森田雄三Mws#25 だれでも天才になれます! | イッセー尾形・らBlog 高齢者職域開拓モデル事業「せめてしゅういち」

森田雄三Mws#25 だれでも天才になれます!

1月23日「だれでも天才になれる」という森田雄三語録の記事を参照したいと思います。まず、夢を思い出すという課題。雄三さんは普段は覚えていないのだそうですが、記憶しようとしたら、思い出せたみたい。毎夜毎夜、こんなに豊かなイメージを体験して、放逐していることにまず、おどろき。そして、これを稽古に使おうというのですね。以下引用

「僕の最近発見した稽古法は、夢の力を利用しようというものだ。夢を思い出してもらうのではなく、頭に浮かんだことを口にしてもらう。ただそれだけ。」

「この状態が創作の原点であり、この境地だと、小説もかければ、音楽も作れるにきまっている。芝居を20分の稽古で作れる。」



これを、フロイト、精神分析の夢分析と自由連想法だと指摘するだけではんなにも面白くない。自由連想法は、催眠下での自由想起のやりとりが、分析をする人とされる人の相互依存を強めることから、覚醒した状態で、リラックスして、しかも治療者は背後に座って、姿を視野にいれないという条件で、思いつくままになんでも口に出すように指示し、それを週に2回程度数年続けて自分の無意識を探索していこうというもの。



20世紀の最初には確立された技法を、なぜ、今までアートに使わなかったのか、ということを指摘したい。もちろん、自由連想を含む精神分析治療は、患者と分析家の間に強い転移、逆転移を起こすので、分析の枠、つま

り、精神分析家と患者の間には普段の関係を断ち、時間や空間を限定するという制限をかけます。そうしないと、自分の内面にある無意識の内容を現実に目の前にある分析家との関係に取り込んでしまいやすいから。


で、一方、雄三さん。夢から思いついたと言いながら、そこは簡略に、ただ


原則は

「思いついたことを口に出す」ということだけ。稽古の場で、自分の脳は通さずに、しかもその場の関係性で話してもいいかな、と思えることだけ、話せばいい。


だから、この稽古は、無理強いをしないというのが、原則だと思います。いや、いつだって無理強いなんてしないけれど、人によっては、

「今、無理」

「今この関係性ではやめておこう」ということがそれこそ、脳を通さずに口に封をするはず。


口をついて出ないときは、どんどん次の人に替わっていけばいい。見ていると、自分の中でこの場の人と共有してみたいな、という「思いついたことがら」

が出てくるはず。


思いつかなければ、すぐに替わる、もしくは、別のアプローチにかえるという、応変なやり方さえすれば、これは面白いものができること請け合いです。画期的だし。もともと20分の稽古ならば、うまくいかなくても、時間のロスはなし。


面白くないことを言うと言われそうと承知の上で私の立場から言っておく

と、自我の弱い人はやらない方がいいです。子ども、思春期、今ちょっと職場や家庭で弱っている人。きっとこの稽古で、救われる方へいくことが多い。でも、もしかしたら、自分で支えられなくなることまで口をついて出てしまったら。その場では高揚した感じを持ちながら、症状になったり、気に病んだり、なんとなく身体に出たりということもあると思います。



ただ、雄三さんは、こういうことにものすごい勘が働く。どんなに人がうっかり言いたくなかった自分のこだわっている部分をワークショップで口にしても、結局その人が自己受容できるような結果にもっていく。それは才能として、人柄として、そしてバックにそれを支える清子の存在があることによって、大丈夫なのです。



で、同じやり方を定式化して、他の人が試すことに困難があるのも、そういう個人とユニットのもつパワーをそのまま人は真似することができないからなんですね。雄三さんが不死身でないなら、いつか、このワークショップは消えてしまうのか、ショッパーズ同士でその話題になることもあります。もしかしたら、Mワークショップは、形を変えなくては存続しないのではないかと思います。言い換えれば、その人、その人によってのMワークショップが存続していく、そういうポテンシャルだけは、注入されてると思います。


雄三ワークショップとせずに、Mワークショップとこのブログで呼んだのは、そういう意味でもあります。あなたなら、Mで始まるどんなキーワードで、この試みを続けていかれるでしょうか。それも、楽しみの一つです。