年の瀬、能登へ。
考えてみたら来年の二月まで、僕はDJや収録など現場仕事以外の時間は映画の撮影やらでほぼ中国大陸に行きっぱなしになるのではないかと、 ふと師走のある日思った。
だったら、いま旅に出たい。
と想い先日、二日三日の暇をもらってふらり能登へと足を運んでみた。
はじめての能登半島。
久しぶりのぶらり旅、胸が躍った。
雲に隠れていて滅多に姿をみせないと言われる白山が全貌をみせたという珍しいほどの晴天に恵まれた朝。
金沢市内から友人ご夫妻と合流して、車に同乗させていただき一路石川県を北へ北へ。
まずは氣多大社を目指した。
最近の旅の目下のテーマ、白山信仰と縄文とユダヤのつながり、を考えると是非とも一度は足を運んでみたい神社だった。
白山と言えば、白山比め神社をはじめとしたその信仰に関わる様々な神社仏閣や歴史的名所を巡らせて頂いていて、更に大の登山好きでもある僕は、去る初秋、竜風吹き荒ぶ大汝峰に登って必勝祈願をしたほどの、なんと言うかただの『もの好き』である。
来年は少なくとも、四日以上は白山の修験道に入りたいと思っている。実現するかどうかはまったく持って定かではないが、今からかなり気合いは入っている。
因みに、と言えば本当に因みにだがこの山の本来の読み方は『はくさん』ではなく『しらやま』だと言うらしい。
地元、自生山那谷寺のご住職のお話だ。
ハクサンのハクというのは今の中国と北朝鮮の間にあたりにそびえる荘厳たる山であるという。
そしてハクサン信仰、というとそのハクサンを御神体とした彼の大陸に遥か古代から今も実在するハクという山の信仰と同一の音の読みになってしまう。
歴史が記す限りで言うと、一例として弥生のころ大陸から新たな人々が渡って来たとき、日本に存在した白山信仰と大陸のハクサン信仰が全く同一のものであったということは、周知の事実だとも言う。
なので、当時その瓜二つの山岳信仰が如何にこの日本各地で融合したり溶け込んで行ったかという話を非常に興味深く感じた。
さておき、ともかくそういう山があって、元々日本で言えば更にその前から縄文の頃からの信仰とほぼ一緒のものになるし、更に神話の頃にまで遡ると件の大陸の神様がコノハナサクヤヒメに恋をしてどうのこうのと話しは続くのだが、ご住職のお話しは壮大すぎてとてもここには書き切れないので話しを元に戻そう。
その白山から、ぐん、と石川県を北へ伸びる能登半島の付け根あたりに位置する、氣多大社。
いつかは行ってみたいと思っていた神社だった。
白山からみてほぼ真北。
四神でいうと玄武、亀の方角だ。
ご祭神は、正直知らなかった。
行けばわかる。くらいの体たらくだからまた世話が焼けるというのかなんというのか。
それこそこんなアバウトすぎる旅行に心良く同行してくれた友人ご夫妻には本当に頭が上がらないというかなんと言おうか、とにかく感謝のみである。
さらには神社仏閣廻りが趣味の僕の為にせっかく能登まで行くなら、せめて能登のパワースポットを、とかなり前々から情報収集をしていてくれたらしい。
ひとまずは氣多大社。
そしてもう一つは日本三大パワースポットのうちのひとつ、という異名をとる能登半島の突端にある山、ということだった。
山、とひと言にいっても能登には山がいくつもあるからそれもそれでかなりアバウトな情報ではあったが、ガイドブックには決して載っていない隠れた名所巡りに至っては地元の方の土地勘に勝るものは無い。
さて、その気多大社だが、ひとことで言うと、とてもスッキリした神社だった。
冴え渡る氣がぴーんと張り詰めていて、緊張感のなかにも心地良い優しさがある。
幾何学模様をした虹色の光の細い線が身体を突き抜けて行って更に自分の五体の先のすべてから同様のエネルギー体が吹き出ているような感覚。
冷たく清められたご神氣が喉ごし清らかに吸い込まれて行って、身体の芯からすっとして、自然と背筋も伸びて来る。
なんでも入らずの森という広大な禁足地の森がお社の奥に拡がっているらしく、その森から放たれる唯ならず澄み切ったご神氣が辺りを粛々と光を放ちながら包み込んでいる。
ご祭神は、なんと大国主さまだった。
なんとというと聴こえは妙だが僕にとっては行く先々で不意によく出くわすので余計にご縁を深くさせて頂いている神様だ。
なので、此方にもいらっしゃったかと嬉しくなり思わず微笑んでしまった。
一般的には縁結びの神様として良く知られている。
そして、その横にはやはりというか菊理姫さまが居られた。
いつものように気高く美しく、じっと海の向こうの果てしない大陸を静かに想っていらっしゃる様だった。
その反対サイドには、えびすさま。
先日、これまた別のとある陰陽師というか、不思議な行をやっている友人の是この日此処へ詣るべし。
というアドバイスを受けてえびす神社にご挨拶をしに行ったばかりだった。
という具合にこの頃ことごとくご縁のある神様がたが粛然と鎮座為れて、居た。
こういう粋な計らいにはいつも笑みが零れてしまう。
そして、あれやこれやと古代の浪漫に思いを馳せてしまうのだ。
知れば知るほどに深くなる。
