イッセー尾形・ら株式会社より新年のご挨拶 ♯1 Mワークショップレポート | イッセー尾形・らBlog 高齢者職域開拓モデル事業「せめてしゅういち」

イッセー尾形・ら株式会社より新年のご挨拶 ♯1 Mワークショップレポート

2014年の12月31日が先ほど終わりました。イッセー尾形ら・が舞台活動を休眠して3年目に入ります。40年間イッセー尾形と共に作品創りをしてきた演出家森田雄三と制作の森田清子は、今年2015年から全国の舞台を支えてくれたスタッフと共に、20年続けたワークショップ「イッセー尾形の作り方」を今後も各地で続けながら、世田谷にある稽古場を改装して地域の家として大家さんのご理解頂き開放することが出来ました。準備期間に時間が多少かかりましたが、ようやく、イッセー尾形のデビュー以来35年間を支えた信念を失わずに新しい事業を立ち上げられるところに漕ぎ着けることが出来ました。その活動の経過と活動レポートをご紹介します。

イッセー尾形ら・株式会社
代表取締役 森田清子



2015年元旦
明けましておめでとうございます。
今年も森田雄三ワークショップ、Mワークショップをよろしくお願い申し上げます。

このブログは本日初日、いらしてくださりありがとうございます。吉村順子と言います。
1998年末から2週間金沢で実施された、シナリオを作るMワークショップに参加したことがご縁で、以来15年間レポートしてきました。本職は臨床心理士であり、大学で心理学を教える教員でもあります。演劇を志向するわけでもないのになぜずっと関心を持ち続けたのかというと、参加者がより自分らしい自分を発見し、自然な振る舞いや表情を浮かべる人に変容するのが、面白かったからです。付かず離れず、いつのまにか15年間を一緒に走ってきました。

このブログを見てくださっている方は、Mワークショップになんらかの関心をお持ちの方でしょう。もしかしたら友人や家族が参加して、あれよあれよという間に舞台に出演していて驚いたという方もおられるのでは?

Mワークショップは大体4日間の稽古の最後に公演日を設けて、台本も配役も(もちろん主役脇役もありません)ないまま、参加者が発する何かをちょっと歪めて拡大してシーンを設定します。せりふはシーンを与えられた参加者が稽古のその場で口をついて出てくるものをベースにします。4日間でできるわけはないと思われるでしょうが、それどころか、欠席自由、途中で抜けるのも遅刻もOKです。場合によっては公演日のその朝に来た人が出演することもあります。2回公演があっても、今日は出られるが明日は職場の慰安旅行で、とか、子どもの運動会が、とかいう事情もアリです。今日出てうまくいったシーンも明日は人を替え、別のニュアンスへと変容していきます。

そんなワークショップの何がおもしろいのか?それはとても正しい疑問です。
もちろん、疑問を解くためには、Mワークショップに参加してみるのがもっともよい解決法です。なぜなら、参加した人が、たった4日プラス公演ののち、晴れ晴れとおおらかに笑い合うからです。その当事者になってみるのが、解答への近道です。私はずっと見る側ですが、大人が5日前には見知らぬ人同士だったのに、こんなにはしゃぐ集団に変わることがまあ、不思議です。きっと面白くて仕方がないのでしょう。

このブログでは、これまでのワークショップレポートを振り返りながら、Mワークショップについて小さなピースごとに語っていく場にしたいと思います。

まず、今日は2014年8月に岩手県大船渡市リアスホールで行われたワークショップ公演レポートの一部を紹介します。大船渡では、復興を後押しする意味もこめた芸術祭の一環としてワークショップと公演が行われました。海辺で踊るわ、太鼓は叩くわ、とあちらでもこちらでもイベントだらけなので、参加者は12人だけ。それも、芸術祭の運営に関わる関係で、頭数合わせで応募したと思しき人も多かったようです。しかし、ワークショップの最初に、なぜ、この大船渡に来たのかを語るように言われたセッションで、パッと何かが開いたのだそうです。以下、公演レポートの半ばを紹介します。

大船渡リアスホール  8月22日 

それにしても、今日の舞台上の演技者は、客が笑おうとそうでなかろうと、なんだかとても自信満々。慌てる気配がありません。今回のワークショップの稽古は、3日目あたりに大枠ができあがり、みな大人の大はしゃぎという感じで進めてきたのです。はしゃいだテンションも一巡りして、本番の前日と当日本番までの稽古では、雄三さんの細かい駄目だしをきちんと受け止めて真剣でした。作り上げたものを客からどう見えるか、そこを指摘されて、うまく演じられないと首をかしげながらも、なんだか楽しくてしかたがないという参加者。大体、今度のワークショップでは、競争とか比較ということがなかった。それと、みな舞台で演じているよりも濃い人生と選択を経て、なんとなく、ワークショップに流れ着いたのでした。振り返れば、舞台なんてちっとも怖くない。

