雄三です(聞き取り)初めての一人芝居 バーテンによる12の素描 | イッセー尾形・らBlog 高齢者職域開拓モデル事業「せめてしゅういち」

雄三です(聞き取り)初めての一人芝居 バーテンによる12の素描




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「バーテンによる12の素描」って題名の芝居。

バーテンが夕方店開いてから、明け方店閉めるまでを芝居にしたわけ。店開くまで退屈で、お客がくると仕事が増えて、11時くらいになるとすごく忙しくなって、12時すぎるとまた暇になって、でも朝までいなくちゃいけないと、そんだけの時間を演ったわけ。バーテン見習いみたいなジュンってボーイがいる。こいつと2人でいて、ある時間だけみっちゃんてホステスさんがいるわけ。もちろんそれを一人で演る。

 

退屈が自由だと考えてたわけ。リアリズム抜ける方法は退屈だと思ってた。退屈だから突然なにいってもいい。突然わかってもいい。おならしたりいろいろするんだけど。それに反応していけばいい。主体が自分じゃないということを表現できるって考えたのね。これがのちに一人芝居になっていくわけね。
目指したのはバーテンが閉店に近い夜半ころプロレスに行った話しをするところ。アントニオ猪木となんとかっていうの。それが痛み分けになってしまって、医者が出てきてストップにしたというつまんない話しを、よくある仕組まれたスポーツなのに、バーテンが本当に興奮したって、ジュンに伝えようとする。とうぜん伝わらない。それを3回繰り返してもらった。寸分違わずね。2回めに話すと、客はもう一回やるの?って思うよね。で、3回やると、客はいいかげんにしろや、と思うのを、イッセーさんに手を抜かないで繰り返して、って言うと、形相かわって汗が出てきて、でも変わらずにやるの。

 

イッセー尾形って、なんでこんな芝居をやるんだと、儲けもないし。でも、これを観た人が、もう一回やってるってことを考えてほしいと思ったんだ。

イッセーさんはなんでこんな芝居をみせてるんだろう。見るものはないんだってことにつきあわせるって概念。退屈。早くやめてくんないかな、劇場からでたいよっていうのがバーテンの生活だってことを伝えようとした。

芝居を観ることは、生きることの象徴なんだ。ボーイとお客の視点が重なるようにしたの。

当時建築業で子どももうまれて、腹を決める覚悟が必要。毎日の繰り返しがおもしろいと思わないと人生生きられないだろう。自分に言い聞かせるというより、これが生きることだと思った。個人の問題じゃなくて。とにかく繰り返してつまんないと思うことを、おもしろく伝えようとする試みってことかな。

バーテンの12の素描は僕の中では意義があるわけ。そのときは、これが人が生きるってことだって表現したかったんだ。