✩VISIONからの何故かバルサの昨今✩
イェイイェイ!!
先週末の渋谷VISION!!楽しかった!
フロアを盛り上げてくれたオーディエンスの皆様、感謝です♪♪
この日はサッカー系のパーティーということで久しぶり‥というかほぼ10年ぶり(というのは大袈裟かな?笑)位に
DJ DRAGONと一緒にプレイ!!
そういえばだけど『ORANDA』(オランダ)と称して二人でDJユニットをやっていた時期もありました。
懐かしいなぁ~なんて思いながら、ワールドカップモードでバックトゥバック(DJ二人以上が一曲ずつかけながら交代していくプレイスタイルのことで、よくパーティー終了間際にその日に出演したDJさん達がコンサートでいうアンコール的に選曲していくやり方。ようは一人一曲ずつかけていく、ということですね)☻
折しもその日早朝の試合、日本代表は瀕死のギリシャ相手に痛恨のドローゲーム。
試合結果は終わったことだから仕方ないけれど、会場へ向かうときに
『フロアがストレスフルなサッカーの試合のスタジアムのゴール裏みたいな雰囲気だったらどうしよう‥微汗ww』
とが余計な心配をしながらも。
‥そんな心配は本当に余計な心配だったようで(笑)
『まだまだニッポン!!』
の僕らの掛け声に
『イェーイ!!!』
とフロアがレスポンスをくれて言ってる自分たちが嬉しくなってしまったパターンというか。
プレイタイムは二人で60min。
あっという間の一時間でした♪♪
いやはやー☻
それにしても、昨夜のガーナvsドイツ戦は逆転に次ぐ逆転劇なゲーム展開で本当にアツかった!!
これぞワールドカップ!!
というのがピッタリのダイナミックなゲームでした。
☝︎この画像を大会期間限定Twitterプロフの背景にしているほどオランダ代表ファンなわたくしですが。(注釈:写真はふた世代ほど前の代表です。)
今大会のオランダ代表は何処か好きになれないのです。
何故なら!!
いや、ぼやくのはやめておきます。
いや、少しだけぼやかせていただくと‥笑
ルイス・ファン・ハール代表監督。
言わずと知れたオランダサッカー界の名将です。
90年代後半から数年間に渡って、スペイン一部リーグ、リーガ・エスパニョーラの強豪、我がF.C.バルセロナを率いていた時期もありました。
思えばその頃のバルサは『暗黒時代』とサッカーファンの間で囁かれていたほど『何故だか勝てない』チームでした。名手は本当にたくさん居るのに。
今でこそ、アルゼンチン代表のエースへと成長したメッシ選手やブラジル代表の至宝、ネイマール選手の活躍があり、世界の常勝クラブへと変貌を遂げたバルサですが、当時のバルサといえば『オランダ代表御一行様と数名の世界選抜の皆様』と言って良い程のかたよった(‥といえばいいのかw)そんな面子でした。
当時のチーム編成をざくっというと‥
前線は左からリバウド、クライファート、右にフィーゴかルイス・エンリケ、またはサビオラのスリートップ。
攻撃的中盤にはルイス・エンリケあるいは、ジオバンニかロナルト・デブール。
もしくは成長著しかった若手のシャビ。
リバウドの控えには当時のオランダが誇る左ウイング、快足マルク・オーフェルマルス。
今代表のロッベンのようなタイプの選手でした。ロッベンは間違いなくオーフェルマルスの影響を受けていると確信しております。(超余談御免です)
そして中盤の底には今や日本代表選手たちも数多く活躍するドイツ一部リーグ、ブンデスリーガの強豪バイエルンミュンヘンで監督として魅惑的なパスサッカーを繰り広げる事に成功したペップ・グアルディオラと、僕が生涯で一番愛した選手、強国オランダが世界に誇るユーティリティ・プレイヤー、フィリップ・コクの並ぶドブレ・ピボテ(ダブルボランチ)。