雄三さんは、それを「何かを選んだ人」と呼びながら、シーンを作っていきました。
選ぶといっても、3.11がすべての人の共通の何かを編みこんでいます。ボランティアにきてとうとう貯金が底をついたから、一たん中部地方の実家に帰る人。青年期に気を病んだ子どもを見て、首都圏から家族揃ってリアス海岸の故郷に帰って来てくることを両親が選び、一気に元気を取り戻した人。ここらで生まれ育って、大型洋服店で販売のしごとに単身赴任中の人は、4日間の夏休みを隣県の家族のもとに戻らずに、ワークショップでニコニコしています。都会の恵まれた環境で育ちながら、企画されたような学校教育に背を向けて、ボランティアとして来て、そのまま腰を据えている人。豊かな子ども時代ののち、父を失い、個人事業主として働くことを選んだ人。暖かい街の自治体から助っ人として2年間こちらで働くことを希望した人などなど。

ここに住んでいない人も、福島、宮城、岩手の内陸と、東北の当事者です。まるで、1人1人を描いていくとそのまま映画ができそうなくらい、日常がたっぷりしています。自分たちの人生を稽古で問わず語りに語り、それを呑み込むように聴いた森田雄三、清子、ピアノも担当したスタッフの尾辻。わたしが参加した3日目には、自立しながらも強いコミュニティが成立していたのです。どおりで、みんなの人格がすっきり立ち上がっていたはずです。

6 とあるバーで

下手落ち着いた声の男性と、テンション高めのサラリーマンが止まり木で各々酒を飲んでいます。やがて、酒を注いでくれた酒場のママも姿を消して、間を図るように、上手の男性が相手に話しかけます。どうやら小学校の同級生の兄さんと分かったよう。しかも、お向かいに住んでいた。そうと分れば、近所のあれやこれやを次々とお互いに、「あれ、知ってる?」と挙げていっての楽しみになります。校庭のでっかい滑り台は大雨降ると着地点が水浸し。尻の濡れた気分。校舎から飛び出た形のトイレの匂い。おもちゃといえば、店の前にちゃちなゲーム機があった、まるや。実はこのシーンは少し実話です。稽古のやりとりの最中に、子どもの頃の話をしていたら、なんと同級生の兄貴だとわかった、もうすぐさま、稽古の衆そっちのけで、2人で子どものころの近所の白地図をぐんぐん色塗りしていったのでした。1人は宮城県でお店を出していて、数年前にここへ帰って来たのですから、本当に不思議な偶然。お互いが生き延びてここで出会ったことは、3.11のあとでは、それだけで恩寵なのでしょう。とても大切なエピソードとして、真ん中につかうことになりました。待機している出演者が話題を引きとり、各々自分の子どものころの家の近所を描写します。

駅から下りてきて、歯医者さん。歯医者に見えないモダンな建物で、

前の路地を出て、木造のガタガタ言うガラス戸の家が、せんべい屋。内側からだと簡単に開いた。

家の前に車一台通る道。真っ白な平屋の床屋。くるくる回るのがあって一部壊れてた。向かいが大売り出しのビラをいつもたくさん貼り付けたふとん屋さん

大家さんの家には土蔵があって、藁とか組んだ竹とかが見えてた。雨宿りしたら背中に土くれがついた。

遠回りして川沿いの道を行って、古い木造の家の塀になぜか手をついて歩く。とげがささるのに。

芝居を演じる人も作っている人も、観客も、それぞれが自分の育った街の匂いや手触りを思い出す時間。三陸にはすっかり様変わりした海沿いの街が広がっています。

再びやりとりは、舞台上に戻ります。上手男性が

小さいときよく海に釣りに行ったなあ。でも、ずっと海見てたな。

引き取るように、同級生の兄さんは、

嫌なことがあると海に行って、じっと岸壁に座っとったなあ。何時間でも。

2人の目の前には穏やかなリアスの海が広がっているのでしょう。

そこへ、バン!と驚くようなピアノの音が響きます。


大船渡ワークショップでは、つなみの来た海を避けて何かを表現するわけにはいきません。それにしてもまあ、3日目には参加者上機嫌。自分たちが、一人一人全く異なる動機や背景で、今この小さな港町に住んで活動していることを表出してみたところ、なんだかとってもフリーになったのではないかと思います。自分が自分であること。そして、なおかつだれかと一緒に活動すること。それがとても愉快だと改めて気づいたのではないかと思います。この愉快さ、爽快さ、は他の開催地では、また少し趣きが異なります。そこがまた、興味の尽きないところです。
本日はここまで。どうぞ、これからもお暇なときに、尋ねてみてください。次は、どのように稽古するのか、お見せしましょう。