僕が作劇をする 意味
僕の日々はインターネットのコンテンツを消費することで満たされている。あいも変わらずである。自分のブログを読み返すと、まるっきり何も変わっていない。全く今の現状は変わっていない。過去の自分、残念だったな。俺は何も変わっていないぞ。昔の自分よ、一つ教えてやろう。大学にいたかどうか、それが今の生活と決定的に違う。その違いで今、俺はすごいぞ。すごいことになってるぞ。大学を卒業して、俺の生活のスピードの基準は俺のみになってしまった。友人や先輩とたまに会って、彼らの生きるスピードに触れることもあるが、あくまで一瞬だ。みんな少しずつ、でも確実に変化していく。変化しようとしている。そして、自分が望んだ変化を少しずつ手にするようになっている。でもその時間はほんの少しなんだ。すぐバイバイしちゃうんだ、2時間3時間ぐらいなんだ。そ、自分だけの時間が圧倒的に長いんだ。大学、サークルの頃は、限られた4年間、みんなと同じ時間軸を過ごしていた。高校を卒業し、大学に入り、就職活動を行う。みんなと同じ4年間の中で演劇をやってきたんだ。だから、否が応でも周りとのスピードと、自分のスピードを比較していたんだ。周りが高速で変わっていくのに対して、自分はそのスピード、その丁寧さ、その確実さにうまく乗れなかったんだ。だから、君はやりきれず、もがいて、苦しんでいたんだ。抗っていたんだ。なんとかみんなに追いつこう、みんなを見返そうと頑張っていたんだ。戦っていたんだ、それは紛れもない事実だ。偉いぞ、立派だぞ。でも今、すごいぞ。一人だぞ。焦ることなくなってきたんだよ。やばいよな。確かにね、たまに思い出したようにみんなの活躍が目に入ってきて、やべえよ、このままじゃ俺終わっちまうよ、とパニックになるんだよ。その度に絶対これは成し遂げるって熱い誓いを立てるんだけど、2、3日したら忘れちまうんだよ。昔と変わらず、何も考えず、流れてくる動画を見て、Twitterの文章を流して、重要そうだと思ったら、いいねやブックマークをして、少しの抵抗をした気になっている。自分の頭で何か考えるということが億劫になってしまった。コンテンツの消費、って言っても、見て何か頭を使うものではない。反射的に返せるものだけ。俺は演劇をやりたいのか?なんのため?脚本が書けないのは、向いてないからじゃないのか?文章を書く才能がないのがわかっているから、人のやり取りを書くのが向いてないから、面白いことが思いつかないから、書こうとしないんじゃないか?うっすら自分の中でそのことを思っているはずなのに、どうして演劇をやろうとしようとしているんだ?ただの負けず嫌い?誰に?サークルの同期?先輩?他の劇団?自分自身?ああ、わかってるなんか楽しそうなんだよな、そっちの方が。でっかい劇場自分の芝居上演できたらなんか、なんか楽しそうだよね。だからだよね・・「楽しい」好きだったわ。じゃあ、自分がもっと楽しめるにはどうすりゃいいんだろ?劇団で演劇を作ってく上でどう楽しめるんだろう?なんかすげー人を巻き込みたい。わかる。有名な絵描きにチラシ作ってもらいたい。グッズ作ってもらいたい。いいね、出てくる。面白いって評価されなきゃ。言われなきゃ。そっぽ向いた人たちを振り向かせなきゃ。書いてたら自分のこと少し整理できた気がするよ。自分のことを整理すると、テンプレートのネガティブワードばっか出て、自分のことを丁寧に振り返れてないって思ってた。そして書き出すことでネガティブな感情に染まって、まるでそれしか考えてないかのような発想になっていく。今、なんかポジティブめだけど、この後そこのマイバスに行って、酒買ってタバコ吸おうとしています。こりゃダメだ、とほほ