森田雄三 Mws#21 東北へ いわきひだまり婆ちゃん劇場 | イッセー尾形・らBlog 高齢者職域開拓モデル事業「せめてしゅういち」

森田雄三 Mws#21 東北へ いわきひだまり婆ちゃん劇場

去年4月2日から6日にかけて、いわき市南台の仮設住宅集会所ひだまりにおいて、これまでにない形でのワークショップが行われました。



このワークショップは、震災前に実施されたいわき市でのMワークショップの参加者の有志グループが主催しました。NPOの助成金をとり、そのほかは手弁当で進めました。彼女たちは、福島県の沿岸部に住んでいたので、原発事故の直後に避難しました。東京や千葉に避難し、時に世田谷二子玉の楽ちん堂カフェに集まり、お茶をしながら、雄三さんと稽古したり。そういう中からワークショップの企画が出来上がりました。






集会所には毎日なんらかのイベントがあるようです。ご年配の方は、そこに集まり一緒に一日を過ごします。おやつを持ち寄ったり、作ったり。



雄三さんと清子さんは、毎日常磐道を通り、東京から車で通いました。私も一日ご一緒しました。長い距離の運転は大変です。でも、その中で交わす会話はとてもおもしろかった。今日の稽古のあれやこれや、これからの進み行き。思い出したあの時のこと。雄三清子は、毎日いっしょに居ますが、2人で話すことはあんまりない。毎日行き帰りの車中で、じっくりと話し合う時間がとれて、そのことがワークショップの暖かさにも反映していました。





このワークショップの特色は、80歳を越えた参加者に、稽古の間、昔話を丁寧に聞き取ったことでした。3.11で家を失ったり、立ち入れなくなったりした方がたです。でも、集会所に集まっておられる方はみな、にこにこ笑顔でした。津波のことや原発のことは話題に出さないけれど、雄三さんが向けた子どものころのこと、何を履いて学校に通ったか?結婚するとき、お婿さんといつ会ったのか?結婚してからの農作業のこと。暮らし向きが変わっていく様子。建てた大きい家のこと。歌った歌。童謡、流行歌、唱歌。



いくらでも、紡がれる糸のように出てくるのでした。




当日、前には椅子に座布団をおいて2人分の席をおいて、それが舞台。とします。舞台の前には、ぎっしりと客席。家族も来たので、椅子が足りなくなるほどでした。

楽ちん堂ブログ2014年4月9日に写真入りで投稿しています。それもわせて御覧ください。以下、レポートです。





音楽が流れて、ここはお芝居なんだと切り替えていくのはいつもの手法と思いきや、なんと、車椅子の雄三さんが進み出て、えびす顔で切り出します。遠来のお客さんがあるから、挨拶してもらう、と。小柄な西洋人の女性が舞台袖というか、客席の隅に立ち、美しい英語で、なにやら今日の佳き日を祝いでくれたみたい、と。


また雄三さんが、イタリアから考古学者もやってきたので、と。眉が太く表情そのものがイタリアンな初老の男性がウイットに富んだ(?)と思われる挨拶をします。しばらくして、雄三さんが割って入り、ありがたそうに聞いている陽だまり常連に向かって「今のはインチキイタリア語って分かるよね」と嬉しそうに話しかけます。
そこから雄三さんに指名された出演者が立ち上がり、少し照れたように、客席最前列のひだまり常連おばあちゃんをお迎えに行き、手を延べて二人して舞台座布団に座ります。そして、出演者が「自分は、〇〇さん(お隣のお婆ちゃん)を演じます」と挨拶します。
生まれたところ、小さい時のエピソードをゆっくり、隣にいる人のことを大切にしながら話していきます。
わらわらぞうりを履いて学校に行き、帰りには汚れてしまうので、代わりのわらぞうりを風呂敷に結わえていたこと。満州で死んだお父さん、その数年後になくなったお母さん。お嫁に行くとき節穴から相手を覗いたこと。
農作業のつらさ。子どもを置いて畑仕事に行く不安。小さな田んぼを苦労して大きくしたこと。そして、建てた新しい家。こんな家、あんな家。
1人1人、話の途中で歌が入ります。その方が歌ってきた歌。新相馬節だったり、昭和愛唱歌だったり、「港町13番地」だったりします。そして、歌のあと、また後半生が語られ、コロスのように、出演者席から歌声があがり、みなが唱和して、次の人と変わります。
語り手を演じた方は、丁寧に、2メートルの距離をおばあちゃんの手を引いたり、背中に手を当てたりして席に送ります。そんなことしなくても、みな達者に歩くのだけれど、でも、ワークショップで1人1人、聞き取りをして知った長い人生のことを、どんなにすてきで大切なことかを表現するのに、その送迎での手の差し伸べ方、背中に手をあてる仕草、そういうことが一番しっくり来たのだと思います。