最終ラインは左からボウデヴィン・ゼンデンかウィンストン・ボハルデ(ともに当時のオランダ代表)、センターバックにアベラルド(当時スペイン代表)と、フランク・デブール、そして右にミハエル・ライジハーとまさにほぼオランダ代表そのまんまの布陣を敷いていました。
‥その右サイドバックの控えに背番号32番、二軍から上がりたてほやほやのカルレス・プジョル(笑)
『ファン・ハールのオランダ化政策だ!!気に食わん!!』とあまりにも多くのオランダ人を呼び寄せ、かといってみんなのアイドルのチーム生え抜き若手選手を積極的に使う事もなく、でもなかなか試合に勝てないチームのスタメンを喜ばない地元バルセロナのサポーターも多々いらっしゃいました。
とくにバルセロナのローカルのスポーツ紙は毎試合容赦ありませんでした。
クライファートの軽いミス‥というか
『おいなんでそこ外せんねん!!ww』くらいのぽかをトップでかでか一面でそれこそぼこすかにやられる始末。
僕は毎週仮想オランダ代表(主にコクw)+リバウド+ペップが観れたので嬉しかったのですが、まぁ毎回勝てないとなると話しはそりゃ別ですよね(笑)
前線の三人を後ろから操りながら自らも得点出来てファンタジー溢れる今のメッシやネイマールのような選手が、ともかく不在でした。
ロナウド(クリロナではない方の)と並び当時のブラジル代表を背負っていた左利きのマジシャン、リバウドが見たところ一番適任ではありました。
でも今、本田選手が所属するA.Cミランで本来のトップ下ではない右サイドで起用され続けてなかなかフィット出来ずにいるように、当時のリバウドもブラジル代表ではトップ下、ファン・ハール政権下のバルセロナでは頑として左サイドでの起用でした。
にしても、いっこうに機能しません。
チームもサポーターもバルセロナの街も、ついでに僕もいらいらが募る一方でした。
困り果てたファン・ハール監督はかつて自身が栄光を欲しいがままにしていたオランダ一部リーグ、エールディビジのトップクラブ、アヤックス時代の教え子であり聡明なゲームメーカータイプのヤーリ・リトマネン(元フィンランド代表エース)までオランダからほぼ強引に呼び寄せる事態にまで発展。
‥が、それでも勝てない(笑)
かたや永遠のライバル、レアル・マドリードではラウールやグティなどクラブチーム生え抜きの選手がキャリアの全盛期を迎えようとしていた頃でした。
折しも、ジダンやフィーゴ、ロナウドはたまたベッカムなど当時のそうそうたる名選手達をヨーロッパ中から呼び集めて『エル・ガラクティコス』(銀河系軍団)の形成も水面下で始まっていた頃。
ライバルの急成長にバルササポーターはいよいよ心穏やかではありません。
毎週毎週、首を傾げるほどの引き分け試合や負け試合が続いていました。
だけど不思議なもので、応援しているチームが苦境に立たされれば立たされるほど『がんばれー!!』と声を送りたくなり、何をやっても強いと思われて、あるいはそう感じてしっかり勝てるチームになればなるほど『観てなくたってどうせ勝つだろー☻』とたいした心配をしなくなるんですね(笑)僕だけなのかもしれないですが。
さっきから何回もいっていますが、今のバルセロナにはメッシやネイマールがいるし、なにしろメッシもそうだけどシャビやイニエスタやプジョルやピケやビクトル・バルデスらクラブ生え抜きの選手たちがチームの中心となっていて、しかも強い。
‥と言ってみればクラブチームの理想形です。
当時は決してそんな状況ではありませんでした。
‥でも、何故だか愛しい。
‥だからこそ『ああっ!もう!!何やってんだーー!!』なんて文句を言いながら毎試合どうなった!?
