雄三です。「俳句」について | イッセー尾形・らBlog 高齢者職域開拓モデル事業「せめてしゅういち」

雄三です。「俳句」について

 

 簡単に創れるならと、僕も俳句を作ってみた。これまで俳句など作ったことはなく、指折り数えるのは小学校以来だ。創る前から、自負心や対抗心が出てくるのが自分で分かる。だから雄三の「夢理論」で創る事にした。昼寝しながら、俳句が浮かぶのを待った。そしたら、自分で気に入った俳句が浮かび上がった。

孤独寒 自販飲料 てのひらに

道路濡れ 仁王立ちする 2歳の子

離乳食 伺う目つきの 母の猫

花柄の 布と髪とが 岸で舞う

手枕で 応なく否なく 空泳ぐ

妻が寝て 部屋に滝落ち 竜走る



 僕の産まれた、金沢市の郊外の松任は「加賀の千代女」の生誕の地。朝顔に 釣瓶とられて もらい水」は有名だが、千代女は30代の半ばから十年間、ほぼ俳句を作っていない。

 実家は裕福な表具屋で、金沢の足軽の家に嫁ぐが、夫と死別し、実家に戻っている。その後、父親が亡くなり、続いて跡継ぎの兄とも死別している。彼女は一家の大黒柱となるしかなかった。俳壇でスターになり、その後商売人となったのだから、世間の風当たりも優しくなかったろうと想像する。

家業が傾いて、人一倍の苦労が日々あったのだろう。

 

僕の母親は「貰い湯」の話をよくしていた。夕食もそこそこに風呂の支度、客のお茶出しと、休まる間もなく、自分の風呂は最後。お湯は少なく、ドロドロだったとか。

千代女の句。

「朝がほや 宵に残りし 針しごと」


夜なべ仕事を終えても苦労を分ち合えるのは朝顔だけ。千代女の句は自然を詠んでいて、苦労事は微塵も句に現れない。

 「牛も起きて つくづくと見る すみれかな」

 表具屋は襖・障子を山のように積んで運ぶ事が多かったろう。力仕事の合間に野の花を見て美を感じたに違いない。実業に身を置いたからこそ分かる花鳥風月。

 千代女の句集には載っていないが、僕はてみれば 森には森の 暑さかな」が好きだ。どこに行っても苦労があるって事で、創作一本やりの人生ではなかったから、こんなユーモラスな句が読めたのだろう。

 

 52歳で、家督を職人夫婦に譲り、剃髪して「千代尼」と名乗るようになり、俳句のみの生活に入る。



 こんな千代女の背景があるのか、母も叔母たちも、従妹たちも句会に入り、定期的に冊子を発行している。叔母の句の「ウドの科の香の リュックを垣根に 逆さ干し」が、僕のお気に入り。その叔母の葬式には、俳句仲間が焼香時に、お棺に向かって一句ずつ読み上げていた。勘当的だったよ。


 僕は創作行為には、現実の暮らしや苦労があるからこそ、と思っています。