そして、また分け入る。
祈りはとてもシンプルなものだ。
世界中の人々が愛に目覚めてこの地球がいつまでも美しく平和に在れますように。
そして争いがなくなりこの広大なアジアが、ひとつになりますように。
だいたいそんなところで、ほかは無い。
白山信仰についてはあれこれと調べものをしているうちに、縄文の更に遥か彼方からの歴史があって、もはや日本神話や古事記をも飛び越えてしまう為、いまのところ途方に暮れている状態だ。
もうこればかりは足跡を辿るしかないが、少なくとも何らかのヒントにはなるかと気多大社を歩き廻った。
あちこちの樹々の隙間に充満する鋭く尖った様な氣。
その樹々が呼吸する森が旅に疲れた心身を癒してくれる。
おかげさまで、有り難く今日も生かせて頂いております。
そんな感慨深い想いに耽りながら樹々を眺めていると後ろから友人の呼ぶ声がした。
『おーい。いっせい。こんなとこでへんなこと聞いてすまんけど、これってみんなに見えとるんけ?』
と、夫婦揃って禁足地の森の樹々のあちこちに目をやりながらあれこれ言いあっている。
どうやら『青い発光体が大小入り交じって辺りをゆっくり飛んでいったり、流れていったり』しているらしい。
友人には多少の霊感らしきものはあっても、近年流行りのスピリチュアル云々にはとんと疎いということだし、その奥さまに至ってはそもそもそういった類いの事柄にはハッキリ言って無関心だという。
そんな二人が揃って生まれて初めて、そんな発光体を具体的に目にしているのだから、呆気に取られてぽかんとするのも無理は無い。
『え?これここにいる人らみんな見えてるよね?うちらだけなの?』
と、恐ろしく真剣な眼差しで問うて来る。
確かに参拝客の方々は大勢いたが、そうだねみんなきっと面白いだろうね。
などの冗談はとても通じそうにないほどに真剣だったから、僕もどう答えていいものやら首を傾げてしまった。
青くて丸い球体がフワフワと降り注ぐ感じだと奥さまがいうので、わかりやす過ぎやしないかと思いながらも、もののけ姫の木霊みたいなもんだよと言い切ってしまった。
それが正しいのかどうなのかは正直なところ自信はないが、あながち間違ってもいないとも思う。
入らずの森。
青く研ぎ澄まされた氣を心ゆくまで呼吸させて頂いた。
そして次の目的地、桁違いにパワーのある山。その上から拝む夕陽。だと言う。
どうやら友人のいう山、というのは、愛称というか呼びやすかったからという事だっただけだったらしく、地図でみるとそのポイントは能登半島のほぼ北端だった。
ほぼ、というか地図上で結ぶと白山を真っ直ぐに真北に捉えて能登半島を貫いたやや右、ぐらいである。
わかり易くもなかったかもしれないが、道で言うと輪島をすぎて右折、下の写真の千枚田の道の駅のもう少し先にある切り立った岸壁だ。
どうやらその日本海に突き出す岸壁それそのものが御神体であるらしい。
はてさて車を停めて日本海に向ってまるで剣の様に突き出た岸壁を見上げた。
山道を軽く散歩程度に登るぐらいだったので、早速歩き出した。
下から歩くとこんな風な景色のなかを、約15分程度登って行く。
すると、こんな場所に出くわす。
千体地蔵。
と云う、場所だ。
近づいて行ってみると、なるほど自然の風化で削られた岩がそれぞれに群を為してお地蔵さんの如く在る。
圧巻と言おうか、なんと言おうか。
さっぱり言葉が見つからなかった。
とにかく様々なパワーが入り交じって、凄まじいご神氣を発している。
こういうパワーに敏感な方には、色んな方向のパワーが強いので正直あまりオススメ出来ないスポットかもしれない。
僕も、帰京してから原因不明の腹痛や吐き気などで夜通しベッドのなかで唸っていたぐらいだ。
きっとある種の瘴気にあてられたのだろう。
あとはせめて写真から感じとって頂けたら幸いである。
ずっと昔の遥か神々の時代から、きっとこうして星の数ほどのお地蔵さんたちがこの海を見つめ護って来られたのだ。
ただ一瞬でも一緒に祈るしかなかった。
と、真言をぶつぶつと口元に唱えていたら後から上って来た友人に隠し撮りをされたのでおまけに載せておく。
実はあまりにも凄まじ過ぎる氣の為に、そうそう長くは居られなかったがさすがは見事な景勝地であった。
この海の向こうは遥かなる大陸だ。
夕陽の美しい海に七つの島が沖合を点々としていて、またこの島々が神々しい印象を放っている。
その風景もまた素晴らしいものであった。
太古からの田園風景が広がる能登。
ぜひともまた時間を見つけて、ゆっくり能登を廻りたいと思う。
そしてこの場を借りて、同行して下さった友人夫妻に深いお礼を述べたいと思う。
また、僕の些か勝手な聖地巡りにつきあってもらう事になるので山登りの準備は万端に。
といったところか。
まだまだ世界は広い。
そしてまだまだ、きっとずっと旅は続くのだ。
いよいよあと一日で今年も終わり、新たな素晴らしい一年がやって来る。
読者の皆さま、今年は本当にありがとう、お世話になりました。
来年2011年という一年が皆さまにとってかけがえのない一年になります様に。
壱成