少し立ち止まって | いしだ壱成オフィシャルブログ『Arrivals』powered by アメブロ

少し立ち止まって

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新潟県中越沖地震から数日が経ちました、被災地の皆様には心からお見舞いを申し上げます。

ライフラインの確保に地元の皆様も全力を尽くしていらっしゃる事と思います。

その後、柏崎刈羽原発の耐震性についての議論があちこちで交わされている一方で、その後僕の方にも様々な意見書や、提案書、共同声明の呼びかけが家族を通じて来ています。
主な内容としては、政府と住民と地方自治体のより強固な連動を呼びかけるもの、また現在の原子力発電所に対しての安全性についてのもの、相次ぐトラブルを抱えながらも尚続く原子力発電所の開発に疑問を投げかけるもの、様々です。

今回の地震が世界最大規模の原子力発電所に与えた影響、これは僕達日本人に新しい考え方を吹き込むきっかけになったのかも知れません。

当たり前の事ですが、僕達が生活している以上、電力は不可欠なものです。

その電力をどうやって得るか?

火力発電、水力発電、原子力発電。

当然、いずれも著しく環境問題に関わってきます。

火力は限りある資源を使い、水力はダム建設等で、日本の美しい山々のランドスケープを本来の姿では無いものに。

原子力は、何かの事故で臨界状態になれば放射能によって、ともすれば日本はおろかアジアや他の大陸にまで影響を及ぼし、未来永劫人の住む事の出来ない不毛の地を生み出しかねません。


事実、80年代に起きたソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発事故は計り知れない規模の負の遺産を残しました。
事故当時、風下にあたったベラルーシの全国土のおよそ3分の1近い土地が現在も政府によって放射能汚染立ち入り禁止区域に指定されています。
そして、最も深刻な問題は事故当時に、生まれた、あるいは妊娠中だった子供たちの殆どが甲状腺ガンを患っている、という事実です。
現在では、事故当時、優秀な日本人医師の方が率先して現地のやや遅れ気味であった医療機関の現場を切り開いて子供たちにレベルの高い治療を施す事が出来る様になったという話があります。
ですが、今日現在二十歳前後になったチェルノブイリ・チルドレンたちの殆どが未だに甲状腺を患っています。


僕も、ベラルーシ人の大事な友達が未だに甲状腺を患っています。彼女はチェルノブイリ原発事故の翌日に産まれました。

放射能を沢山含んだ空気のなかで育った子供です。

一緒に居ても突然激しく咳込んだり、一切声が出なくなったり、あまりに酷い頭痛で暴れてしまったり、というのを目の当たりにして来ました。あまりに可哀想で目を覆いたくなる程でした。
大丈夫か?と聞くといつも『この位、私の弟に比べればまだマシよ』と言います。
聞けば、彼女の弟は再三の手術をしたにも関わらず、十代半ばにして余命幾ばくもない、との事でした。

はっきり言葉にはしないけど、僕の親友も『私は今を精一杯生きる。何も見逃したりしない。』と口癖の様に言います。


『私には時間が無いのよ』とも。

それを聞いた時は言葉に出来ない位、胸が痛み涙が出ました。
現地では当たり前の様に、子供たちは激しい喉の痛みや頭痛に耐えて生きているそうです。



たった一回の事故は、こんなに時間が経っても、治す事の出来ない傷あとを何の罪もない子供たちに残していきます。



柏崎刈羽原発で作られた電力は現地の新潟県では無く、主に東京など都市部に供給されています。
言うまでもなく電力の消費量が膨大な為です。
では、一体僕達に何が出来るか?
とてもナーバスな問題です。

全く電気を点けなければ、確かに電力の消費は減ります。
でもそれは全国的に都会化している日本に暮らしている以上、無理がどうしても生じます。


それでも僕達に何が出来るか?


一人ひとりの意識を少しずつ、変えていく事は?


資源や環境を蝕む方法ではなく、環境問題に切実に取り組む北欧諸国を手本に自家発電や、風力発電に徐々に切り替えていく、一人ひとりの意識を持ってみては?


たとえば‥


『原発なくても大丈夫!!』


という意識を持ってみては?

僕は特別な知識がある訳でも良い学歴がある訳でも専門家の意識がある訳でも何でもありません。

ただ、少しでもこうして投げかける事で共感してもらえる人がいたら、何かを一緒に考えるきっかけになってくれたら、それだけです。

病気に苦しむ親友の姿を見て、もう子供たちにこんな思いはさせてはいけないと思う、それだけです。

長くなってしまいましたが、最後に寄せられた中から興味深かったURLと今読んでいる本を紹介します。

もし、ご興味が湧いたら是非見てみて下さい。


http://www.kisnet.or.jp/net/mainpage.htm


壱成