台本、読んでるってよ。 | いしだ壱成オフィシャルブログ『Arrivals』powered by アメブロ

台本、読んでるってよ。

✩こんにちは✩

台本を二冊まとめてどわーっと読んであっという間にOFFが終わりました(笑)そして、お墓参りも無事に終了です☻

先週末からの怒涛のDJ三連ちゃんが無事に終わって、20時間近く眠って起きて。相変わらず、DJ連発の後は自分でもびっくりするくらいよく寝ます(笑)

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(日本橋ナイトアクアリウムにて✩ありがとうございました☻)

いよいよ台詞を入れねばと何回も何回も台本を読み返しながら、ああしようこうしよう、いやこうしたい、ん、やっぱ違うかなどと役をこしらえていました(笑)

作品を創る長い期間の中でも、役者冥利に尽きる部分です。

のひと言です。

8/30~9/1 は特別出演をお願い頂いた
初めてのカンパニーで『新撰組』に参加します☻

ともかく役がどうこうよりも何よりも、
太刀回りを入れるのにひいこらしそうです(笑)

あればかりは向き不向きもあるけどやっぱり特別な世界だなぁ、といつも思います。

刀さばき、ですもん。

でも、ルドビコ★に立った時は稽古中の若い役者さん達のあまりの太刀回りの手入れの速さに脱帽したものでした。

殺陣師さんが稽古場へ来れる日は大概予め設定されていて、殺陣稽古のある日は三時間~四時間ほど殺陣、残りを芝居の稽古。

まるまる一日殺陣稽古、ということもなかなかないので要は余り殺陣師さんにじかに手を教わる時間が無い‥と
(笑)

結局教わったけど全く覚えていなくて、相手役の俳優さんに何度も何度も尋ねる始末‥

でも彼らの中には自分の手が入った後も他の役者の殺陣も観察していて、『あ!壱成さん、そこ確か柳でかわして突きでした』とかを教えてくれる子達もいて、本当に有難かったし頼もしかったです。

やっぱりその作品の台本によって色んなプロフェッショナルがいて、面白いなぁといつも思います。

とにかく、殺陣は頑張らないと!

です(笑)

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(青森浅虫温泉BigTimeフェスティバル終演後の控え室にてDJ陣集まってのショット✩生憎の天気でしたが参加してくれた皆様盛り上げてくれて感謝です☻)

それから、そのすぐ後に稽古に入る
ピープルシアターの『嘆きのベイルート』の台本。

前回のピープルシアターは去年の同じ時期。

『蝦夷地別件』でした。

もう思い出したくもない(笑)

ハルナフリ(役名です)きつかった。

歴史って本当なんなんだろうって、今まで思ってたのと全然違うじゃん。
ていうか、普通にお仏壇に手を合わせていたけどなに侵略者の方だったの?

‥でもそうだよな‥自分が生まれた時にはもう普通の家には仏壇があったし、家族の誰かが亡くなればお経を唱えたりしてそれからお墓に手を合わせる習慣はあったし‥

歴史は常に勝者の方にある。

と、どこかの格言でありますが本当にそうだと思いました。

確かに歴史はあの台本で言えば、アイヌの人からすれば悲劇でしかありませんでした。

でも日本という国家、徳川幕府からすれば仕方のないことだった。

ということになります。

僕はアイヌのサイドの主役を演じましたが、台本には他に三人の主役がいました。

天台宗のお坊さんと、臨済宗の若いお坊さん、そして蝦夷地を放浪するお侍さんです。

物語の後半でこのお侍さんが、実は老中、松平定信がいずれ蝦夷地を統合する為に放った幕府直轄のスパイだったと天台宗のお坊さんに告げられて、臨済宗の若いお坊さんが反吐を吐き、地べたをのたうちまわるシーンがありました。

