趣味 お詣り。 | いしだ壱成オフィシャルブログ『Arrivals』powered by アメブロ

趣味 お詣り。

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皆さん、たくさんのbirthdayメッセージありがとうございました。この新しい一年もまたまたガチンコ勝負の年、33歳、まだまだだなぁ、なんて思いながらもこの貴重な時間を皆さんと共に過ごしていけることに感謝しながら、頑張ります。これからも応援、どうかよろしくお願いします!!


さて先日、いつもお世話になっている伊勢RHYTHMでのイベント、First Choiceの翌日、自分の中ではもはや恒例行事となったお伊勢さんへお詣りに行ってきました。

数年前、とある日本の神道にとても詳しいお方に『一度行ってみると良い』というアドバイスをいただき、せっかくだから行ってみるか‥と伊勢神宮へふらりと出掛けて以来、時間があればいつでも、という程に日本の聖地を訪れる様になりました。

伊勢に在住の方はもちろんのこと、たとえば三重県にお住まいの方々が持ってらっしゃる程の伊勢神宮に対しての知識を当初は勿論持ち合わせておらず、ただ単に伊勢神宮に行ってお参りさせてもらえばいいのかな?と思っていたらそれはそれは大きな間違いでした。

そのお方にざっと一般的な筋を教わったところ‥まずは『夫婦岩』で有名な、かの天の岩戸のある、二見興玉神社へ行って禊を済ませてから、伊勢神宮の外宮(げくう)へ、そこで豊受の神様に手を合わせてから、はじめていわゆる『お伊勢さん』と呼ばれる伊勢神宮の内宮(ないくう)へ行き、天照の神様に参拝させていただいて、お伊勢さん詣り、になる。

と、アドバイスをもらってまたまたびっくり。


え!?伊勢神宮って二つあったの!?


恥ずかしながら、自分自身元々そう言った事柄には全くと言っていい程詳しくなかったので、余計に仰天。


いやいや、実はまだ他にあるんですよ、伊勢神宮。


え‥何ですか?まだ?え、何処に?


奥伊勢です。


‥えっと‥奥伊勢?


奥伊勢のとある場所に瀧原の宮という小さな小さな神社があります。
これは人それぞれ、そして解釈はまちまちですが、数々の言い伝えやら文献によればそのお宮さんこそが、伊勢神宮そのものである、という風な考え方もあります。


と、そのお方。


???‥では僕らが普段、伊勢神宮だとしている所は一体?


当然、お伊勢さんに変わりはありません。何があっても古来から伊勢神宮は伊勢神宮である事に変わりはなく、同時に私たちの心の拠り所です。
ただ、こういう考え方もあります。例えば三種の神器。神様の宝物であり、神様のお宝となれば、私たちが守ってしかるべき宝物でもありますし、何よりお伊勢さんは日本を象徴する神様でありますから、日本の宝物、と言っても差し支え無いでしょう。


‥はい。


かなり大それた喩えですが、あなたが仮に神様であったとしましょう。


え!そんな‥なんだか畏れ多いです。想像もつかないし。


あくまで、ものの喩えです。ではあなたは、その神様に仕える身分だったとしてみましょう、そしてあなたはある日、神様に直々にその宝物の管理を任されたとしましょうか、その場合、その宝物をどうしますか?


すみません、もう少しわかりやすく説明して下さい。あの‥だんだん頭が混乱してきました。


わかりました、では宝物だけに話を移しましょう。
あなたは何らかの神がかった宝物をある日、手にしました。その宝物はたまたま大衆が求めていたものであり、大衆はそれを拝みたい、とあなたに熱望します。
あなたはその方々の意思を尊重し、それを町のど真ん中に置くことにしました。もちろん誰もが容易く拝める為にです。
ですが、世の中というのはいつの時代もあまりよろしくない輩が存在します。わかりますか?


