるシーンです」との説明。雄三さんも見ていた人たちも「あー、そうなの」という言葉と感想。続けて、雄三さんが「いいね、うん、良かったよ」、行列の場面を演じた女性3人、見ていた人たちは何がいいのか?さっぱりわからない。どうして、僕がその行列の場面を覚えているのか?わからない。わからない度合いが大き過ぎて覚えているのかもしれない。

雄三さんは「神戸で演劇を、ワークショップをする意味がある」と言っていました。

 

「今まであったものが突然なくなってしまう、そんな経験、そんな震災を体験した人たちには何

かを表現すべきことがあるはずだ」、今までの演劇では絶対に取り上げなかったこと。行

列に並んでいる場面を見せられた人たちは何も面白くないし、楽しくもない、そんな場面

をやってしまった女性たち、やろうとした女性たちの人生の意味を演出家森田雄三は垣間

見た、だから、行列に並んでいる場面は公衆電話の順番を待っている場面と捉えることが

でき、数週間ぶりのお風呂の順番を待っている場面とも捉えることができ、物資の配給

の順番待ちとも捉えることが雄三さんには出来たのでしょう、見ている僕らには何のこと

なのかはわからない、僕らはテレビで悲しい出来事を見ている傍観者なのだから、悲しん

でいる人間でありたいと、悲しむことに努めことさえ出来ぬ、やはり、傍観者なんですね。演劇という表現において人に伝えること、伝わることの重要さよりも

伝わらなくてもいい、そんなことよりももっと大切で尊いことが人には人生には存在していることを雄三さんは感じていたのではなかろうか。今の僕の解釈なので格好良くなり過ぎたのでこの辺りで辞めておきましょうか。

 

最後に私、松尾忠が森田雄三という人間の芝居に関わる意味は、過去を、あった事を振り返ることだと思います。

20年近く森田雄三ワークショップに関わっている中のひとり

                                  松尾 忠