邪馬台国が九州か奈良かと論じられているなか、私のブログ(古代史雑観)を読まれたのか、ユーチューブで日本の歴史をされているあるお方が「邪馬台国は2か所、九州と大和にあった」と言われてました。私は、「邪馬台国の本国は大和(奈良)にあって、高千穂(宮崎)は邪馬台国の出先機関のようなもの」と考えているわけですが。そう考えれば、倭国大乱から、混乱する倭国、神武東征、大和の統一国家の成立という歴史の流れがスムーズに示されるわけです。

 「いやいやそれでは日本国の起源は3世紀頃になってしまうじゃないか、日本国の起源は神武天皇が即位した紀元前660年でなのに」と反論される方が多いと思います。

 そこで皆さん、「統一国家があるのになぜ西日本を中心に倭国大乱起こり、しかもそれを鎮めるために卑弥呼を立てたのか?」 疑問に思いませんか。反乱が起きれば、中央政府は軍を派遣して反乱を鎮めるというのが普通のやり方でしょう。後の時代の磐井の乱のときは大和政権が筑紫に軍を派遣しています。その後の時代も同様で、諸外国もやり方は同じです。ということは、卑弥呼の時代に日本には統一国家はなかったということになりです。

 こういうと、どこかから総攻撃を受けそうですが。そこで考えられるのは、何らかの原因で高天ヶ原から西へ移動していた集団が、奈良盆地に建国し、その日を建国の日にしたのではないかということです。しかし日本を統一したのは神武ですから神武が日本国の最初の天皇でなければなりません。にもかかわらずそんなところに卑弥呼などの名前がでてくると時代が混乱します。。そこで古事記や日本書紀には卑弥呼などがでてこないのではないでしょうか。

 しかし、奈良盆地に建国してから神武の日本統一まで1世紀近くあるわけですから、神武を最初の天皇にすれば、その後の天皇を人々の記憶の中から探し出さなければなりません。印象に残る功績を残された天皇であればすぐにお名前を思い浮かべることができるが、そうでなければせめてお名前だけでもということになります。欠史8代という問題もこの辺から出てきたのではないかと思います。私たちが1世紀前の平安時代を思い浮かべるのには、書物があるから簡単ですが、日本書紀成立の8世紀の時代には大変な作業だったと思われます。