‥と何故だか徹夜してまで画面に食い入ってしまう毎週末。
なんなんでしょうねあの感覚‥不思議なものです。
話し戻って、今大会のオランダ代表☻w
どこか好きになれない理由はハッキリしています。はい。
『守備的すぎる』んです。
サッカーファンの方々のあいだでは、
オランダ代表のざくっとしたイメージといえば『トータル・フットボール』ですよね。
超ド級攻撃的サッカー。
70年代オランダ代表のエース、世界的な名手でありトータル・フットボールの生みの父、ヨハン・クライフが編み出した攻撃サッカースタイル。
そのスタイルがクライフの入団を経てそっくりそのまま、70年代当時のアヤックスからバルセロナに移植されて大成功。
その後、クライフ監督率いるバルサは『ドリーム・チーム』と呼ばれヨーロッパサッカーの一時代を築き、一方でクライフのDNAを脈々と受け継いだオランダ代表チームは『ナランハ・メカニカ』(スペイン語で英訳すると、オレンジ・マシーン)と、あまりにも機械的かつ冷徹に、全員でゴールを奪い去っていく様がスペインの人々からガチで恐れられていました。
全員攻撃全員守備。
基本、シュートのような速いボールでダイレクトでパスを回し、ゴールキーパー以外の10人全員が目まぐるしいポジションチェンジを頻繁に繰り返しながら相手チームを撹乱し、打てるところからは躊躇なく全員が連動してゴールを狙い、ピンチとなれば11人全員がディフェンダーとなって自陣を守る。
当然、ピッチ上の選手全員には物凄く高いスキルとハードな運動量と、なにより誰が何処にいるかをボールを受けてから顔を上げて見なくとも味方全員の位置を精確に捉えられている広い視野ともちろんそれらの任務を完璧にこなすチームワークなどが選手達に要求されました。
オレンジ色のユニフォームを着た連中は、感情など一切ない。
そして、なによりこわいのは何点とっても決して攻撃の手を緩めなかった事でした。
対峙した当時のスペイン代表の選手達と悪夢のような試合を観ていたスペインの国民はオレンジ軍団のあまりの冷徹さに震え上がったのです。
カテナチオ戦術で有名なイタリア代表のように一点取って、あとの時間帯はひたすら守り切るような戦術はスペクタクルの欠片も無いと言って悪しとされ、クライフの名言『美しく勝利せよ、無様に勝つことを恥と思え』をそっくりそのまま体現していたオランダ代表チーム。
ただ、その日の戦闘内容をプログラミングされて機械のようにチームの全員が試合終了のホイッスルが鳴るまで延々とウソみたく高速なパス回しをやめないオレンジ・マシーン。
面白いと思ったのは常としてゴールキーパーもディフェンダーあるいはフィールドプレイヤーの一人としてカウントされていた事です。
そのトータルフットボールが感じられないのです。
ファン・ハール監督の現代表チーム。
理由はずばりフォーメーションです。
5バックともとれる布陣なんです。
5-2-3
ですか。数字でいうと。
いやもちろん!!
大前提として勝っているから良いのです!!
良いんです勝ってくれたらホント!!
ナマ言ってマジすんません!!
‥の上での話しなんですが、いかんせん元々ディフェンシブなタイプの選手をずらりと並べて、あとはスナイデル&ロッベン&ファン・ペルシ頼みな感がマンマンの布陣はどうも守りから入っている気がしてなりません。
先日の試合でファン・ペルシが大会通算二枚めのイエローカードをもらって次の試合に出れなくなりました。
グループ一位通過はほぼ確定なので、
次の試合は消化試合です。
だから良かったというか、これが準決勝とか決勝だったらどうすんだ?
と、あらぬことをつい考えてしまいます。
フォワードや中盤の人材不足でも無いのに。とか言い出すと実に色々あるんです。
それに、オランダはもはや伝統になってしまいましたが、どんなに強くても美しいサッカーをしていても、ワールドカップなどの大会で優勝出来ないんです。
今までも何度も決勝や準決勝まで行ったのに、一度も優勝したことがないのです。
なんでなんでしょうか。伝統もいいかげんここまでくると都市伝説のように感じてしまいます(笑)
今大会優勝は日本です。それは変わりません。しかしながらダークホースとしては今さらのオランダを推させていただきます。
確かに今回の戦い方はなんとなく好きではありません。
でも、その伝統を覆すべき選択を代表チームがしたのであれば決勝戦で勝利してほしいものです。
出来れば、美しく。
出来れば、です。
それだけです。
ほんとに長~いぼやきにお付き合いくださり有難うございました。
少し嬉しかったのは、先のクライファートがコーチとなってベンチのファン・ハール監督の横に座っていたことでした。
98年フランス大会、準決勝。
ブラジルvsオランダ
『マルセイユの死闘』
と呼ばれた試合でした。
名勝負。
クライファートが執念で決めたヘッド。
一人オランダゴールへ爆走するロナウドを猛然と追いかけて根性でボールを奪い返したダーヴィッツ。
今のところ僕の一番好きな試合です。
四年に一度のサッカーの祭典、時差でやはり日本中が寝不足気味におちいっている様ですが、可能な限り楽しみたいものです。
ではでは☻
長くなりましたこのへんで♪
読んでくれて有難うー!!
