イマという瞬間 | いしだ壱成オフィシャルブログ『Arrivals』powered by アメブロ

イマという瞬間

最近、よく考えることがあります。

幸せと時間について。

幸せ、とひと口に言いますがその感じ方は人それぞれですよね。 

何を持ってして幸せと定義づけるか。 

{A817C4DD-DB20-4E80-85BD-C2F8AD09DEDF:01}


もう既に幸せいっぱーい!!という方はさらりとかわして下さい(笑) 

どうしたら幸せになれるだろう。

進路が決まったら‥幸せ。

やりたい仕事に就けたら‥幸せ。  

やりたい事が見つかったら‥幸せ。

理想の恋人あるいは結婚相手が見つかったら‥幸せ。

なりたい自分になったら‥幸せ。

ネガティヴ志向な自分がポジティヴ志向になれたら‥幸せ。

ガンガン働いてお金持ちになったら‥幸せ。

タワーマンションの高層階に住んだら‥幸せ。

会社で昇進したら‥幸せ。

豪邸を建てたら‥幸せ。

それまでは、幸せではない??

極端な例もありましたが、本当に人それぞれで、もちろん一概には言えないですね。幾つかの例えです。

ただ、ひとつだけ言えるのは上に書いてることは全部未来系です。

今、この瞬間ではない。

これ、目標としてなら凄くアリなんだと思うんですけど、そこまでに到達する時間(現在も含め)、何々になって(手に入って)『いないと』幸せではない。

まだまだ!!ああならないと!!誰それみたいにならないと!!こうならないと!!(幸せとはいえない)
それからが幸せの始まりだ!! 

‥という感覚を抱きがちではないかなぁって。

そういったことは直ぐにたどり着くことはなくはないけど、通常はものすごく時間と労力がかかりますよね。 

そこで目的地から遠く離れた現在地の自分に負荷がかかって不安になる。

ひどい場合はうつなど心の病になってしまう。

その不安は焦りや自分で決めた幸せポイントが高いほど、大きくなって新たな不安を呼んで、歩みを妨げる事もある‥多分。 

さて。

これを読んでくださってる方の中には、その答えを知っていて、実践している方々も多々いらっしゃるのは承知しています☻   

目標を高く設定するのってすごく大切だし、やり甲斐もあるし、苦労は尽きないけど、その達成感は凄いのかなぁ~と思いきや、意外とそうでもなかったりするのかもしれないです。

その上が見えちゃって。

あるいは、それでは満足できなくなって。

特にお金や地位など物質的なことは、難しいですよね。

ではどうしましょう。

(なんだか勝手に付き合わせていますね、すみません 笑) 

いったん、深~く呼吸して考えてみましょう♪♪

もしかして、ご自身の幸せを他の人に委ねていませんか。

自分ではない誰か。上司の方やお友達、近所の方々。あるいは自分が過去の何処かで設定した、幸せポイント。それらの方々の価値観。

元々カタチのないものですし、どうなったら幸せってどこの誰に聞いても人それぞれで正確なポイントはない気がします。

それだとなんだか勿体無い気がして来るんです。

『その幸せポイントって今この瞬間』

なんじゃないかなぁと思うんです。目標はあるけど、目標を達成してからが幸せの始まりなのではなくて、幸せを感じることの出来る今を創り出すことも大切なのではないかなぁって。

でもそんな難しいことじゃないんです、きっと。 

だって、どんな状態にあろうと

『いま自分はとても幸せだ』 

と言い切ってしまえばいいのですから。  
もちろん思うだけでもいいですよ✩ 

そして、ニッコリ微笑んでしまえば充分。

理由は意外とどころか相当あるはずで‥スーパーに行ったら食材が安く買えた、美味しいごはんが作れた、旦那が美味いと言った、子供が苦手だった野菜を食べてくれた、家族全員が今日も元気に過ごせた。仕事が上手くいった、なんだか面白そうな本を買った、その本を買える余裕があった‥これ挙げたらキリがないです(笑)

