森田雄三 Mワークショップ ♯2 Mワークショップ公演は観客にとっておもしろいか | イッセー尾形・らBlog 高齢者職域開拓モデル事業「せめてしゅういち」

森田雄三 Mワークショップ ♯2 Mワークショップ公演は観客にとっておもしろいか

2015年1月2日

  Mワークショップ公演は観客にとっておもしろいか

                       吉村順子



ワークショップがおもしろい、という根拠として去年の8月岩手県大船渡市でのワークショッパーズ(参加者のことをMワークショップではこう呼びます)のなんだか大はしゃぎ、という状況で説明しようとしました。これは参加するとおもしろいということの例であって、観客目線で見ているものがおもしろいかどうか、ということには答えていないことに気が付きました。



15年見ている私にはとてもおもしろい、ことが多いし、実際見に来ている人は大笑いですね。でも、世の中に口コミで流行してチケットが売り切れ、とはなっていません。なぜか?既知の型にある程度はまっていることが、おもしろさを判断する根拠になるからです。Mワークショップはおもしろいと判断してもらえる範疇の外にあるものではないかと思います。まあ、仕方がないです。芸を磨くとか、演技力があるとか、身体能力がすごいとか、容姿が抜群とか、そんなことは何一つ重視されていないMワークショップ。初めての方にはおもしろさの受容器が未整備な状態でも仕方がないのです。おもしろさという感覚は、ある種、個人と社会、個人と家族、個人とコミュニティを繋ぐ感覚です。ですから、家族や友達が出演していると聞いて観客になった人は、おもしろ受容器がぴこぴこするし、一度でもワークショップの稽古をしたり、出演をした人は、ワークショップを共有するコミュニティとつながる感覚として、自分の出ていない別のMワークショップ芝居もおもしろいと思えるようになるのです。



イッセー尾形の芝居と、Mワークショップの作り方は実はまったく同じ方法論です。初期には、Mワークショップは「イッセー尾形になろう」と銘打たれていました。イッセー尾形の一人芝居のおもしろさは、世間からおもしろ受容器を準備させ、発達させました。それはもちろん、優れた俳優尾形と、それを演出する森田雄三、観客をもてなす場所を経由して劇場に導入するシステムを作り上げた制作の森田清子の3人のおりなした奇跡です。そのおもしろ受容器センサーが作動した何人かの著名な文化人、業界人が、支持すると声を上げ続けてくださったことが大きな契機になっていったのだそうです。そこについては何度もプロデューサーの清子さんから聞いているのですが、うろ覚えのこともあるので、いつか、きちんと聞き取りをして書きたいと思います。



でもとに戻りまして、Mワークショップは一見の客がおもしろいと思えるかどうか?というテーマです。私は今のところ難しいと思っています。その理由は次の3点くらいがあげられるでしょうか。



Mワークショップは参加者からは支持されても社会全体に認知されていない。

どんなものでも一定の社会的評価が与えられないと、おもしろ受容器は埋没したままになりやすい。

Mワークショップは刷り込み効果がのぞめない

この場合の刷り込み効果というのは、繰り返し見たり聞いたりすることです。音楽はよく知っている音楽を好む傾向が明白なんだそうです。何度も同じ曲を耳にするとか映像を目にするというのは、大変効果があるそうです。一方Mワークショップはその開催地でその参加者による一期一会芝居。繰り返しできる性格をもちません。

Mワークショップは努力とか芸を磨くとか進歩という性質と無縁。才能も否定。

  羽生結弦くん、すてきでしたね。才能や根性、なにかを犠牲にする努力とその成果、という感動ストーリーパターンを共有することはMワークショップにはできません。4日の稽古、しかも遅刻OKで舞台に立てるんですから。





今日のところはなぜ一見の客がMワークショップを面白いと思わないか、という命題について考察してみました。稽古の状況について記事を書くと予告していましたが。それはまたこんど。さて、どんな稽古で本番の芝居を作ってしまうのでしょうね。

今日も、ブログを見てくださってありがとうございました。