愛をこめて
壱成
先週末の渋谷VISION!!楽しかった!
フロアを盛り上げてくれたオーディエンスの皆様、感謝です♪♪
この日はサッカー系のパーティーということで久しぶり‥というかほぼ10年ぶり(というのは大袈裟かな?笑)位に
DJ DRAGONと一緒にプレイ!!
そういえばだけど『ORANDA』(オランダ)と称して二人でDJユニットをやっていた時期もありました。
懐かしいなぁ~なんて思いながら、ワールドカップモードでバックトゥバック(DJ二人以上が一曲ずつかけながら交代していくプレイスタイルのことで、よくパーティー終了間際にその日に出演したDJさん達がコンサートでいうアンコール的に選曲していくやり方。ようは一人一曲ずつかけていく、ということですね)☻
折しもその日早朝の試合、日本代表は瀕死のギリシャ相手に痛恨のドローゲーム。
試合結果は終わったことだから仕方ないけれど、会場へ向かうときに
『フロアがストレスフルなサッカーの試合のスタジアムのゴール裏みたいな雰囲気だったらどうしよう‥微汗ww』
とが余計な心配をしながらも。
‥そんな心配は本当に余計な心配だったようで(笑)
『まだまだニッポン!!』
の僕らの掛け声に
『イェーイ!!!』
とフロアがレスポンスをくれて言ってる自分たちが嬉しくなってしまったパターンというか。
プレイタイムは二人で60min。
あっという間の一時間でした♪♪
いやはやー☻
それにしても、昨夜のガーナvsドイツ戦は逆転に次ぐ逆転劇なゲーム展開で本当にアツかった!!
これぞワールドカップ!!
というのがピッタリのダイナミックなゲームでした。
☝︎この画像を大会期間限定Twitterプロフの背景にしているほどオランダ代表ファンなわたくしですが。(注釈:写真はふた世代ほど前の代表です。)
今大会のオランダ代表は何処か好きになれないのです。
何故なら!!
いや、ぼやくのはやめておきます。
いや、少しだけぼやかせていただくと‥笑
ルイス・ファン・ハール代表監督。
言わずと知れたオランダサッカー界の名将です。
90年代後半から数年間に渡って、スペイン一部リーグ、リーガ・エスパニョーラの強豪、我がF.C.バルセロナを率いていた時期もありました。
思えばその頃のバルサは『暗黒時代』とサッカーファンの間で囁かれていたほど『何故だか勝てない』チームでした。名手は本当にたくさん居るのに。
今でこそ、アルゼンチン代表のエースへと成長したメッシ選手やブラジル代表の至宝、ネイマール選手の活躍があり、世界の常勝クラブへと変貌を遂げたバルサですが、当時のバルサといえば『オランダ代表御一行様と数名の世界選抜の皆様』と言って良い程のかたよった(‥といえばいいのかw)そんな面子でした。
当時のチーム編成をざくっというと‥
前線は左からリバウド、クライファート、右にフィーゴかルイス・エンリケ、またはサビオラのスリートップ。
攻撃的中盤にはルイス・エンリケあるいは、ジオバンニかロナルト・デブール。
もしくは成長著しかった若手のシャビ。
リバウドの控えには当時のオランダが誇る左ウイング、快足マルク・オーフェルマルス。
今代表のロッベンのようなタイプの選手でした。ロッベンは間違いなくオーフェルマルスの影響を受けていると確信しております。(超余談御免です)
そして中盤の底には今や日本代表選手たちも数多く活躍するドイツ一部リーグ、ブンデスリーガの強豪バイエルンミュンヘンで監督として魅惑的なパスサッカーを繰り広げる事に成功したペップ・グアルディオラと、僕が生涯で一番愛した選手、強国オランダが世界に誇るユーティリティ・プレイヤー、フィリップ・コクの並ぶドブレ・ピボテ(ダブルボランチ)。
