夢から絶望へ | いしだ壱成オフィシャルブログ『Arrivals』powered by アメブロ

夢から絶望へ

役者として様々なことを学ぶ事ができた先の舞台『ソウルドリームズ』の公演を終え、しばしの充電期間を置いて次の舞台『ディストピア』の稽古期間に入り、また怒とうのような稽古の日々がはじまった。

いつだって、どの作品だってなぜか怒とうのようになってしまう。

ゆっくりと落ち着いて、安全な気持ちで、安心して、
本番に臨みたい。

でも、そんなことは一度も無い。

と、近年様々な作品で一緒に戦い、もはや作品創りの上でパートナー的な存在である女優コトウ・ロレナ( http://ameblo.jp/lorena/ )が先日とあるインタビューで
そう述べていて、その通りだと思った。

頑張っている彼女は勿論別として結局自分はまだまだ未熟者だということなんだろうと思う、でもその感覚もまた嫌いじゃなかったりするのだけど。

きっかけがあった。

何というか、少々大袈裟にいえば人生と価値観のターニングポイントというか。

ソウルドリームズの稽古がはじまって丁度中盤に差しかかった頃
だったと思う。

柄にも無く、というかむしろそんな事は生まれて初めてだったが
稽古場で出演者、演出家、その他大勢のスタッフが居る前で、
ぶち切れて怒鳴ってしまった。

勿論、理由があってのことで理不尽にキレたつもりは無い。

ただ、その場は騒然となったし、ぶっちゃけて言えば自分の
脳味噌の中身の方が騒然とし過ぎてそのまま何処かへ行って
しまいそうな感覚だった。自我喪失寸前。

理由は、もう公演も終わったことだし、書いてもおそらく差し障ること
はないと思うので書くが、とても単純なことだった。

当時、ダブルキャスト含め役者総勢約30名。

そのマインドが見事にばらばらだった。

今思えば全員ただただ一生懸命にやっていて、それぞれの歩幅で
もがきながら歩いていただけのことだったのだが、時間がなかった。

一期一会。

劇団ではないので、言ってみればそれっきりの現場でもあった。

顔合わせしました、稽古に入りました、仲良くなりました、内容はなんとなく疑問だけど、まぁ楽しく稽古しました、本番に入りました、千秋楽を迎えました、
打ち上げました、良かったですね、さようなら、またどこかで。

それだけだ。

あまり昨今の業界の云々を言いたくはないし事は良いわるいでもないが、舞台、映像関係なくそんな現場も多々あることは正直事実かと思う。

アツさ、の問題だと思う。そのカンパニーにどれだけ温度の高い、熱のある人間がいたのか。なにも役者に限ってではない。スタッフの一人一人までもきっちりカウントされる。熱は伝わるし、情熱はもっと伝わる。と思っている。
一人でも『ぬるい』とどうしてかその温度が伝染して全体がぬるくなる。

もしかしたら、美容室のサロンワークとか、企業のオフィスワークなんかにも同じ事がいえるのではなかろうか。否か。

ともかく波風を立てずに、うわべの笑顔だけで終演まで‥と
それだけを考えるなら別に怒鳴る必要なんて無い。
世代や価値観の遥かに違う若い子たちに演出家でもあるまいに、
何度も何度も芝居を返させたりしてあんなキツい思いを
させることも無かった。

『事務所に仕事だと言われて来てるだけなら帰れ!!』

もちろん、主役という自分のポジションもあった。

もっというと台本の設定もデカかった。

劇団の話しだったのだ。

とある劇団の人間関係を巡る青春群像劇、といった
ところだろうか。

自分が演じるのはその劇団でいつも主役というポジションを
演っている人間、つまり役のなかでも『主役』だった。

だから、劇中後輩達に檄を飛ばすシーンもあったし、常に主役をやれるという甘い自惚れが結果として
(劇の劇の中の大役を落とされる)現れて、経験や年齢関係なくいわゆる『仲間たち』に支えられていた事を初めてきちんと自覚し、もう一段階人間として成長する、といった様なシーンもあった。