生きてるだけで丸儲け。

明石家さんまさんの有名なお言葉ですね。 

人ってどうしても、当たり前になって行くんですよね。それで本来めっちゃ幸せな状態なのに不幸だ、とかなんで上手くいかないんだろう?と考えてしまう。

正直僕もそういうところ、あります。  

目標に向かっていられる幸せを感じることはガチで大切だと思います。 

例えば、お仕事。

皆様はどんな気持ちでお仕事に行かれますか。

僕は役者です。他にもDJや様々なお仕事をやらせて頂いていますが、全く持って将来の保証は無いです。  

だから自分で国内外分け隔てなく掴みに行く。   

同時に事務所スタッフに全人生を預けて掴んで貰う。  
掴めたら、それを全力でやる。
結果はお客様やスタッフさんが判断することなのでわかりません。 
媚びても仕方ないので、芝居なら芝居で見せるしかありませんし、DJならプレイで顔晴るしかありません。
とにかく大きな仕事、小さな仕事、関係無く全力でやって、次に繋がる努力をする。
毎日が全力疾走です。だって、一切保証がないから。  
時間があいたら、じっくり休んで寝て、本を読んだり、温泉に浸かったり、ネットで調べものをしたり、次の仕事の準備をしたり、神社に行ったり、自然に触れたり、いろんな人に連絡を取ったり、会ったりして、仕事に繋がるアイディアを提出してみる、そこで仕事が決まることもある。そして、到達したいポイントをひたすら目指してもがく。かなり神経がすり減ることですが、その生き方を選んだのは自分です。言い訳は通じない。でも、目標ポイントはあります。すでにそこに到達している方々も沢山います。悔しかったり、羨ましかったりします。でも、それもそれで良い事のようです。

どなたかの言葉で『誰かを羨ましく思ったらそれは貴方の未来の姿』というのがありました。  

この言葉は成功者とされるいろんな方々が仰っています。 

話逸れますが僕個人は誰であれその人らしく、その人が僕は私は幸せだよと笑顔をふりまいて生きていれば、収入や地位など関係なくその人は間違いなく成功者だと思います。   

話を戻して目標があってそこに向かって日々歩いて行く訳だから、結構な確率でそこに到達します。

思ったことを引き寄せる。

(あ、僕はそういった自己啓発のつもりで書いてないです、ただのブログです。そんな大した人間ではないですし、ただ思ったことを書いてます♪♪)  

引き寄せるのもそうだけど、こっちから近づいて行くイメージも大事かなぁって思います。

『決めつける』のも効果的みたいですね。

『何々になりたい』のではなく『何々になる』

‥と決めつける。サッカー日本代表の本田選手は幼少の頃からそれを実践して今のポジションにおられます。 流石ですね。

結果、そこを目指して邁進して行く訳だから、かなりの確率でそうなるというセオリーです。 

さて話を戻します。これ、僕の場合です。  

一週間ほど前の事でした。 

でもでも、目標ポイントばかりに目が行ってイマの今を大事に生きているか?大事にしていませんでした。

幸せポイントを遥か未来からイマに引き戻してくれたのは、やっぱり妻でした。

本当に女性は、凄いです。 

彼女は何を言った訳ではありません。 

僕がつい焦りや何かの案件が上手くまとまらなかったとき、あるいは有り難い事だけど仕事が半端なく詰まっていて気持ちがテンパっていたとき、殆ど家では会話がありませんでした。 

ただ、彼女は無言で距離をとってなるべく僕に話しかけないようにしていました。  

ただ黙って最近彼女が趣味が高じて始めたハンドメイドアクセサリーの通信販売の商品の製作をしていました。 
(売名になりますので店名は伏せておきます) 
会話も最小限、お腹すいた?お風呂わかす?程度です。  