最終ラインは左からボウデヴィン・ゼンデンかウィンストン・ボハルデ(ともに当時のオランダ代表)、センターバックにアベラルド(当時スペイン代表)と、フランク・デブール、そして右にミハエル・ライジハーとまさにほぼオランダ代表そのまんまの布陣を敷いていました。
‥その右サイドバックの控えに背番号32番、二軍から上がりたてほやほやのカルレス・プジョル(笑)
『ファン・ハールのオランダ化政策だ!!気に食わん!!』とあまりにも多くのオランダ人を呼び寄せ、かといってみんなのアイドルのチーム生え抜き若手選手を積極的に使う事もなく、でもなかなか試合に勝てないチームのスタメンを喜ばない地元バルセロナのサポーターも多々いらっしゃいました。
とくにバルセロナのローカルのスポーツ紙は毎試合容赦ありませんでした。
クライファートの軽いミス‥というか
『おいなんでそこ外せんねん!!ww』くらいのぽかをトップでかでか一面でそれこそぼこすかにやられる始末。
僕は毎週仮想オランダ代表(主にコクw)+リバウド+ペップが観れたので嬉しかったのですが、まぁ毎回勝てないとなると話しはそりゃ別ですよね(笑)
前線の三人を後ろから操りながら自らも得点出来てファンタジー溢れる今のメッシやネイマールのような選手が、ともかく不在でした。
ロナウド(クリロナではない方の)と並び当時のブラジル代表を背負っていた左利きのマジシャン、リバウドが見たところ一番適任ではありました。
でも今、本田選手が所属するA.Cミランで本来のトップ下ではない右サイドで起用され続けてなかなかフィット出来ずにいるように、当時のリバウドもブラジル代表ではトップ下、ファン・ハール政権下のバルセロナでは頑として左サイドでの起用でした。
にしても、いっこうに機能しません。
チームもサポーターもバルセロナの街も、ついでに僕もいらいらが募る一方でした。
困り果てたファン・ハール監督はかつて自身が栄光を欲しいがままにしていたオランダ一部リーグ、エールディビジのトップクラブ、アヤックス時代の教え子であり聡明なゲームメーカータイプのヤーリ・リトマネン(元フィンランド代表エース)までオランダからほぼ強引に呼び寄せる事態にまで発展。
‥が、それでも勝てない(笑)
かたや永遠のライバル、レアル・マドリードではラウールやグティなどクラブチーム生え抜きの選手がキャリアの全盛期を迎えようとしていた頃でした。
折しも、ジダンやフィーゴ、ロナウドはたまたベッカムなど当時のそうそうたる名選手達をヨーロッパ中から呼び集めて『エル・ガラクティコス』(銀河系軍団)の形成も水面下で始まっていた頃。
ライバルの急成長にバルササポーターはいよいよ心穏やかではありません。
毎週毎週、首を傾げるほどの引き分け試合や負け試合が続いていました。
だけど不思議なもので、応援しているチームが苦境に立たされれば立たされるほど『がんばれー!!』と声を送りたくなり、何をやっても強いと思われて、あるいはそう感じてしっかり勝てるチームになればなるほど『観てなくたってどうせ勝つだろー☻』とたいした心配をしなくなるんですね(笑)僕だけなのかもしれないですが。
さっきから何回もいっていますが、今のバルセロナにはメッシやネイマールがいるし、なにしろメッシもそうだけどシャビやイニエスタやプジョルやピケやビクトル・バルデスらクラブ生え抜きの選手たちがチームの中心となっていて、しかも強い。
‥と言ってみればクラブチームの理想形です。
当時は決してそんな状況ではありませんでした。
‥でも、何故だか愛しい。
‥だからこそ『ああっ!もう!!何やってんだーー!!』なんて文句を言いながら毎試合どうなった!?