要は役柄を含めて現実の稽古場がそのまま稽古場として本番の板の上に
乗っかることになる、とも言えた。しかも、台本上の舞台設定はすべて稽古場。

設定はややこしいと言えば、ややこしい。

何度か変に考えてしまって、頭がこんがらかりそうにもなった。

でも、実際の稽古は中盤戦、どんどんと練り上げたい時期。

役者にとっては設定が複雑なゆえに、芝居以上のリアリティを持たせておく必要があったと思う。

汗臭さとか、ドロドロした感じとか、緊張感があって笑いながらも殺伐とした雰囲気とか、ともかくお客様が劇場に入った瞬間に、あれ?どこかの劇団の稽古場に来ちゃったかな?くらいに思ってもらえる『感じ』がどうしても必要だった。

でも、テンポ、間合い、気合い、仕上がり、すべてがばらばらだった。

ネガティヴマインドでいえば、稽古初日と何も変わっていない気すらした。

勿論、そのままばらばらのマインドでも良かったのかも
しれないけど、やはりそうはしたくなかったし出来なかった。

主役の役の自分が居るように、当然演出家の役も居た。

加えて、この作品の台本を書いたのは実際の演出家の森井睦氏( http://peopletheater.moo.jp/newpage1.html )
だったし、演出も同じく森井氏だった。

さらに、『これは俺の話しだ』と森井氏は何度も口にしていた。

いまは大分お年を召されながらも演出の仕事と並行して、日本演出者協会の理事や日本劇作家協会会員なども精力的に務める森井氏だが、若かりし頃は役者もやっていたので、演出家の役の言う台詞も主役の役の言う台詞も自分が経験したことが主なベースとなっている。

という。

演出家の役の藤馬ゆうやくん( http://ameblo.jp/yuu0125ya/ )も同じく大きな焦りを感じていた様だった。出演者のなかでは、僕と同世代の数少ない一人。

台本上では、彼が演じる演出家が実質の主役だった。

台本の台詞の量や役のウェイトは僕のそれよりも遥かに大きかったと思う。

彼が焦るのは当然だった。

演出家を演る役作りもあるが、森井氏へのリスペクトも相当にあったらしい。

それは、僕も同じだ。

森井睦という演出家を心底尊敬しているし、稽古で死んでみせろと言われたらそうするだろう。

さすがに死ねは冗談だが、それに近い事は平気で要求してくる。それに彼と出会ってから20年近く経つが、一度も褒めてもらえた事は無い。

別に褒めて貰いたくてやっている訳では無いがとにかく、無い。

駄目なら怒られるが、良かったら(多分)ただこくんと頷くだけだ。
でも、役に立ちたい。彼のセオリーを学習したい。

何だろうか。時代を捉え、惹きつけて拘束する何かが彼にはある。

話しが逸れた。

劇中、先の演出家役の藤馬くんの冒頭の大事な台詞で『この劇団の売り物はチームワークだよ、チームワークでみんなのエネルギーを爆発させる』といった様なひと言があった。

すべてはそこに起因する。

チームワーク。

今はまだ、あるとは言えない。もちろん、皆頑張ってはいるが。

今それを観客の前で言ったとしてもただの『セリフ』の
一つになってしまう。

セリフをセリフにしてはいけない。言葉にしないと。全員が同じ温度で板の上に立っていないと、嘘になる。芝居になる。芝居をする時は芝居をしてはいけない。

言葉は、役としてではなくって、自分自身の言葉にしないと成立しない。

そして、僕らは賭けに出た。

その少し前のある深夜、藤馬くんに電話をかけた。
どのくらい話していただろうか。
感じていたことは、同じだった。
結論が出た。本当のチームワークのために何が出来るか。


一期一会、とはいえ、この広い世界でそれぞれの役者さんやスタッフさん達に出会えて一緒に作品を作るのはなんというか、偶然なんかではないと特にここ最近ハッキリと感じていたし、折しも演出の森井氏も同じ様なことを稽古中の若い子たちに言って聞かせていた。

