般若心経に空という表現が出てきます。
よく般若心経の現代語訳で、空を無意味・偽物と表現している場合があります。
はたしてそうでしょうか?
空とは無意味ということではありません。
空とは、意味が固定されていないということです。
真言宗のお坊さんは、「空とは全て満たされている」とも仰っていました。
自分なりに解釈すると、全て満たされている→必要な物事が全て揃っている→全て必然である
となります。
今回は、空の意味をより深く理解するために、人生をフライトシミュレーターでの訓練という比喩で表現してみます。
では↓
フライトシミュレーターを人間の肉体、パイロットを魂(あるいは意識のようなもの)に例えてみます。
パイロットがシミュレーターを使って訓練をするとき、“ありとあらゆる事態“ を想定した訓練プログラムが必要になります。
そのプログラムは、"空" という全ての可能性が詰まったサーバーに格納されています。
必要に応じて、宇宙というOS(オペレーティングシステム)が、訓練に必要なプログラムを自動で最適に組み合わせていくことを縁起といいます。
そして、その最適化されたプログラムがシミュレーターのモニターや計器類に映し出されるので、その状況に応じて訓練を積んでいきます。
(モニターや計器は、自分の目の前に広がる世界)
全てのシミュレーター(人間)は、サーバー(空)を通じて繋がっており、相互に影響し合う(人間関係)存在である。
という感じです。
ですので、
空から投影されているこの世界が無意味とは思えません。
空は無意味・偽物ではなく、空だからこそ、意味が生まれるのではないでしょうか。
人生は幻想かもしれない
でも「訓練」として意味がある
結果ではなく、経験そのものに価値がある
つまり、
実体はないが、無駄ではない
といえると思います。
今回、人生をフライトシミュレーターでの“訓練”に例えましたが、訓練だと厳しい印象になるかもしれません。
本質的には、"経験"・"体験"の方が合っているかもしれませんね。
人生というものは、誰かに決められたものというより、
条件が重なった結果として立ち上がっているものだといえます。
本来、嫌々な人生はないはずです。
肩の力を抜きつつ、真正面から自分の人生に面と向かいたいものです☺️
それと、ここまでの比喩を仏教的に突き詰めると、パイロットである魂(あるいは意識のようなもの)さえも、
その時々によって書き換えられるデータの一部であり、
固定された「私」はどこにもないとされています。
だからこそ、私たちは、その都度、今ここでの生を引き受けて生きていけるのかもしれません。
余談
丸の内でタイ料理を食べました♪
久々にアジア方面に旅行に行きたいと思う今日この頃です😋