‥と何故だか徹夜してまで画面に食い入ってしまう毎週末。
なんなんでしょうねあの感覚‥不思議なものです。
話し戻って、今大会のオランダ代表☻w
どこか好きになれない理由はハッキリしています。はい。
『守備的すぎる』んです。
サッカーファンの方々のあいだでは、
オランダ代表のざくっとしたイメージといえば『トータル・フットボール』ですよね。
超ド級攻撃的サッカー。
70年代オランダ代表のエース、世界的な名手でありトータル・フットボールの生みの父、ヨハン・クライフが編み出した攻撃サッカースタイル。
そのスタイルがクライフの入団を経てそっくりそのまま、70年代当時のアヤックスからバルセロナに移植されて大成功。
その後、クライフ監督率いるバルサは『ドリーム・チーム』と呼ばれヨーロッパサッカーの一時代を築き、一方でクライフのDNAを脈々と受け継いだオランダ代表チームは『ナランハ・メカニカ』(スペイン語で英訳すると、オレンジ・マシーン)と、あまりにも機械的かつ冷徹に、全員でゴールを奪い去っていく様がスペインの人々からガチで恐れられていました。
全員攻撃全員守備。
基本、シュートのような速いボールでダイレクトでパスを回し、ゴールキーパー以外の10人全員が目まぐるしいポジションチェンジを頻繁に繰り返しながら相手チームを撹乱し、打てるところからは躊躇なく全員が連動してゴールを狙い、ピンチとなれば11人全員がディフェンダーとなって自陣を守る。
当然、ピッチ上の選手全員には物凄く高いスキルとハードな運動量と、なにより誰が何処にいるかをボールを受けてから顔を上げて見なくとも味方全員の位置を精確に捉えられている広い視野ともちろんそれらの任務を完璧にこなすチームワークなどが選手達に要求されました。
オレンジ色のユニフォームを着た連中は、感情など一切ない。
そして、なによりこわいのは何点とっても決して攻撃の手を緩めなかった事でした。
対峙した当時のスペイン代表の選手達と悪夢のような試合を観ていたスペインの国民はオレンジ軍団のあまりの冷徹さに震え上がったのです。
カテナチオ戦術で有名なイタリア代表のように一点取って、あとの時間帯はひたすら守り切るような戦術はスペクタクルの欠片も無いと言って悪しとされ、クライフの名言『美しく勝利せよ、無様に勝つことを恥と思え』をそっくりそのまま体現していたオランダ代表チーム。
ただ、その日の戦闘内容をプログラミングされて機械のようにチームの全員が試合終了のホイッスルが鳴るまで延々とウソみたく高速なパス回しをやめないオレンジ・マシーン。
面白いと思ったのは常としてゴールキーパーもディフェンダーあるいはフィールドプレイヤーの一人としてカウントされていた事です。
そのトータルフットボールが感じられないのです。
ファン・ハール監督の現代表チーム。
理由はずばりフォーメーションです。
5バックともとれる布陣なんです。
5-2-3
ですか。数字でいうと。
いやもちろん!!
大前提として勝っているから良いのです!!
良いんです勝ってくれたらホント!!
ナマ言ってマジすんません!!
‥の上での話しなんですが、いかんせん元々ディフェンシブなタイプの選手をずらりと並べて、あとはスナイデル&ロッベン&ファン・ペルシ頼みな感がマンマンの布陣はどうも守りから入っている気がしてなりません。
先日の試合でファン・ペルシが大会通算二枚めのイエローカードをもらって次の試合に出れなくなりました。
グループ一位通過はほぼ確定なので、
次の試合は消化試合です。
だから良かったというか、これが準決勝とか決勝だったらどうすんだ?
と、あらぬことをつい考えてしまいます。
フォワードや中盤の人材不足でも無いのに。とか言い出すと実に色々あるんです。
それに、オランダはもはや伝統になってしまいましたが、どんなに強くても美しいサッカーをしていても、ワールドカップなどの大会で優勝出来ないんです。
今までも何度も決勝や準決勝まで行ったのに、一度も優勝したことがないのです。
なんでなんでしょうか。伝統もいいかげんここまでくると都市伝説のように感じてしまいます(笑)
今大会優勝は日本です。それは変わりません。しかしながらダークホースとしては今さらのオランダを推させていただきます。
確かに今回の戦い方はなんとなく好きではありません。
でも、その伝統を覆すべき選択を代表チームがしたのであれば決勝戦で勝利してほしいものです。
出来れば、美しく。
出来れば、です。
それだけです。
ほんとに長~いぼやきにお付き合いくださり有難うございました。
少し嬉しかったのは、先のクライファートがコーチとなってベンチのファン・ハール監督の横に座っていたことでした。
98年フランス大会、準決勝。
ブラジルvsオランダ
『マルセイユの死闘』
と呼ばれた試合でした。
名勝負。
クライファートが執念で決めたヘッド。
一人オランダゴールへ爆走するロナウドを猛然と追いかけて根性でボールを奪い返したダーヴィッツ。
今のところ僕の一番好きな試合です。
四年に一度のサッカーの祭典、時差でやはり日本中が寝不足気味におちいっている様ですが、可能な限り楽しみたいものです。
ではでは☻
長くなりましたこのへんで♪
読んでくれて有難うー!!
愛をこめて
壱成