そして、せっかく出会えたなら名作を残したい。

何気に発したその名作、という言葉が藤馬くんに火をつけた。

『壱成さん、僕やります。若い子たちに、ガンガンやります。僕は演出家の役ですし、嫌われようが何をしようが僕が全部責任を取ります。演出家ってとにかく怖い存在じゃないですか。だからいいんです。もう使ってくれない覚悟で、森井さんの了解も取ります。一期一会の現場でどこまでついて来てくれるか‥でも彼らは良い子たちなんで‥きっとわかってくれると思います。』

彼はキッパリ言い切った。

『それから‥壱成さんに一つだけお願いがあるとすれば、ここぞという時に、ガツンとお願いします。僕ばっかりが怒ってて聞いてくれなくなる時もきっと来ると思うんで‥そんな事壱成さんにさせたくないんですが‥なるべくそうならない様に気を配りますんで、でももしそんな場面になったと感じたら、その時はお願いします。』

僕は、わかりました。と答えた。

そして、彼は次の日に即効演出家を説得して了承を得、稽古場での人格が変わった。

稽古場の空気が、がらりと変わった。
緊張が張り詰めていた。自分も緊張し切っていた。
若い役者さん達は、きっともっとだったと思う。

もちろんそういう現場ばかりではないし、たまたまこの稽古場がそうだっただけだ。

全部は『愛』に基づいていた。もっと頑張りたい、という愛。頑張ってほしい、
という愛。彼らのためなら、と思う愛。作品への、純粋な愛。

でも、良し悪しでなく、ゆるむ時は来る。
同じ人が、ずっと怒鳴っているのだ。
何をやっても駄目だと言われてしまう。
勿論、それもでっかい愛から来ているのだけれど、
今の世の中で、そんな緊張感を朝から晩まで保つのは
かなりの精神力がいる。と思う。

ともかく、ある日の午後に思い切り、ゆるんだ。

今だ!!と思ったわけではないが、その矢先に怒鳴ってしまった。

それが功を奏したのか何なのか、少なくとも何かが変わった。

日が経つにつれ、若い子たちの中で化学反応が起こっていった。

頑張っている姿は、周りに連鎖していく。

彼ら彼女ら同士はそれぞれに、作品のクオリティを高めようと
お互いに駄目出しをし合っていた。細部に渡るアイディアを出しあっていた。
ただひたすらに練習をしていた。何より、無駄な会話が聞こえて来なくなっていた。彼ら同士で互いを高めあっていた。高い所で、戦っていた。

藤馬くんは鬼演出家となって檄を飛ばし続け、僕は主役で居続けた。

森井氏は、ただ黙って見守っていてくれた。

卵から生まれたヒヨコが大きくなって自分たちの手から離れて行くような感覚。

技術は大事。でも気持ちの方がもっと大事。

それを目の当たりにしていた。

それからの彼らは本当に頑張ってくれたと思う。
本番が始まるまで、常に緊張感を保ち続け、いやまだまだ、と高めあい
意見を交わしあいながら連携を深めていた。

本番では、勿論様々な意見をいただく。

良いと言って下さる方も居れば、どんっと落ち込んでしまう様なご意見も
当然頂く。

でも、自分を含め不器用でも本当の情熱を燃やせたとも感じた。

劇場にいらして下さったお客様に、少しでもその熱が伝わったと良いのだが。

遡ってその稽古の中盤、稽古を終えてから大学教授の方とお茶をする約束があって新宿の京王プラザホテルのティーラウンジに足を運んだ。

大学教授とは肩書の一つで、演劇プロデューサーでもある方だ。

森井氏同様、彼とも20年近くのお付き合いでもある。

というか、ざっくり言ってしまえば皆同じチームというか、時代と世代を超えた仲間である。

僕自身の初主演舞台『ワンダリング・アイズ~ボスマンとレナ』1995年、のメインスタッフだった方々。

演出、森井睦

プロデュース、石田和男

衣装、美術、ワダエミ

このお三方には、それぞれにその後の人生のなかの随所で
お世話になっていて、それぞれに頑固ながらも仲間意識が強くて深い。
数年後には大きなプロジェクトも控えている。

