あと2日で誕生日を迎えます。
40代最後の1年。
若い頃は自分が50歳なるイメージなんて持てなかった。
っていうより、無意識のように自分の生命が短い気がしていて生き急いでいた。
それこそ、波乱万丈で良い意味でも悪い意味でも様々な経験をして生きてきた。
そして、去年の秋に入籍した。
彼女の宝物のふたりの18歳と21歳の娘たちも一緒に、4人の新しい生活が始まった。
生まれてきて、いまの人生で子供を持つことは半ば諦めていた。
ひとりの親になる自覚も責任感もないことはわかっていた。
幼少期からあまり良い子供時代は過ごしてこなかった。
だから尚更無責任に人の親にはなるつもりはなかった。
欲望だけに流されず、きちんと避妊だけは必ずした。
でも、ふたりの娘はまだまだ父親と認めてくれていないだろうけど、戸籍上は父親である。
親になって思うことは、すごく彼女たちに人として成長させてもらってると感じる。
そして、血の繋がりは関係ないと感じる日々。
きっと、ふたりの娘たちとは遠いいにしえの時から何処かで繋がっていた。
血の繋がりがなくとも、ふたりとも可愛く愛情が溢れ出す。
今まで自分中心で生きてきた人生。
不完全すぎる自分を追い求め続けてきた。
あまりにも身勝手すぎる生き方を選んできた自分に、きっと神様は僕に子供を与えてくれなかった、そういうレールの上を歩かせたようにも思う。
しかし、いまやっと人に対して目を向けれるようになった。
人のことを自分のことのように想えるようになった。
そして、大切な大切な娘たちと出逢わせてくれた。
いま、彼女たちは半分こどもで半分おとな。
まだまだ、人生をしっかり歩いていくには力不足。
僕は基本、彼女たちは自分の人生を好きに生きれば良いと思う。
時には失敗もあるかも知れない。
でも、それも人生の一部。
彼女たちを束縛して、僕が人生のレールを引こうとは思わない。
もっと幼ければ、親がきちんとレールをひくことも大切だろう。
でも、もう彼女たちはその歳ではない。
彼女たちを見ていて、大人の目線から失敗する選択を感じることもある。
でも、人生なんて失敗から学ぶことがほとんどだ。
もしそこで彼女たちが求めるなら、僕は手を差し伸べようと思う。
もしかすると、親なら子供が失敗しないように色々と手を焼くのかも知れない。
僕はその点、少し冷たいかも知れない。
「獅子は我が子を千尋の谷へ突き落とすという」
親はしょせん、子供の人生を背負うことなどできない。
自分達の方が先に死んでいくし、人生は自分で歩んでいくものだと思う。
谷底から自分の力で這い上がって、生きていくことが大切だと思う。
親になって感じることは、どんなに辛くても彼女たちの為にすべてを努力できる。
よく命がけなんて言うけど、オーバーでなく彼女たちの為なら僕は命をかけられる。
嫁とふたりの娘。彼女たちがもし生きることに少し疲れ、僕を求めるなら僕はいつでも側にいようと思う。生命のある限り永遠に。
嫁、娘ふたり。いま、毎日が女性ばかりでにぎやかな。
そのテンションについていけないこともしばしば。
でも、日の当たらない半生を生きてきた僕には、毎日が宝物。
これから、もっともっと親として大変なことも起こるかも知れない。
でも、僕はそれで人として成長させてもらえる。
そして、ひとりあきらめず、大切なふたりの宝物の娘たちを育ててきた嫁に本当に感謝をやまない。ありがとう、、、。