はい、今のところは。


その輩をどうこう言うつもりはありません。ただ、それが盗みを働く様な質の輩だったとしてみたら、どうでしょう?人々の行き交うど真ん中にまるで無防備に、神様の宝物がある。当然頂戴したくもなるでしょうね。


そうかも知れません。


宝物の安全を預かる立場になってしまったあなたとしては、その様な場所に宝物を置いておいてどのような気持ちになりますか?


不安でしょうね、きっと。
夜もおちおち寝ていられないかも知れません。


そうでしょうね、いつ何時にそれが突然に無くなっていたとしても不思議ではありませんね。


ええ。


わざわざその様な場所に置いておく方が、どうか?と思ってしまうかも知れません。


そうですね。見方を変えればそんな所に置いておく方が悪い。


では、どうすれば良いと思いますか?


うーん‥狡い考え方かも知れませんが、表向きは宝物はそこにある、としておいて本物は何処か別の安全な場所に保管しておくとか、そういう事になりましょうか。


その通りです。仮にそれが私でもそうしたでしょう。例えば人々が大挙して押し寄せて来る場所に、その様な宝物を置いておくのは、心もと無い気もします。
繰り返しますが、伊勢神宮は伊勢神宮です。外宮があって内宮がある。内宮には、いにしえからの宝物である三種の神器が祀られている。少なくとも、そういう事になっている。ですがどうでしょう、『本物の』神器はどこか別の、あまり世の中には知られていない、小さな小さな神社へ運ばれた、という言い伝えがあったら‥。


なんら不思議には思いません。


そうですね。これ以上は何も言いません。余計な知識をあなたに植え付けたくはありませんから。今までの話はあくまでおとぎ話として聞いて下さい。


え?‥あ、はい。


奥伊勢は良いところですよ。伊勢神宮まで行ったなら、足を伸ばす価値は充分にあります。
もし奥伊勢に出向いたなら、瀧原の宮にも是非訪れてみて下さい。パワースポットとはああいった場所のことを言うのかも知れません。木々の生えかたが尋常ではありませんしね。そういった場所やその類いのお話はお嫌いでは無いでしょう?


ええ‥まぁ‥。


話の何処かに含みを残して、その方は去っていきました。
なんだかキツネにつままれた様な気分になりながらも、伊勢に入り、朝日が登ると共にまずは最初のお宮さん、二見興玉神社へ。

パワースポットと先ほど出ましたが、パワーだなんだ言うならばこの場所だってスーパーパワースポットもいい所でした。
そう言ってしまえば全国に星の数ほどある神社全てがパワースポットという事になってしまいますが。
思うに例えばそのパワーにも色々とあって、わかりやすく言うと『強い』だとか『鋭い』だとか『優しい』だとか。そんな風に一言でくくったとすると、二見興玉神社のそれは『痛い』という強さでした。
その場所の波動をどう受け取るかはそれこそ人それぞれだと思います、もっともそんな波動なんてよくワカラン、という方も当然いらっしゃるでしょう。
僕はオカルトな世界がむやみに好きな訳ではありません。
別に嫌いでも無いですけれど、ここではひとまずそういった類いの云々は伏せておいて、もう少しだけ、たとえば現実に近い事として書いてみます。


パワースポット。


世界中にそれこそ星の数ほど点在する波動が強いと言われる場所。
エジプトの大ピラミッド、ペルーのマチュピチュ、イギリスのストーンヘンジ、オーストラリアのエアーズ・ロック、日本は屋久、伊勢、出雲、天川、高野、琉球、京、八丈、本気で挙げればまだまだたくさん。

とにかく、世界にも日本にもいっぱい点在しまくるパワースポットなる場所。
この解けない謎解きはまた今度、気が向いたときにするとして、お伊勢さん巡り最初の場所、二見。
果たして『痛い』というのが的確な表現かは未だに何度行ってみても掴みきれないけれど、少なくとも一番最初の印象は『痛っ』。
よく言う、サード・アイ、第3の目のあたりがジリジリ焦げる感じ。眉間の上あたりが縦に細長く煙でも上げてるんじゃないかって、鏡を見て確認したくなる位に焦げていく感じのする目と目のあいだ。