全員年齢的には親よりも上だったりするが、感性が同世代よりもむしろ彼らに近いのか一緒に居てとても楽しいし、話していると芸術的感覚がスイスイと研がれるので有難い。

もちろん、甘えるところは素直に甘えさせて頂いている。

エミさんは僕の中国での撮影に際して、もはや母親の様になってあれこれと心配をしてくれていたし、石田氏は事あるごとに時間を割いて、クリエイティヴィティのレールを敷きに僕が日本の何処にいようと駆けつけて来てくれたりする。

森井氏には‥折々の稽古場でびしばしとお世話になっている。

折しも、この日は森井氏が珍しく引き受けた外注のお仕事の稽古中であった僕の表情を見ようと、世話焼きの石田氏がさらりと京王プラザに僕を呼び出した、と言ったところだった。

同席したのはとある出版社の方だった。

その方をいずれチームに引き入れたいので、顔合わせを。
という事で連れていらして下さったという。

話しは、震災のことから始まった。

僕は稽古場で怒鳴ってしまって、まだ気持ち的に立ち直れていないうち
だったので、うまく会話について行けていなかったが、
それでも話しはテンポ良く進んで行った。

被災地の現状。一向に収束しない、出来ない原発事故の現状。
容赦無く進む放射能の汚染。待ち受ける未来。

『ここ(新宿)だってね‥もうだいぶ線量が高くなっていますよね』

『そうですよ。二年以上も経てば、それは‥』

ため息と共に間が出来た。小一時間ほど経っただろうか。

長い間が空いてそろそろ解散かという雰囲気になった。

『僕らに出来る事をね、頑張りましょう』

『忘れられちゃいますからね』

『ええ‥これからですもんね』

僕らは口々に思いをつぶやきあいながら帰り仕度を始めたが、
最後にふと、思い出して僕は稽古場の状況を教授に一応報告した。

謁見行為かもしれないけど、これこれこういう事があって
僕ともう一人の役者で若い子たちの指導をさせて貰っている。

本当は役者が役者をみるなんていうのは良くないと思うし、
彼らだって決して気持ちいいものではないと思う。

でもすこしでも、演出家の負担が軽減されればと思ってやっている。

本人からは『お前らの好きなようにやれ、責任は取る』の一言を
もらってはいる。

など。

大が九個ぐらいつく程、演劇の好きな二人は突然に身を乗り出してきて話しを聞く体制に入ってくれた。

『なんでそんなことになっちゃうんですかね』

出版社の方が首を傾げた。

『育成の問題ですね、そもそもは』

見てくれは完全な日本人だが中身は完ぺきなフランス人である
教授が素早く答えた。

『例えばフランスではね、どんな小さな町や村にも演劇学校があるんですよ。小さい頃から役者を育てるし、同時に演出家や美術家など裏方も育てる。だから、とても身近な所にそういったアートへの入り口がある。そして、そこを卒業していざ舞台に立ったとして。どんな作品でもどんなポジションの役者やスタッフにもね、絶対に賃金の保障が各々が満足いく額でしっかりとなされるんです。それも国からね。芸術もれっきとした労働ですから。アートを創るのは人間なのでね。ちゃんと彼らは国から守られている。アーティストは国の財産ですからね。エキストラレベルの役者にしたって、プロとしてしっかり守られてるんですね、アーティストとして。日本はその育成のシステムそのものが無いし、役者も裏方も国からは守られていない。賃金だけでいえば、売れればいいですけどね、そんなの一部でしょう。』

『なるほど。大半の人は安定していないと』

僕はいきなりエキサイトし始めた二人のやり取りをぼうっと聞いていた。僕らが飲んだコーヒーカップは、すっかり空っぽになっている。

『勿論、安定なんかする訳ないじゃないですか。気持ち的にも金銭的にも余裕が無い中で稽古に通ったり舞台に立つ役者だっているだろうし、そもそもモチベーションが違うでしょう。演技をした事が労働にならない。公演が終われば、アルバイトの生活に戻る役者が殆どなんですから。アルバイトと芝居を掛け持ち状態でやってる役者が多い国と、芝居の前に先ず生活面を国から守られている役者が多い国とでは、文化も当然変わって来るし彼らのモチベーションもそもそもの所で違うと思いますよ、それはね。』

