森田清子インタビュー 大阪アマントでの稽古
前日大阪から帰って来て朝。
大阪アマント、すごい場所だったのよ。ジァンジァンの生まれ始めって感じがした。普段は若い人や観光客がきてるところなんだろうけれど、森田雄三の芝居をやるっていうので、その辺りで店やってる人がイッセー尾形のファンだったから、って見に来てくれたりしたの。イッセー尾形さんの公演観てましたって人が何人かいて。隣は小さなところでオーガニックグラノーラだけ売ってるの。でもびっくりするほど美味しくてね。そんな店の店主が店閉めて来てくれたの。イッセ-尾形の芝居をいいと思っていてくれた人と重なるのかもしれないね。
その地域、1945年に終わった戦争で焼け残った場所で小さな店集団みたいなのをやり始めたのは、じゅんくんって49歳。39歳のときに始めたらしい。その地元で育ってて、かれを応援しているのは、小学校の同級生たち。でも、地域のまちおこしとも違うの。彼のこと私、村長って呼んだけれど、純粋なんだよね。思想とかイデオロギーとかじゃない気がする。幼い純粋さだからやってこれたのかも。だから、競争とか攻撃性とかまったくないの。
そこに来て小さな店やってる人、たとえば、自分が外国に行ったときに、自分が気に入ったもの、雑貨とか買ってきて、ほんの少しだけ並べて売ってるの。
セレクトショップ?ううん。そんなしゃれた感じじゃないな。もっとごちゃまんって感じ。商売にならなくても、まあ暮らしていけるって感じ。
極めてないって空気。
そこの改装は鉄則があるみたいでね。ありもので改装するってことみたい。新しい材料は使わない。そこが店の共通項。全国からボランティアが来るらしいんだけど、50時間の研修を受けて、その小さな場所で働くことのルールとか気分を共有しているみたいね。
いろんな人がいるわ。議員の秘書だった人とか、難聴抱えてる人とか。その人もお芝居見に来てくれて、村長じゅんくんが手話で難なく通訳してた。
観客はね、40人きたからいっぱいだった。
タエ嶋がね、上司を2人つれてきた。50歳くらい。健康食品の会社よ。初めてなのに、ちゃんと稽古して舞台にもあがってくれたのよ。すごくできるの。
「イッセー尾形になろう、身体文学」の前に1997年だったかの金沢で初めてやったワークショップ、「一人芝居コンテスト」で優勝したホリイくんもひょこっときた。これまではときどき、観客としてきたことはあるけど。雄三さんが、やれよっと言ったら、まっちゃんと2人で借金の取り立てと返さない男の2人組をやった。すごくできちゃうのよ。
松尾が、「今日は返してくれないと、上司が向こうで待ってるんですよ。だから手土産もっていかないとね」て言うと
ホリイくんが、
「てみやげーって?」って、ただ、ニューッと笑うの。それだけ。
空気あるよね。客もすごく笑ってた。
タエ嶋も、北神のときに来てた女性のNさんと組んで、
「俺もう40や。ヨメつれてきたら、なんとか言ってくれや」とかそういうのを言うの。
「そう、20年前にアバンギャルズがやってたのの続編だよね」
大橋先生が見てて、「タエ嶋うまくなったねー」って喜んで帰っていった。
この日のお芝居の様子を雄三語録で詳しく成立過程も含めて紹介しているので、以下雄三語録からの引用です。
一昨日、大阪WSでは、設定の説明だけして、芝居を創るのを観客の前で行った。「2分劇場」ですね。「2分の打ち合わせで芝居を創る」そんな奇跡のような事が、観客の賛同を浴びたので、文字化しようと思ってこれを書いています。村さんが居なかったからね。
30代後半のタエシマ君と、60歳前後のナカジマさんに舞台に上がってもらい、設定の説明をした。孫と祖母で、孫にはアルバイトの収入しかなく、祖母は大きな屋敷に住んでいる。孫は祖母の財産や小遣いを当てにして暮らすしかない。最近の報道で、孫が同居の年寄りを殺すのが頭にあったからね。
最初の台詞は、孫が連れてきたガールフレンドをことごとく祖母が嫌う遣り取りから始めて貰った。
祖母「畳のヘリを踏んでも平気な女やったな」
孫 「彼女の家はフローリングなんよ」
祖母「英語を使えばいいと思って」
孫 「床のことや」
祖母「玄関の靴は、片方の靴はあっち向きで、もう方方は明後日に向いとった」
孫 「婆ーちゃんはどんな女の子やったら気に入るねん。どんな子もダメなんやろ」
(祖母は黙り込み、孫はこれまでに連れてきた女の子に、祖母が何を言ったかを語る)
孫 「俺はもうすぐ40なんやぞ」
祖母「ちゃんと働きもせんで」
孫 「俺はアルバイトだけど、リーダーなんやぞ」
(二人は不機嫌に黙る)
祖母「お前は、婆ちゃんが早く死ねばいいと思うとるやろ」
孫 「ほや、早よう死んで欲しいわ」
祖母「じゃ殺せ!」
このように、喧嘩腰の話は展開していく。
この芝居の作り方の特徴は、演出家の雄三が客席に座っていて、指示を出す事だ。例えば、「じゃ殺せ」の台詞の後に、雄三がタエシマに「首を絞めて」と指示を出す。後ろから首を絞められるナカジマさんに、「足をばたつかせて」と指示する。
雄三の指示によって、芝居が中断することがなく、あたかも役者本人が思いついたかのように舞台は進行していく。客席の雄三の声を命令と観客が受け取らないのは、観客のイメージを雄三が代弁しているからだ。観客が「首を絞めたら話が展開するだろう」と思ったって事だ。正確にいうと、話が行き詰った時に、雄三の「首を絞めて」の声で、話の展開が浮かび上がったってことね。瞬時に劇場内にいる人たちのイメージが一致するというのかな。
演じ手と見る側の区別がなくなり、次の展開に固唾を飲む。祖母が死んだ芝居をするだろうか、孫は救急車を呼ぶだろうか、の展開を考えるのは後の事で、その時は、頭は空っぽのはずだ。演じる役者も、指示を出す雄三も、観客も。
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