ISO雑感

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ISO審査員として、日々感じたことを綴っています。

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ISO9001やISO14001は「品質マネジメントシステム」や「環境マネジメントシステム」の規格ですが、そもそも「システム」とは何でしょうか? 少し考えてみました。

「システム(system)」とは、もともとラテン語の「systēma」を語源とする言葉です。これは「organized whole」、つまり「組織された全体」という意味です。一方、用語の定義を規定したISO9000規格では「システム」は「相互に関連する又は相互に作用する要素の集まり」(ISO9000:2005、3.2.1)と定義されています。他にもいくつか「システム」の定義を調べてみると...
・ 「複数の要素が有機的に関係し合い、全体としてまとまった機能を発揮している要素の集合体」(広辞苑)
・ 「目的を達成しようとして協力する、相互に依存し合う複数の独立した構成要素の結合組織(ネットワーク)」(品質管理の大御所デミング博士)
・ 「たくさんの要素が集まって、全体として安定したふるまいをするような存在」(養老孟司『いちばん大事なこと』より)

養老先生は更に『いちばん大事なこと』の中で、「システムを構成する要素は、システムを維持するためにいつも何らかの役割を果たしている可能性がある」、「個々の要素をいくら追求しても、システムは理解できないし、システムがどのように動いていくのかもわからない」とも言っています(養老先生曰く「スルメでイカが分かるか」)。そして「おびただしい種類の要素が複雑に組み合わさっているのに、上手に生きて動いて」いる生きものこそ「システムというものの典型」なのです(『養老孟司の<逆さメガネ>』)。

上記のいくつかの定義を自分なりにまとめ、ここでは「システム」を「ある目的を達成するために、複数の要素が集まって全体としてまとまったふるまいをする存在」と定義します。そしてこのシステムという視点から組織について考えてみたいと思います。

システムの定義から、まずはそのシステムの目的は何かを考えることが必要でしょう。組織の目的はそれぞれの組織の性質や考えでかなり異なるでしょうが、ここではあえて「自分たちが生み出すものによってその組織に関わる人々(構成員、顧客、パートナー、社会等)の幸福に貢献するために存続すること」としましょう。そしてそれを実現するための要素として、組織の理念や価値観、ビジョンを示して組織をリードするトップマネジメント、人・モノ・資金・情報といった様々な経営資源とその管理、営業・受注や設計、購買、製造・サービス提供といった製品・サービスを生み出すための様々な活動・プロセスなどが挙げられます。

これらの要素を見ると、まさにISO9001規格の要求事項そのものであることに気づきます。ISO9001は、組織がその目的を達成する上で必要と思われる諸要素を、ISOという国際機関が世界中の知見と経験に基づいてまとめた上げたものなのです。

ISO9001の品質マネジメントシステムを効果的に運用するには、それを文字通り「システム」として捉える視点が欠かせません。様々な機能、役割、責任・権限をもった構成要素が複雑に絡み合いながら、全体としての統一性をもって、あたかも組織自身が一つの意思を持っているかのようにふるまうとき、それぞれの組織の構成要素の単純な総和ではない「システム」としての組織が有効に機能し、全体の目的を達成することができる。ある要素だけが最適化しても、全体のバランスが崩れてしまって目的が達成できなければ意味がありません。

従来のISO9001の審査では、規格の個々の要求事項が、組織が決めた通りに実施されているか、ということばかりに焦点が当てられていました。しかしこれだけでは部分を見ているに過ぎません。組織のマネジメントシステム全体を、その有効性を含めて審査するには、個々の要素がそれぞれきちんと機能しているか、ということだけでなく、それらが全体としてバランスよく機能し、全体的な「システム」として効果的なふるまいをしているか、ということを判定しなければなりません。そのためには、組織が求めている結果が達成されているか、しかもそれが偶然ではなくシステムによって意図されたかたちで達成されているか、という点を評価することが重要です。「スルメ」の部分部分をいくら詳細に調べてみても生きている「イカ」の本当の姿は分からないように、現に動いている組織をシステムとして評価するには、その構成要素ばかりを個別に見るのではなく、それらの相互関係や相互作用を見なければならない。そこに、単にチェックリストに基づいた要求事項のチェックに終わらない審査の本当の難しさがあります。このような、組織という「システム」を検証し評価することの意義と難しさを常に忘れずに、審査に当たりたいものです。

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私たちは日常、当然のように言葉を使っています。当然ものを考えるときも言葉を使って考えます。ということは、人がものを考える考え方は、逆に言うと使っている言葉に大きく影響を受けるということになります。

エスキモーには、いろいろな状態の「雪」に対して様々な名前があるそうです。つまり日本人には同じ「雪」に見えるものでも、エスキモーの人には違う名前の違ったものに見えるということです。これは「雪」がもつ意味合いの大きさがエスキモーと日本人ではまったく違うということの現われでしょう。別の例としては、英語では同じ“rice”でも、日本語では炊かれている「ご飯」と炊かれていない「米」という違う名前をつけて区別しています(「米を食べる」という言い方はするかもしれませんが、「ご飯がなっている」とは決していいません)。これも当然日本人にとって「米」が持つ意味合いが非常に大きいということなのでしょう。もう一つ気付いた例として、日本語では「兄」「弟」(「姉」「妹」)という区別があるのに対して、英語では同じ“brother”(“sister”)です。これも年齢の上下を重んじる儒教的な文化を持つ日本と英語圏の文化との違いと言えるのではないでしょうか。このように、人の思考はその人が使っている言葉によって支配されています。