『日本にはないんですか、そういう保障っていうか国からの援助は』

『ありますよもちろん。でも‥‥』

(内容がすこし物々しかったため、割愛)

『なるほど。でも才能ある役者だって日本にはいっぱいいるし、優秀な演出家や映画監督だって沢山いる訳じゃないですか。海外でも認められている様な。作品にしても良い作品はいっぱいありますよ』

そこの、現場の、作品を創っている時の問題だと思うんです。

と、そこでようやく会話に入れた。

『というと?』

いや、いま海外でって仰いましたけど、その海外で賞を取ったり
する様な日本の映画の必ずしも全部が全部満足いく環境で
創られたものとは限らないと思うんです。

『低予算映画という事ですか?』

たとえばそうです。予算もかもしれないけど、
撮影スケジュールだったり、まあ色々。とにかく至る所でどこかに無理がありながら撮っていたりするっていうか。で、それがもう当たり前になってて。

『ああ、過酷な印象ありますもんね、撮影現場って』

うーん、過酷なのは全然いいんですけど。寒いとか暑いとか眠たいだとか。
何日も徹夜とか、普通に日本はあるじゃないですか。
こっちはそういうものだって思ってやってるからいいんですけど、
そういう過酷な現場だったけど、でも結果海外で賞を貰ったりもする。
うまく言えないんですけど、とにかく現場の‥。

『労働組合も無いですからね、日本には。アメリカやヨーロッパみたいにね。あっちでは撮れてても撮れてなくても組合で決められた時間が来たらキチっと終わる。その後は皆で優雅にマティーニで乾杯、ですよ。ねぇ?』

あ、ええ‥アメリカとかだとその日の最後に撮るカットのこと、
マティーニショットっていいますもんね。

フランス人の教授が助け舟を出してくれる。

『なるほどねぇ。なんか聞いてたら野球を連想しちゃいました。
いやメジャーリーグだとね、例えばある球団のエースが怪我したとするじゃないですか、そうすると色んなスタッフが嫌っていうほど関わってくる訳ですよ。まず、球場のメディカルスタッフが診断して現場に報告する、監督やコーチ陣ですよね。そこから話が上に上がっていくんですよね、GMとか経営陣とかそっちの方に。ところが、同じく球団に病院付きのメディカルスタッフもいて、そっちでも検査して診断して、上、いや横になるのかな、また別の診断結果がGMや首脳陣に行く訳です。そこで様々な議論が交わされて、また現場に戻される。色んな方面からの意見が真剣に議論されるので、要は‥』

『現場だけの判断で簡単に物事を決められない』

『そういうことです。ところが日本は一方向からだけというか、現場も首脳陣も一緒っていうかね。あとはもう、その選手の気持ちの問題だったり』

『だからあれでしょ、記者会見なんかで、ボク怪我してますけど頑張って投げます!みたいなのが美談になっちゃう』

『そうですそうです、メジャーだとそんなことは絶対にありえない。投げちゃダメですよ。選手生命の問題になりますもん、その前に周りが絶対に投げさせない』

『日本人特有のド根性精神ていうかね、それにみんなワーってなっちゃうんですよね』

『そうそう、ド根性イコール美しい、みたいな。どんな怪我してても、もしそれで勝っちゃった日にはもう大変でしょう』

『拍手!ブラボー!でしょうね』

『本当、日本人らしいというか‥でも選手が心配になりますよねぇ。ファンとしては。』

白熱する二人のやり取りに耳を傾けながら、そういうことって意外と
全部のベクトルにつながってるのかもしれないなぁ、と勝手な想像をしていた。

『そういえばこないだ演劇界でも似たようなことがあったじゃないですか、ある女優さんが心筋梗塞で倒れて、代役でやった女優さんが拍手喝采だったとか』

ああ、ありました。容態が心配ですね‥。

『代役ってそんな簡単に出来るものなんですか、あんないきなり』

『あれは代役をやった女優さんが天才だっただけですよ、それにたまたま彼女がその舞台を観に行ってたのも大きかった。ラッキーでしたよね、作品的には。』

『いや、要はああいうことと常に隣り合わせなんじゃないかって思えてきちゃうんですよね、日本の演劇界だったり映画界だったり。さっきのメジャーの話しじゃないですけど』

『同じですよね、ド根性ですよ。それこそ。この国では大なり小なり作品を創るのにはどうしても無理が生じる。色んな所にね。壱成にしてもあの女優さんにしても、状況は違えど同じところから来る無理があって大変な思いをしてる。幸いまだ壱成は倒れてないけどね』