稽古の最初は雄三さんに、手とって、とか腰かがめて迎えて、とか指示されたのでしょうが、発表会当日は、聞き手兼演じ手が、自分が演じたお婆ちゃんのことを誇らしく、美しいと心底思っていることが手や、かがめた背に自然と出ていました。
どなたかのお孫さんと思しき小学生も客席にはいたのですが、次から次へと語られる長い年月のこと、身近にいた人の知らなかった出来事として優しく尊敬を込めて他人が語るのを、みなじっと、時に歌に唱和しながら見ています。集中した時間でした。
そして、座布団に座りながら、自分のことが語られる時の、お婆ちゃんのちょっとした表情のゆらぎ、かすかに首を振ったり、自分で続きを語ったり、手を口もちに当ててはにかんだり。
私たちがいつも目にしていながら知らないことにしていた美しさです。こんなに美しい表情をする人のことを私たちは、日常で「老人」という呼び名にくるめてしまい、見ないように過ごしていたことに気づきます。
このワークショップが、雄三さんの現時点での最高到達点だというのは、そういうことなのです。おばあちゃんのしわや曲がった背中の向こうに流れた時間。理不尽な思いもすべて飲み込んで生きてきたそのことを、聴きとった人が受け止めて次につなげる為に語るということ。そして、それを演劇というフレームの中に置くことで、私たちは新しく「美」を発見した日なのです。
その後、出演者がお婆ちゃんを相方に選び、近親者としての怒ってるシーンを作ります。 客席に近寄り、怒る相手を誘うときの演じ手の表情、誘われて、これから「怒られてやっか」という表情。
お婆ちゃん相手に、結構マジで「外でうちのこと、なんで喋んの!」とか。「火つけっぱなしにして、火事になったらどうするが!」とか、剣呑なシーン。ですが、しゃらっと「悪かったな」とか、「スマンな」とか、小声でセリフを言うお婆ちゃんのチャーミングな感じ。「ゴメンな」という祖母が、実は子どもや孫を許しているのが、客席からははっきり分かりました。
農家の長男の結婚に関するシーンもあり、そうして、最後にまた、英語と、イタリア語(?)の挨拶があり、ひだまりのお年寄りの壮年期の姿を彷彿とさせる野良着姿の女性が、「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 」と語り、佳い日が終わりました。

数年前のいわきでのワークショップの参加者のうち、東京や千葉に避難して来て、ときどき、森田オフィスのカフェで、小さいワークショップを継続してた仲間がこのワークショップを主催しました。自身や家族もみな着の身着のまま東京や千葉に逃げてきて、生活を新たに立て直している最中。でも、だからこそ、どうしてもこの試みをやらずにはおれなかったのですね。費用は淡路島のノマド村が3.11の災害にあった方の為に、ドイツから集めた義援金の援助を受けたそうです。気持ちは遠くからでも、届く今の世。
今日、ここで私たちは南台に住まう方々と出会いました。このお付き合いは必ず続くものだと思います。直接語らなくても、そこにいたことで、私たちの間に何か水ぬるんだ小川が流れだしたからです。
今度はぜひ、みなさんも来てみてください。風は強いが、いわきは暖かい土地です。