子供の頃を過ごした屋久島の深い深い森のなかの名も無い、ぶっとい屋久杉に手を当てた時に感じた波動とは明らかに異なるトーンの響き。

その響きに身を委ねながら、晴れ渡った海をバックに福を呼ぶというカエル様があちらこちらに点在する参道を通り、二見の神様に手を合わせて、禊を済ませ、この強靭なパワーを発する地をあとにします。
でも、強いだ痛いだ言ってても、お湯の熱すぎる温泉にじっくり入った後みたいで‥スキ(笑)。


次に赴く聖なる場所は外宮。


主に産業の神様、といわれる豊受大神が待つ外宮は、シンプルだけれど、荘厳な雰囲気をブンブンに漂わせていて、木々の薫りも優しくとても心が落ち着きます。

実は昨春、とてもとても不思議なご縁があり、いよいよ数年後に迫った遷宮の為の重要な式典である『お木曳』の行事に、異郷の人間ながら参加させて頂ける幸せに与りました。
自分自身が、伊勢市本町の方々と一緒に炎天下のもと『えいやぁ!そいやぁ!』の盛大な掛け声と共に街中を曳いた御神木が、いずれはこの神聖な外宮の柱のその一本となって立つ。
またひとつ、お伊勢さんとの縁が深まっているのを感じずにはいられませんでした。

お木曳の行事が滞りなく終了したその感動の時、声かけ役の方々が口々に『よぉ兄ちゃん、なかなかエエ声出しとったな!東京の人間なんかに勤まるか思っとったけどな、アンタまぁまぁエエ根性あるわ!20年後な!!また会おうや!!』とバンバン肩を叩いてくれたのが本当に嬉しくて不意に涙が出ました。

そんな篤い思い出も残る、外宮さんを参拝したら、いよいよ天照の神様がいつも暖かく出迎えて下さる内宮さんへ。

空気が張りつめていて、静かな外宮とはうって変わってこちらは、いつお参りに行っても人、人、人。正装のご老人からカラフルなファッションの若者まで、日本人の信仰心の高さが窺えます。
あまりの人の多さに前出の『神器~奥伊勢説』にも思わず頷きたくなるほど、でも若い人たちの姿を内宮さんで見かけるのは本当に嬉しくなります。いつまでも日本人の心のふるさとなんだナって。そう実感出来るから。

こちらの内宮さんでお神楽をあげて頂いてから、しばし敷地内をお散歩。
写真はその時のものです。

紅葉が美しくて思わずシャッターを切りました。

さて、駆け足で廻らない限り、ここでお詣りは大体タイムアウト。
個人的には午後4時以降は、お宮さんには立ち入らない様にしていますから、ここでお伊勢さん詣りは終わりになることが多いのですけれど、時間的余裕があれば速攻、奥伊勢の瀧原神社へ向かうのです。

知人のお方のお話通り、ここは間違いなく良い意味で尋常では無い空気感が辺りを覆っていました。
第3の目は、ジリジリ、というより、すぅっと暖まる感じでした。
あたりの風景はまるで映画『もののけ姫』にでも出てきそうな木々が、いにしえの神々たちを守るかの様な厳粛なる呼吸をさせています。不思議な不思議な緑深い森。

神聖なる場所。


そこには時間も何も存在せず、ただただ神様たちが華麗に映しだす、悠久の美だけがそのままの姿で在るだけでした。その強き波動と一緒に。

以来、神々の歴史に心底陶酔することとなってしまい、宗像大社や出雲大社など出向いた先に神様が居られたら、必ずと言っていい程お詣りに出掛けています。

目下のところ、島根における神無月ならぬ、神有月、のこと、いにしえの習わしのこと、神様たちの歴史的なこと、氏神さまのこと、結界の張り方やら、神様にまつわるパワースポット、交信の為の呼吸法、古くからの土着的な言い伝えのことなんかにとても惹かれていて、猛勉強中の壱成でした。


いつものことながら、長文にて失礼。


ではまた次回!!ごきげんよう。

~以無限為有限以無法為有法~


壱成