冗談とも本気ともつかない目で教授が見てくる。フレンチジョークなのだろう。

『どういうことですか?』

『役者たちが演出家のために!って身体中がガチガチになる程に頑張っちゃうっていうね。演出家が力めば力むほどね。あの作品は言ってみれば演出家の勝負の作品だった。そうすると演出家の肩にはものすごい力が入ります。本当にそう言ったかどうかまではわからないけど、今回ばかりは頼む、なんて下の自分に仕えてる役者達に言おうもんなら役者達の肩は演出家のそれ以上にガチガチになる訳です。世話になってる演出家があれだけ頑張ってるんだ、期待してくれてるんだ勝負かけてるんだ。だから自分達はそれに応えよう、それ以上に頑張ろう、というマインドになる』

黙って聞いていた。確かにこちらの作品もある意味では演出家の勝負の作品だった。何とか力になりたいと思って日々自分の役そっちのけで他の事に没頭していた。指導やら何やら。役者以外に音楽の仕事もやらせて頂いている手前、音楽や音響の面でも現場と制作の橋渡しや穴埋め的な役割も買って出ていた。演出や制作からもお願いをいただき、お役に立てるならと引き受けたことだったけど、正直神経や身体はかなりきていた。でも、そんな自分の云々はどうでも良かった。

『要はある一定のポイントにもの凄い負荷がかかっちゃうっていうかね。全員が全員まったく同じマインドではなかったりするから、重圧の行き着く先は主に主役だったりっていう。でもその前に彼らは役を引き受けた時点で、ただでさえもの凄いプレッシャーに晒される事になる訳で。そこに上の期待にもっともっと応えなきゃとか、下の面倒もしっかり見なきゃとかが入って来る。それ自体はいいことではあるけど、どんどん自分にかかる負荷は気づかないうちにデカくなっている。日本の大半の場合、せいぜい一ヶ月とか二ヶ月とかまあ四ヶ月で、一つの仕事のスパンが短かいから周りのスタッフは自分の仕事が忙し過ぎてそういう事にまで気を配れない。そこもそこで人材不足っていうね。ともかく身体が辛いなら辛いと直ぐにでもスタッフに言うべき事なのに、ド根性精神が支配する日本ではそれはもはや禁句に近いので口が裂けてもそんなことは言えない。それで、結果的に倒れてしまったりする』

『それって凄くもったいなくないですか?才能があればあるほどどんどんシステムに潰されていくっていうか、そんな気がしちゃうなぁ』

出版社の方がぐいっとお冷を飲み干した。

『もったいない話ですよね。せいぜい五年もてばいい、ぐらいの感覚ですよ。実際は一生やって行く事なのにね。適度に休ませなきゃ。しっかりと。オペラ歌手なんかとは正反対っていうね』

そうなんですか?

『代役、というか同じ役に三人の歌手が就くんです。公演中は一回歌ったら最低二日はブレイクタイム。休みが明けるまで絶対に歌っちゃダメ。その間は頭と身体と喉を休ませる事が仕事』

ふーん。守られてますね。システムに。日本とはだいぶ違う。

『どうにかならないんですかね、そこ』

『どうにかしないといけない事の一つですね。このままだと、アートに携わる優秀な人材がね‥だっておかしいでしょう。そこに関わるだいたいの人が職業として見なされてないなかで仕事をしてるって。ねぇ。』

