昨日、風邪をひいているなか映画「ツナグ」を観た。
実はこの映画、あるアメンバーの方からのお勧めで観てみました。
偶然にも小説「ツナグ」は1ヶ月ほど前に読んだばかりでした。
だから、割合映画にも入りやすかった。
簡単なネタバレは死者と生きている者とが会うことができる。しかし、死者も生きているものも会えるのは一回のみ。その後はもう同じ人とも違う人とも会うことができない1回切りの「ツナグ」。
あなたなら、誰と会いたいですか?会いたい人はいますか?
僕は親父ともう一人の会いたい人がいます。だけど、会えるのは1回だけ・・・。
映画の中で死者と生きているものとを橋渡しをする役割の「ツナグ」。
その「ツナグ」の役割をしていた少年が言った言葉がありました。
「死者に会おうとするのは生きているもののエゴではないのか」と。
僕もそう思いました。死んでいったものは一生の自分に与えられた人生を全うして生命を終える。それを生きているものが会いたいからといって呼び出すのはエゴかもしれない。
それならば、生きているほうも会いたい人が死ぬ前にすべてのことをやっとくべきなのかもしれない。
だけど、人生はそううまくいかない。思い残すことばかりだ。

ブログでは詳しく書けないけれど、僕があることで自暴自棄になっていたときに、ある彼女は逃げ出さず、僕の部屋に僕のそばにいた。そんなの初めてだった。周りの人間は僕から避ける人ばかりだった。
避けたり逃げたりする人はいたけど、そばにいてくれた人は初めてだった。
そして、彼女は一言僕に言った。
「だって、どんな状態でもあなたはあなたでしょ。わたし、本当にあなたが優しい人だと知ってるから大丈夫」と。
そう言って、ずっとそばにいてくれた。
僕はその彼女と一時的に恋に落ちた。禁じられた恋だったのかもしれない。
彼女と僕はいとこ同士だった。彼女が大阪で僕が千葉。そんなに会う機会もなかったし、子供のころ何回か帰省するときに会って、その後彼女が大人になって「パニック症候群」になったのをきっかけに家で預かることになった。ちなみに法律上は何の問題もない。
ふたりが同じような心の傷を持っていた。だから、分かり合えた。
そして、辛いときでも無理して頑張るところも同じだった。
スピリチュアルの世界にソウルメイトという言葉がある。
僕と彼女はひとつの生命を分けてこの世に誕生したような気がする。生まれた年も同じだった。

だけど、両方の両親は許さなかった。引き離されるように彼女は大阪に戻された。
ちなみに法律上は何の問題もない。いとこ同士は結婚も出来る。
でも、双方の親は近親者の恋を許さなかった。恋人と言える様な前に引き離された。

その後1年ぐらいした後、僕はある事情で2年半ほど自宅を離れ、少し遠い地で暮らしていた。
そして実家に戻るとき、空港まで姉が迎えに来てくれた。そのとき、初めて知った。
姉が「○○ちゃん癌で1年ぐらい前に死んだよ。」
僕は愕然とした。周りの景色が色を無くし、すべてが灰色に見えた。地面がグルグル回ってた。
涙が自然と出てきた。姉に見せたくなくて、あわてて背を向けた。でも、涙は止まらなかった。
ゆっくりと滴り落ちるような涙だった。一粒一粒が何かの意味を持つように涙が空港のロビーに落ちた。そんな涙は生まれてから初めてだった。

僕が苦しいときに、ずっとそばにいてくれた彼女。なのに彼女が苦しいときにいくら知らされていなかったとはいえ、僕は彼女の手を握ってあげることも出来なかった。
きっと臨終のとき肉親以外の誰かにも彼女はそばにいてほしかったと思う。
その役割はきっと僕だった。彼女の死に水をとってあげるのは僕だったんだと思う。
スキルス性の胃がんで発症からわずか1年弱での臨終だった。

きっと「ツナグ」がいたら、僕は数年前に亡くなった親父よりも彼女に会いたいと思うだろう。
でも、それはぼくのエゴだ。彼女が辛いとき、臨終のときそばに居れなかった僕の後悔という名のエゴに過ぎないと思う。
今でも僕の心の奥のほうに彼女の居場所があり、そこに彼女が居る。
いつも、辛いとき苦しいときに背中を押して励ましてくれているような気がする。

僕は今でも、彼女の命日近くになると彼女へ届くはずのない手紙をもう10年書いている。
もう10年なんだ。あれから10年経ったんだ・・・。


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