森田雄三WS#40 自分だってイッセー尾形に、で始まったワークショップ | イッセー尾形・らBlog 高齢者職域開拓モデル事業「せめてしゅういち」

森田雄三WS#40 自分だってイッセー尾形に、で始まったワークショップ

吉村順子です。昨日は楽ちん堂にて「せめてしゅういち」のプレイベントに参加してきました。湧いて出るような60歳超の人材にその場の人も圧倒されていた空気でした。追って活動は報告します。仕事財団から来られた方も、雄三さんに20分劇場の稽古台として舞台椅子に座らされていましたね。素で困っていて、でも静かな空気が演劇的でした。今度はネクタイはずしたときに、ぜひ来ていただきたいです。ありがとうございました。

ワークショップが本格的に始まったのは、阪神淡路大震災の翌年1996年神戸だとお伝えしました。その後、金沢で開かれた「一人芝居コンテスト」「身体文学」シリーズは、いずれもイッセー尾形になろう、と銘打たれていました。イッセー尾形のような一人芝居を自分も職業にするというのではなく、舞台に出るでないにかかわらず、人物の日常を切り取って、演じてみて、内面化するという作業は誰にでもできる、というコンセプト。今もかわっていません。下記は、その後2008年ころに書いたものです。MIXYなどというメディアのことに触れています。発表はしなかったんじゃないかな。その頃、今の楽ちん堂は倉庫兼稽古場でした。偶然居合わせたときに、公演前の尾形さん雄三さんの稽古が行われていることがありました。

4日間という時間の短さ

 もともとイッセー尾形の一人芝居は、まずイッセーが自分のせりふを書いてきて、それを森田の前で読み上げるところから始まる。早口のセールスエンジニアが、マニュアルを読み上げるように、思い入れもなく、どんどん読み進む。それを雄三は耳を傾けて聞き、たいてい、笑顔でいる。おもしろいと、がはっがはっと笑う。設定やせりふに雄三がコメントし、また書き直したものを今度は稽古場で簡単に演じてみて、また練る。とはいえ、それが公演の3日前くらいだったりする。そこまでくると衣装をつけ、形がつくられる。形ができると、その形の人物がその状況で言いたくなるせりふがどんどん出てくるらしい。私たちは通常ある状態にいる人物なら、このように言うだろうという型をもっている。テレビドラマでは、その型をピースとして組み合わせてできあがっていく。たとえば肉親の死を告げられたら、よよよっと泣き崩れるとか、リストラされたら飲み屋でくだをまくとか。しかし、現実には私たちは一人一人思いがけない反応をするし、悲しい出来事に悲しいとわかる記号的な形をとるとはかぎらない。とっさに笑ってしまうことだってあるかもしれない。イッセーたちのやっている演劇は、とてもエキセントリックな人物のありようを構成しているありえない芝居のように見えるが、実は私たちが共有している状況にあてはめた型ではない、現実の反応を切り取ったものだ。

 私たちが電車の中や公園や、デパートの中で目にしながらも、型にはまらないので意味をとらえそこなうさまざまな人間の関係的動作、態度、やりとり。それを切り取って舞台に凝縮しているのだ。

 4日間のワークショップは、当初だれもが無理だと思った。しかし、4日間で、雄三は、日常を切り取るという手法を徹底して伝えていく。すると、参加者は2日目まではとまどい、自分のできなさに落ち込み、いいよ、といわれた人をうらやむ。つまり、ここでも学校教育や会社でおなじみの人間の優劣とそれに悩むわたしという構図ができあがる。

 しかし、そこである時点で気づくのだ。自分で自分だと思っているイメージが、実は社会的なある種の型の寄せ集めだったということに。

 

 

個人に立ち戻る結果。お互いがもたれあわない関係性。

 コミュニティが生み出すもの

一方、ワークショップ主催者側からは見えないことであるが、参加者は、そのような体験をいっしょにした仲間と出会えたことの大きさを強調する。仲間ができたこと、そのことをいちばんの成果だという参加者も多い。ワークショップ内に、グループができたり、派閥ができたりすることがない。これは日本の集団ではきわめてまれなことだろうと思う。当初には、森田雄三と自分の関係性をよりどころにする人も多かった。これもまた、日本の集団への適応の型である。集団の領袖にどれだけ自分が近いところにいるか、そのことで集団内の自分の地位を確認し、それによって集団への適応がうまくいっているかどうかを評価しようとする。雄三自身はそういう関係性を好まないが、しかし近づいてきて話をしようとする人を排除したりせず、余裕のあるかぎり真剣に相手をする。しかしワークショップ3日目くらいにはいつのまにか、そういう人がいなくなる。これは不思議な現象だ。自己価値が雄三に認められることではないということをどのようにして、みな理解しようとするのだろうか。

 2006年9月、小倉での3回目のワークショップのあとの交歓会。そこでは、みな自分の感想を述べたあと、仲間で楽しそうに語りはじめ、ずいぶん長い間、森田雄三は一人車椅子に座ってビールを傾けて、静かに満足げだった。ワークショップ期間中はあんなに雄三の表情や口ぶりが気になってしかたがなかったはずなのに、終わったあと、彼らはまず自分たちがここにいることに満ちたり、その空気の中に同化した指導者と、個人的なつながりをもつことにほとんど関心をもたなかったのだ。

参加者の多くは、イッセー尾形が好きで、参加した、とそれが正解であることを知っているかのように、ほがらかに答えたものだった。しかしワークショップのあとはイッセー尾形の存在もどこかへ吹っ飛んでしまうようだ。2回目の新潟ワークショップ。いくつかの仕切りがあったこともあるが、参加者の部屋は話し声だけで割れんばかりの大騒音になっており、その隣の部屋で、イッセーは一人ウーロン茶を飲んでいた。インタビューを申し込むと、にいいっと笑って「だれも来ないよ、」と。

 

この傾向はけっこう森田雄三もイッセー尾形も喜んでいる。別に自分たちが有名人だからほっといてほしいというのではない。参加者がワークショップでの経験のあと、自分たちの固有の存在そのものをいとしく思うことにワークショップの成果をみるからである。指導者がどう評価するか、とか、有名な人気俳優と仲良くしたいという気持ちがどこかへ吹っ飛んでしまうほど。

 

ショッパーズたちは、その後、自立的に活動を始める人も少なくない。それを後押しするのがミクシイなどのソーシャルネットワークである。森田雄三のワークショップのコミュニティもあるが、そこだけでなく、お互いにミク友になり、日記を書くとたくさんのショッパーズから、コメントが寄せられている。それを見ていると、彼らの友人って、ワークショップ以前にはいなかったのではないか、と思われるほど。演劇のワークショップに参加しようというぐらいだから、ある程度の社会性と活動性は持ち合わせているわけだから、ミクシイ上のつながりが、最近つながったショッパーズどうし中心というのは、どういうことだろう。お互いのつながり具合を確かめ、何かを伝え合うことにためらいのない、しかも、現実の社会での個人的なつながりにはならないというあたりが、とてもミクシイにあっているのだろう。もちろん、そういうつながりに参加しない人もおおぜいいる。しかし、山口や沖縄では、DVDをいっしょに見る会を開くなど、そこでの活動をよきものとしてお互いに交流をはかる機会が作られている。

 

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