その日は休日でした。

でも僕はそっちのけで、ずっと本を読んだりネットで調べものをしていました。 

彼女は文句一つ言いません。

晩ごはんだよと言われ、パパっと食べて片付けも手伝わずにまたソファに戻り本を開いてまたページをめくり、ふと顔を上げると彼女が無言で洗い物をしていました。

思い出すとその日は金沢にデートに行きたいと言われていた日でした。すっかり忘れていました。

何処と無く淋しげにキッチンに立つ彼女の背中を見て、僕はいたたまれなくなりました。 

遠く、数年先数十年先のことを考えて、また次の舞台の役のことを考えて、というか将来全部のことを考えて、彼女の為にがんばる。自分のキャリアアップの為のがんばる。兎に角、死に物狂いでがんばる。あまりに色々と考えすぎて、目標も幸せも全部自分で先延ばしにしていたのです。 

自分で。

今をそっちのけで。

今、幸せであってはいけないという固定観念。 

今はがんばる時で幸せを感じてはいけないという固定観念。 

そこから、あれ??

という疑念が湧きました。

食材をわざわざ遠くまで買いに行って油を使わないヘルシーメニューを考えて、帰って来て美味しいと言ってもらいたくて(多分)、それを長い時間かけて作って。 

テーブルが埋めつくされるくらいいっぱい料理が並んだのを僕は幸せなこととも感じずに、次のメール返信や読んでおく本のことや明日話す人との仕事の話題ばかりを考えていたら食欲も失せてしまい、手料理の半分近く残してごちそうさまをしました。   

それを片付ける彼女の背中を見て、ハッとしました。

今すごく幸せな瞬間をのがしている、と。 

その時気づいたんです、幸せのポイントは今の瞬間にしかないんだ、と。 

たとえばその瞬間だけでも妻が元気で幸せ、美味いご飯が食べれて幸せ、好きなインテリアに囲まれて好きな土地に居れて幸せ、これだけの料理をよそうお皿があって幸せ、綺麗なグラスがあって幸せ、吹き抜ける風が心地よくて幸せ、打ち込める仕事があって幸せ、仕事で悩むことがある幸せ、それを聞いてくれる人がいる幸せ。 

最低でもそれだけありました。挙げたらもっと。

日中だって金沢の109やフォーラスに行ったり僕も気になってたエキシビションが開催中の21世紀美術館に行ったり、お友達のカフェに行ったり、アクセの材料を二人で選んだりすれば良かった。 

でも、遅かった。 

心の中で、ごめんなさいとありがとうを繰り返しました。

それ以来です、僕の幸せの定義に変化が出て来たのは。  

どんどん幸せになることを自分に許してあげる。

小さい大きいってないんですね。 

イマ幸せなら、もうその人はずっと幸せなんです。

人生は短い、だったら‥

悩むこともあるけれど、幸せを感じていたら気持ちに余裕が出来ますから、打開策はネガティヴになっている時よりはるかにカンタンに閃くのかもしれません。

でも、ネガティヴな時期も大切な準備期間。

だから、さほど悪いことだとは思っていません。

その時期に考えたこと、苦しんだこと、それが糧になる時が絶対に来るのはわかっています。

あまり経験したくないですけど、それが何かしらのデッカい成功の元になるのであればその苦悩も必要なのかもしれないですね。 

我が師、ブルース・リーも言っていました。

『限界など無い、ただ停滞期があるだけだ。』 

人生に起こることで意味の無いことはないし、
失敗を積み重ねることでようやく一つの成功がある。

失敗しなかったのは挑戦しなかったから。

だったら‥

って思います。

目標の地点まで細やかでもいいから、幸せを伴って歩いて行けたら‥

きっともっと強く在れるのだろうな。

幸せ=今ココ

それを自然に感じられること、大切にして行きます。  

最後に‥

先日日曜日に弘前で行われた衣装デザイナー、ワダエミさんの講演会で色々なお話を聞かせて頂きました。 

なかでも印象深かったのが、

『目の前にある仕事を目一杯全力で取り組むこと、そうすれば次から次に繋がる。きっと私に老後はありません』

というお言葉でした。カッコ良過ぎる言葉。

また一つ、目標が出来ました。
エミさんのようになります。


愛を込めて 


壱成