自分が一心不乱に打ち込んで来た仏道。それが全て自分にとってはまやかしだったと気づくシーン。

彼は若いながらも医師としてアイヌの人々を手助けする様、お上から言われて蝦夷地(現在の北海道)へ赴いてきました。

丘の上に手作りの診療所を開き、アイヌの人々からの信頼も段々と深くなって来て、ある若いアイヌの女性との恋も芽生えたその矢先の二人のお坊さんの会話です。

『私は仏の道を説くために蝦夷に来た訳じゃない!』

『そうさ、お前さんはただ診療所を開いただけさ』

『それがどうして彼らの心を奪うということになるんですか!?』

『いや、奪うのはもっと後だ』

『なんですって!?』

そこへお侍さんが現れ‥

『その通りだ洗元。すまねえな、静澄さん』

『葛西さん‥』

『洗元、驚くなよ。この旦那はな、幕府の間諜(スパイ)さ』

『え!?』

‥幾つか台詞飛ばして‥葛西(お侍さん)の台詞から‥

『いいか洗元、急がねばならぬのだ。誰もが今は』

『何をです』

『日本という国家』

『!?』

『時の流れを早めて、日本という国家をきちんと作り直さなければならない。じゃなきゃ紅毛人がなだれ込んでくる。ロシアは北から。フランスやエゲレスは南から日本を狙ってる。琉球から蝦夷地まで、いま日本人は一つとなって奴らの攻撃を防がなければならぬのだ』

『それが彼ら(アイヌ)の心を奪うということに何のつながりがあるというんですか!?』

静澄(天台宗のお坊さん)割って入って‥

『初めて厚岸に着いた日、言ったろう洗元。天台と臨済の俺たちだけじゃなく、浄土宗の若い僧もこの蝦夷地に放たれたと。(‥長台詞のため割愛) 足跡が必要なんだよ。三人の坊主がこの蝦夷地をほっつき歩いたという足跡がね。寺を建立するには、何か表向きの理由がいる。しかも蝦夷地をほっつき歩いて来いと言われたのは、何処でくたばっても誰も何とも思わねえ無名の三人の若い僧だ。(再び割愛) まずは武力で蝦夷の土地を奪い、その次は宗教で、蝦夷(アイヌ)の心を奪うのさ。森の木々や石ころにまで神々が宿っていると思い込んでいる蝦夷どもを、仏の道に目覚めさせてこそ、蝦夷は初めて日本人になるんだ。お前さんが願おうと願うまいと‥』

それを聞いて突如、嘔吐する洗元(臨済宗の若いお坊さん)。

耳をつんざく様なヴォリュームで般若心経が流れてくる‥‥場面転換。

‥というようなシーンでした。

詳しくは船戸与一さんの原作を読んで頂けたら、と思いますが僕の演じたハルナフリはその悲劇の中の悲劇が生んだ様な役だったので、何か現場で嫌なことがあったとかではなくて、ただ思い出したくないんです(笑)

だけど、今回は楽しみで仕方がありません。

原作はラウィ・ハージさんというレバノン出身の作家さんの『デニーロ・ゲーム』という小説を本邦初演、邦題を『嘆きのベイルート』として脚本、演出の森井睦さんが戯曲化したものです。

切ない愛の物語。

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(青森~伊丹間の機上からの夕焼け☻)

ピープルシアターにしては珍しい?
青春グラフィティといいますか。

台本を読みながら、自分の役のポジショニングとプランの確認をしながら様々な役の目線で、今度は自分の役ではない目線で読んでみます。

そうすると、また違う台詞のやり取りのアイデアやもっというとその役それぞれの生き方や人生観や垣間見える悲劇があって、なかなか面白いものなんです。

にしても森井さんの本は、本当に覚えやすい。

作品にもよりますが、声に出して読むとすらすらと言葉が入って来ます。

ご自身が役者もやっているからなのかもしれません。

『嘆きのベイルート』の千秋楽を終えたら、すぐにその次の作品の稽古。
(こちらはまだ情報解禁ではないのでまた☻)

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(Cheval Osakaにて☻ 思い切りピンぼけ御免なさい。グッドパーティーありがとうございました✩)

そして、正月明けからはいよいよ今年~来年初旬の集大成『金色の翼に乗りて』(両国シアターカイにて2月本番)と続きます。

長くなったので、この辺で✩

ではまた☻

愛をこめて。


壱成