今年、コロナが急速拡大し始めたときの3月に会社を立ち上げた。
業務内容は
外装・内装
オフィス什器施工
塗装全般
屋根葺き・補修
エアコン工事全般
ユニットバス施工
オフィス・店舗移動
などを手掛ける会社を作った。
従業員は4名。
ひとりは塗装にかけてはエキスパート、もうひとりは若いときから建設系仕事に従事して、様々なことができる職人、あとふたりは技術はないけど、一生懸命頑張って動いてくれる。
そのふたりは知人からの仕事の依頼で、毎日暑いなか造園の仕事の手伝いに駆り出されてる。
立ち上げて3ヶ月目だけど、まあ順調な滑り出しだと思う。
このコロナの中で、東京は緊急事態宣言が解除されたとはいえ、仕事量は激減したどころかほとんどの業種がストップした。
仕事がゼロの中、方々へ営業、頭をフル活動して仕事を探した。
ある小さな小山の下のブロック塀の施工工事を請け負い、その後は屋上の補修工事を行った。
この次に入っているのは、浴槽の錆び補修と全面塗装。
いま、お話がきているのが、新規サロン店の内装工事、浴槽の床の張り替え工事、戸建てフルリフォーム(前の業者が途中でできなくなった為、あとの残施工)
と話がきているものは最終的に確定ではないので、請け負えるかは未定だか、とりあえず仕事は切れずにきている。
この会社を立ち上げてから、時々亡き父のことを思い出す。
うちの親父はサラリーマンだったが、DIYが得意だった。その影響でうちの家族はDIY家族だった(笑)
それこそ、築30年以上経っている古い戸建ての中古物件を買って、壁や床はもちろん、浴槽、トイレまでも自分でフルリフォームするような人だった。
家族でDIYをやると、まず弟は一切手伝わずにお袋はいすぐに親父と意見の食い違いからケンカが始まり離脱、姉は初めは夢中になるが飽きっぽい性格でそのうち離脱していくのが、いつものパターンだった。
そして、僕が子供の頃から親父の手元として、色々と仕込まれた。
親父はDIYなのに1ミリ単位でこだわる人で、下手な職人さんよりこだわりがあった。
それこそ、板の釘うちひとつでも、持っている手が少しでもずれたら怒られた。
でも、仕上がりはいつも綺麗だった。
僕は働きだしてから、色々な職業を渡り歩いた。
若いときはプロゴルファーを目指してゴルフ場に就職して、鉄工業、派遣、心理カウンセラー、オフィス什器施工などをした。
そして、いま家の内装、外装など、住宅をメインにした会社を立ち上げた。
立ち上げに参加してくれたスタッフは、すべてオフィス什器の施工を一緒にしていた仲間。
新規の会社なのに、みんな職人としては腕のイイ人が集まった。
だから、新規参入なのに良い仕事が出来ていると思う。今のところ、お客様にも仕上がりを納得頂けるものを作っている。
まさか、亡き父が仕込んでくれた技術が自分の仕事になると思ってなかった。
でも、僕も父と同じでひとつのものが出来ていく過程が好きみたいだ。これが天職だと感じる。
こういう建築系の仕事は、まず現場でトラブルがおこる。
現地調査をしたうえで、必要な資材を発注して作業に入るが、すんなりいくことはまずない。
寸法が合わなかったり、元々の土台が歪んでいたりと現場で対応しなければならないことも多々ある。
できない施工を経験とアイデアを使い、職人の技術を使い、できないものを必ずできるように知恵を絞る。
そして、最終的に綺麗な完璧な仕上がりにしていく。
できないものをできるようにしていく、これがプロフェッショナルだし、職人のプライドだと思う。
親父が子供の頃から仕込んでくれた技術が、僕の中には染み込んでいる。
それこそ、きちんとした職人の手元から始まり技術を学んだ職人ではない、付け焼き刃な職人かも知れないけど、まだまだ学ぶことは多い。
もう、師匠の親父はいないけど、僕の作ったものを見て親父が生きてたら何ていうだろう?
誉めてくれるだろうか?
いや、きっとあの親父の性格だ。きっと、ひとつふたつのダメ出しをされるだろう。
親父が認めてくれるものができるようになるまで、あと何年掛かるのかな?と思いながら、今日も腕を磨くために努力していく。