英語と日本語のように明らかに違う母国語の人同士が話をするときは、お互いのコミュニケーションを正確にとろうとする場合、自分が使う言葉の意味が同じ意味として理解されるように慎重に言葉を選び、説明しながら話を進めていくでしょう。従って、アメリカやヨーロッパの国々のように明らかに違う言葉を話している人が普通に周りに存在しているようなところでは、このような言葉に対する慎重さといった態度がある程度自然に身についているのかもしれません。しかし、私たち日本人は、お互いに「日本語」という同じ言葉を話していると思っていますので、自分が使っている言葉を相手も当然同じ意味で理解しているだろうという前提で話を進めていることが多いのではないでしょうか。でも、同じ日本語ではあっても、その人の育った場所や文化によって微妙に言葉遣いというのは異なってきます。それにも関わらず、自分の言葉を相手もまったく同じように理解してくれるだろうという前提で話を進めると、コミュニケーションに微妙なズレが出てくるのは避けられないでしょう。

ISO審査の場で、相手が「設計」という言葉を使って表現していた場合、ISO審査員である私たちは当然ISO9001規格にある意味での「設計」という意味で理解しようとします。でも、それは必ずしもISOの定義で言う「設計」に該当しない活動であるかもしれません。同様に、私たちが「顧客」と言っている言葉を聞いて、相手は私たちが考えているのとは異なる人や組織をイメージしているかもしれません。

私たちが審査を行う場合も、自分たちが育ち生活してきた環境と相手のそれとは異なり、また相手が属する組織の文化も自分の組織の文化とは異なる、という当然の事実を今一度認識しなおし、自分が使っている言葉を相手も同じ意味として理解しているか、相手が使っている言葉を自分も相手と同じ意味として受け取っているか、ということにより敏感になることで、コミュニケーションのギャップを少しでも埋めることができるのではないでしょうか。

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審査をしていると、「予防処置の事例はありません」という回答に合うことが多くあります。既に起こった問題に対してとる是正処置はよく行われていても、予防処置となると本当に少ない。これはなぜなのか?


そもそも、「予防」とは問題が起こっていない時点でそれが発生するのを未然に防ぐ、ということです。となると、予防処置の難しさというのは、まだ起こってもいない問題を発見する難しさにあると思われます。組織を運営する中では、ただでさえ日々問題が起こるわけですが、そのような中で更にまだ起こってもいない問題の芽を発見する。これはよほどそれを見つけようという明確な意思がない限り難しいことだと思います。問題が起こってしまえば、否応なしにその問題の存在に気付かされ、何らかの対応を迫られるのに対し、問題が起こっていない時点では、それを見逃そうと思えば見逃せてしまえるわけですし、そもそもそれが問題になりうるとも思わないかもしれないわけです。それにも関らず、毎日の忙しい業務の中でそれをあえて拾い上げていこうというのですから、難しいのも当然です。


また、もう一つの難しさとして、予防されたことを記録として情報化することが挙げられると思います。つまり、通常は「予防されたことは、情報化されない、報道されない」のです(養老孟司『養老孟司の<逆さメガネ>』)。これは歴史を見れば分かります。歴史はすべて実際に起こったことの記録であり、何かが「起こらなかった」ことは歴史に残りません。だから、この「起こらなかった」ことのために払われた努力も人に知られることがないのです。


問題が「起こらない」ようにするために取られる「予防処置」は、そもそもこのような難しさを備えている。なので、そのような予防処置をあえて行い、更に記録に残していこうと言うのですから、これは是正処置よりもずっと意識的に行う必要があるし、それができる組織はかなり成熟した組織であると言えるのではないでしょうか。



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個人でも、組織でも、適切な目標設定というのは非常に大切です。個人であれば、自分のミッションに沿って、いつまでに何を達成したいかを明確にする。組織も同じで、ISO9001では「方針に整合した」「判定可能な」目標を設定することが要求され、さらにその方針は組織の「目的」に適したものであることが要求されています。この「目的」(purpose)、つまり「何のため」というのは、組織の存在理由=ミッションと考えられますので、結局はミッションに即した具体的な目標を設定することが要求されているということで、個人の場合と何ら変わりはありません。


マネジメントシステムとは、目標達成のための仕組みですので、適切な目標設定は、有効なマネジメントシステム運用の出発点です。従って、これが適切にできていないと、出発点から方向を誤ってしまい、効果的にPDCAを回せば回すほど見当違いな方向に向かって全力でつき進んで行くという皮肉な結果になってしまいます。これほどまでに重要な目標設定ですが、審査をしていて感じるのは、この目標設定が適切に行われず、本当に達成したいと思えるような目標になっていなかったり、抽象的な目標になっているために何をどこまで行えば良いかが全く分からず、結局「何となく頑張る」というような精神論に陥ってしまったりしていることが多くあるということです。これは非常にもったいないことです。


目標は、ミッションに基づいて自分が理想とする姿に向かって進んで行くための通過点を示すマイルストーン。そのマイルストーンが自分の進むべき方向とは全く見当違いなところにあったり、抽象的でぼやけてしまっていては、マイルストーンの役目を果たしません。それが適切な方向の途上に、具体的な姿としてはっきり光を放っていて初めて組織を向かうべき方向に導いてくれますし、組織の全ての人々の努力のベクトルを合わせることができます。適切な方向に向かって、あたかも日光を一点に集める虫メガネのように組織のベクトルを収束させて強力なパワーを発揮させる。そんな目標の設定ができれば、マネジメントシステムは間違いなく組織の強力な武器になるはずです。


審査を通じてそのような運用に貢献したい。先日の審査ではそんなことを強く思いました。



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