長い長い沈黙があった。

『とにかく、頑張ってくださいね。観にいきますから』

と、不意に出版社の方が腕時計を見ながら会計に向かった。

『ともかく、チームワークで頑張ります』

教授と目があったので、何と無しに言った。

『いや、それは違うね』

きつい印象のひと言が帰って来た。

『?』

『チームワークじゃない。それはアート。』

『え?』

『すべては作品のために。そう思って何でもやる、やれる。それがアート。』

ピンときそうな、きてない様な。

『謁見行為なんかじゃなくて、それをアートっていうの。自分が出来る事だけをやるのではなく、出来る事は全部やる。作品を高めることにつながるのなら。それを周りから望まれたのなら尚更。』

久しぶりに気がゆるんだのだろう。涙が出るかと思った。

『何があっても、それは愛する作品のため。そうでしょう?違いますか?』

ええ。その通りだと思います。

『大人になったんですよ。年齢と共に感覚がどんどん鋭くなっていくっていうかね。僕らが出会った若い頃なんか周りなんかどうでも良かったでしょう?』

いやそんな!いや、でもそうかもしれません。

『現場でも周りがよく見えるようになっちゃうしね』

いや本当に‥そうですね。

『もう、何を考えているかまで分かっちゃう』

ええ。わかります。

『感覚が研ぎ澄まされているからね、ある意味当然ですよ。むしろ、そうでなくちゃ。でも、それはすべて作品のため。』

‥はい。

『すべてはアートのため。』

はい。

出版社の方はとっくに会計が終わったが、振り返ると
僕ら二人がまた何やら真剣な面持ちで話を始めたので、
察してかラウンジの入り口でずっと待っていてくれた。

『作品のため、アートのため。』

教授は何度も同じ台詞を言って聞かせてくれた。

『そして、そうじゃないときはひたすら鍛錬鍛錬です。お互いにね』

わかりました。

『最後に、Always ready to go ですよ。それではまた。』

アート。そして鍛錬。京王プラザのロビーを歩きながら、
何度も何度も頭のなかで繰り返していた。
ぱぁーっと気が晴れて行く感覚がしていた。
もの凄い名作を観たあとのようだった。

2013年、自分の軸が整った。

生き方、意識していなかったそれそのものを、
まさに『実感』していた。

言葉ではなく、体感していたというか。

前作『ソウルドリームズ』のテーマは『夢と情熱』だった。
そうやって、色んなことが有りながらも、夢=目標あるいは未来、
に向かって陰と陽の様々な事を伴いながら仲間達と共に歩いて行く。

一見歯の浮きそうなテーマだが、それを出来るだけリアルに
肉声として伝えて行くのが狙いだった。
森井氏が黙っていたのは、わざとかもしれない。

仲間達=僕ら日本人、という裏のテーマもあった。

どんな未来なのかはわからない。でも、今日という偶然訪れた訳ではない日、
あるいは今、情熱をもって作品作り=日々の仕事や生活や情熱を注げることすべて、に取り組める事への感謝も込めて、舞台に立たせていただいた。
それを、その情熱を持ち帰っていただけるように。
舞台上だけの事ではないんです、と。

『様々な受難を乗り越えて、それでもまだ持っている情熱こそが
本当の意味でのパッションって言えるんじゃないのかな』

劇中のとある台詞を拝借したが、このひと言に尽きると思う。

そして、次作『ディストピア』のテーマは絶望に始まる。

タイトルはそのまま。ユートピア、の逆の意味だ。

http://kakukaku.tv/dystopia/

絶望郷。

角角ストロガのフ第九回公演、主宰の角田ルミさん描く狂気に満ち溢れた
世界のなかで、舞い散りたいと思っている。

ネタバレも含めて、あまり書けないが角田さんの世界観は大好きだ。

連日の稽古。

前回とは様相が大分違うけど、超が其れこそ九個くらいつくほど
楽しくやらせて頂いていて、早くも現実世界との間に歪みを感じている。

来月の本番までの時間が、とてつもなく愛おしい。

その後は超大作『蝦夷地別件』へと続く。

夢から絶望と恐怖へ、そして憤怒へ。

何らかのレールでも敷かれているのだろうか。
不思議な、としか言えない流れもすこし感じる。

それではまた、愛を込めて。

壱成